旧説帝都エデン
「申しわけありません。時雨様を紅葉様に呼んでいただいたのはわたくしです」
「だから、なんでさあ?」
「では、お話いたしましょう」
〈名も無き守護者〉は神妙な面持ちで話しはじめた。
「この神殿は本来、ある者を封じるためのものでした。ですが、ある時、神殿をアポリオンという悪魔に乗っ取られてしまったのです。守護者としてわたくしは失格です」
以前時雨がこの神殿を訪れた時、紅葉の身体を乗っ取ったアポリオンと戦っている。そして、強敵ではあったが、?何故か?倒すことができたのだ。
突然〈名も無き守護者〉の身体に異変が生じた。〈名も無き守護者〉の身体が閃光に包まれ、その中から〈大鷹〉が現れた。そう、これが〈名も無く守護者〉の正体だ。
「これがわたくしの真の姿。そして、守護者はもうひとりいました」
「あの大狼でしょ?」
時雨の予想は当り、〈大鷹〉大きく頭を頷かせた。
「その通りです。ですが、もうひとりの守護者はアポリオンに操られ、わたくしは罠に落ちて封じ込められてしまいました。そして、ここに封じ込めていた者が外の世界に出て行ってしまいました。その名を殺葵」
この神殿はアポリオンの神殿ではなく、殺葵を封じ込めていた神殿だったのだ。
「わたくしは紅葉様によって封印を解かれ、どうにか外の世界に出て来れました。そして、これからわたくしのするべきことは殺葵の封印です。その手伝いを時雨様にはしてもらいたいのです」
「なんでボクが?」
「時雨様の身体にはもうひとりの守護者が宿っています」
「ボクの身体に?」
「そうです。時雨様、少しの間じっとしていてください」
「なんで?」
答えは行動で示された。突然〈大鷹〉がその大きな翼を広げたかと思うと、時雨の身体を翼で包み隠したのだ。
突然のことに時雨は抵抗しようとしたが、結局何もできなかった。翼には魔力がこもっており、時雨の意識を空にしてしまったのだ。
〈大鷹〉の目が大きく見開かれ、時雨は翼から解放された。
「困ったことになりました」
小さな声で呟いた大鷹の表情は曇りを浮かべている。これに対して紅葉はわかっていたように言う。
「やはりな。時雨の身体に溶けすぎていて、抽出できないのだな?」
「そのようです」
〈大鷹〉のしようとしたこと――それはもうひとりの守護者〈大狼〉の抽出。時雨の身体に入り込んでいる〈大狼〉を抽出して復元するつもりだったのだ。しかし、〈大狼〉はすでに時雨に吸収されていて、抽出が不可能となっていた。
ふらふらしていた時雨の意識が戻ってきた。
「何したの今?」
「君の中に入っていた守護者を取り出そうとして失敗したのだ」
「ふ〜ん」
理解したようで理解していない時雨。
〈大鷲〉はまた人間の姿に戻った。
「時雨様の身体にもうひとりの守護者の力が宿っていることは確かなようです。ですから、わたくしと共に時雨様には殺葵の封印をしてもらいたのですが?」
「ええ〜っ、めんどくさいなぁ。でも仕方ないか」
仕方ないというのは紅葉の顔色を伺っての発言だ。紅葉は時雨を睨んでいたのだ。
「では、さっそく殺葵を封じに行きましょう、と言いたいところなのですが、殺葵を封じるための魔導書がこの遺跡から何者かによって盗まれてしまったのです」
魔導書が盗まれた。この言葉に時雨と紅葉はある人物の名を同時に思い浮かべた。その名はマナ。
「その件については私が引き受けよう。時雨はこの守護者と共に殺葵のもとへ行け」
「紅葉様には何者が盗んだのか、心当たりがおありなのですか!?」
紅葉は時雨と顔を見合わせて苦笑した。この二人はマナが魔導書を持ち去ったのを見ていたわけではないが、マナが持ち去ったという確信はあった。
この後、三人は遺跡を出て、時雨と〈大鷹〉殺葵のもとへ、そして紅葉はマナを探しに行った。
ファウストがエージェントの資格を一時的に剥奪されたため、ファウストの補佐として今回の事件に関わっていたマナも事件から身を引くことになった。
帝都某所にある巨大な洋館がマナの住まいだ。ここでマナはメイドの機械仕掛けの人形とふたりで暮らしている。
「マスター、紅茶を御持ち致しました」
ゴシック調のドレスを着た金髪の少女が紅茶を持ってマナの前に現れた。この少女が機械仕掛けのメイド――アリスだ。
「マスター、紅茶を御持ち致しました」
返事がなかった。
マナはテラスで椅子に座り、テーブルに突っ伏していた。そんなマナをアリスの魔力のこもった蒼い瞳がマナの顔を覗き込む。アリスの表情は普段は無表情なはずなのだが、この時は少し、不機嫌そうな顔をしているような気がする。
「紅茶をお持ち致しました」
「適当なところに置いておいてくれるかしらぁん」
テーブルに突っ伏しながら、マナはくぐもった声でやっと返事をした。
自分の方を見向きもしない主人に反抗心を抱いたのか、アリスは主人に言われたとおり?適当?なところに紅茶を置いて去って行った。
少し経ってマナは紅茶を飲もうと顔をあげた。だが、紅茶が見当たらない。適当な場所=テーブルの上にあるはずの紅茶がないのだ。
紅茶は床の上に置いてあった。アリスは主人の言いつけどおりに?適当?な場所に置いたのだ。
「……後でいびって差し上げるわぁん」
アリスはマナに対して反抗的であり、マナもアリスをねちねちと苛めるのを趣味としていた。この二人の仲は最悪だった。
紅茶を飲みながらマナが読書をしていると、再びアリスが現れた。
「マスター、御客様で御座います」
「誰かしらぁん?」
黒いドレスを着た少女の後ろには白衣の男がいた。そう、紅葉だ。
「君の所有している本に用があって参上した」
「あらぁん、紅葉ちゃん久しぶり」
アリスはマナの前の席の椅子を引いて、
「紅葉様、どうぞ御座り下さいませ」
「ありがとう」
席についた紅葉にすぐさまマナは疑いの眼差しで凝視された。
「どうかしたのかしらぁん?」
「盗んだ魔導書を返してもらおう」
「あらぁん、あたし、紅葉ちゃんから何も盗んでいないわ。そんな言いがかりよしてくれないかしらぁん」
「私の所有物ではない。現所有者は帝都政府ということになっているが、本来の持ち主がそれを火急的に必要としている。帝都地下遺跡で盗んだ魔導書を出したまえ」
「……記憶にないわねぇ〜」
マナは完全にとぼけるつもりだった。何せ証拠がないのだから。だが、紅葉は確信で動いている。
「記憶になくとも、君が盗んだことは事実だ」
「だったら、家中探して見つけたらぁん?」
不適な笑みを浮かべるマナ。魔導書が絶対見つからないという自信があるのだ。魔導書は異空間に保存されおり、普通の方法ではマナ以外の人間には取り出せないようになっているからだ。
「その表情から察するに、私には到底探せない場所にあるということだな? つまり、君の異空間にその魔導書はあると考えるのが自然だろう」
「ギクッ……さぁ、どうかしらぁん?」
紅葉の鋭い指摘にマナは明らかに慌てた。マナは嘘をつくのが苦手なのだ。
魔導書がどこに保管されているのかはわかったが、紅葉には何の手立てもなしに魔導書を手に入れることは、現時点では不可能だった。
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)