旧説帝都エデン
ブラック・キャット
帝都に聳え立つ古めかしい巨大な洋館。この洋館に住んでいるのは人々に帝都一の魔導士と謳われるマナと機械人形の娘であるアリスの二人だ。
「マスターおはよう御座います」
玲瓏たる声の響きが深い眠りからマナを呼び覚ました。
「今日は絶対この部屋から出ないわよぉん」
目を覚ましたマナは何かを恐れるようにして、ベッドの中に潜りブルブルと身体を振るわせた。
恐れという言葉知らぬとまで人々に言われるマナが何かに怯えている。いったい何に怯えているのか?
機械仕掛けのアリスはそんなマナを無表情な顔で見つめ、一瞬だが少し小莫迦な表情をしたように見えた。
「マスター朝食はどうなさいますか?」
「ここに運んで来て頂戴」
「承りました」
静かにドアが閉まると、残されたマナはベッドから恐る恐る起きて、椅子に腰掛けテーブルに突っ伏した。マナの服は椅子に座った瞬間にネグリジェからいつもの豪華絢爛な法衣に変わっている。
「……いつかこの呪い解いてやるわぁん」
そう、マナは己に架けられた忌々しい呪いに怯えているのだ。
マナに架けられた呪い、それは――満月の晩になると黒猫に変化してしまうという呪いである。満月と言っても正確には月齢が14.8〜15.2の月光を浴びると猫に変化してしまうのだ。そして、今日の満月は月齢15――まさに正真正銘の真ん丸の満月が夜空に浮かぶ日であった。
ドアがノックされ朝食の乗った銀色トレイを持ったアリスが現れた。
「朝食をお持ちいたしました。そして、お客様をお連れいたしました」
小柄なアリスの後ろに立っている長身の男を見て、マナは血相を変えてすぐにベッドの中に潜った。
「な、なんでお師匠様が!?」
「私が来ては不都合なことでもあるのかね?」
アリスの後ろに立っている、煌びやかな法衣を身に纏う男――この男こそマナの師匠であるファウストだった。
転生の魔導士ファウストは千年以上の月日を生き、今は帝都のエージェントをしている。
アリスはテーブルの上に朝食を並べ、口元を少し吊り上げた。
「では、失礼いたします」
立ち去ろうとするアリスの背中にマナが手を伸ばした。
「待って二人にしないで!」
悲痛な叫び声を背中に感じながらアリスは子莫迦にした笑いを浮かべてドアをゆっくりと閉めた。
ファウストは朝食のサラダに入っていたプチトマトを口の中に入れて、マナがぶるぶると震えるベッドの上に腰掛けた。
「そんなに私のことが恐いのかね?」
「そんなことはありませんわ、偉大なお師匠様」
大嘘をついたためか、マナの顔は引きつっていた。
恐いもの知らずと云われるマナが世界で一番恐いもの、それはこのファウストだった。
マナはファウストのもとで修行中、散々な目に遭わされ、魔導の実験台にされたり、ファウストのイジメに遭ったりといろいろなことがあった。そして、マナに忌まわしき呪いを架けたのも、このファウストであった。
ファウストは天井を眺めてからマナに視線を落とした。
「ところでマナ、最終試験はクリアできたかね?」
「……まだです」
「では、まだ免許皆伝とはいかないな」
実はまだマナはファウストの修行を全て終えていなかった。つまり、正式な魔導士としてファウストに認められていないということだった。
マナはファウストの下で修行をした際に、いろいろな試験を受けて見事にクリアしていった――ただ、ひとつを除いては。それがマナに架けられた黒猫に変化する呪いを解くことだった。
満月の夜に黒猫に変化してしまうという呪いをマナが架けられたのは、まだ彼女が若かった16、7の頃、ファウストの怒りを買ってしまい、呪いを架けられてしまったのだ。本来はこの呪いを解くことは試験科目には含まれていなかったのだが、この呪いを解かなければ免許皆伝はしないとファウストに断言された。
マナが呪いを架けられた原因をつくった時に一緒にいた共犯者である夏凛という人物にもファウストは罰を与えている。その罰というのは魔導手術による魔族と合成及び、その他いろいろである。そして、この夏凛という人物は満月の夜に本来の姿に戻れるのだ。
「ところでマナ、私がここへ何をしに来たかわかるかね?」
わかるはずがない。マナの知る限り、このファウストという人物は大層きまぐれな人物である。
「いいえ、何の御用でしょうか?」
「それがだ、この頃ニュースでも取り上げられている事件のトップは何だかわかるかね?」
「神威力神社と帝都タワーが破壊されたあの一件でしょうか?」
「いいや、2日ほど前にシザーハンズが現れた」
「そうなのですか!?」
マナはここ数日海外に出かけていて帝都のニュースには疎かった。
「そのシザーハンズを退治及び、それを操っている魔導士を処理して欲しい」
「い……はい、わかりましたわ」
?嫌?とは言えなかった。そんな言葉を発したものならば、どのような不幸がマナに降りかかることか……。
「では、今日からがんばってくれたまえ」
「はぁ!? 今日が私にとってどんな日かお師匠様もご存知のハズ……」
「だから、どうしたと言うのかね? 昼間は動けるのだから問題なかろう」
マナは口をきゅっと結んで言いたいこと腹の底に呑み込んだ。この人に何を言っても無駄だ。
ファウストは立ち上がると、テーブルに置いてあったマナの紅茶を飲み干して、部屋を出て行こうとした。
「では、私は旅に出るので後は任せたぞ」
「あ、ちょっと待ってぇん! シザーハンズの情報はないのでしょうか?」
「そうか、まだ言っていなかったな」
このボケ老人! とマナは思ったが、そんなことは口が裂けても言えなかった。
ファウストはテーブルに置いてあったトーストを食べながら話をはじめた。
「シザーハンズは狂人でも何でもない。普通の人間がシザーハンズと呼ばれる魔導具に操られているに過ぎないのだよ」
「なるほどねぇん、それでさっき魔導士を処理しろと――」
「その通りだ、シザーハンズと呼ばれている殺人者の正体は?爪?の形をした魔導具。その魔導具に魅入られた人間が殺人を起こしている」
「ですが、その魔導士というのは誰なのですか?」
「彼女を魔導士と呼ぶのは正しくない、他の者が彼女を魔導士と呼ぼうと私は絶対に認めない――なぜならば、彼女は修行を途中で投げ出した女だからだ」
「まさか、それは……!?」
マナの脳裏にある名前が浮かんだ。世間では夜魔の魔女と呼ばれる?セーフィエル?の名を――。
ファウストが嗤った。
「我が不肖の弟子セーフィエル。姿を暗ませていた彼女がこの帝都で目撃された」
セーフィエルはマナの姉妹弟子である。
マナが天才であるならば、セーフィエルは秀才であった。努力せずとも才能だけで魔導を使いこなすマナに対して、セーフィエルは血の滲むような努力をして魔導を身に着けた。マナはセーフィエルの嫉妬を買い、いつも一方的にライバル視されていたのだ。
テーブルに置いてあった朝食を全て食べ終えたファウストは、近くに置いてあったナプキンで口を拭うと背中越しに手を振って部屋の外に出て行ってしまった。
残されたマナは外に出るべきか迷った。たしかに月が出ていない間は猫になることはない。が、今日は外に出たくない。
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)