旧説帝都エデン
光り輝く妖刀を構え直し時雨は殺葵に向かって行こうとしたのだが、その後ろから猛スピードでファウストが時雨を抜かして行った。
「ナイト!」
大声を出したファウストの背中から白い蒸気が立ち上がり、それは甲冑を纏った半透明の騎士へと変わったファウストは体内に幾つもの精霊を封じ込めて置き、それをいつでも自由に操ることができるのだ。
輝き煌くナイトはレイピアの切っ先を殺葵に向けて猪突猛進して行く。
剣を振りかざし殺葵が舞うと同時に風の刃が巻き起こり、ナイトに向かってその刃を向ける。だが、風の刃は甲冑によって防御され、ナイトは臆することなく突き進む。
殺葵の唇が少し緩んだ。
「妖刀殺羅の糧となれ」
残像を残しながら殺葵が素早く動く。殺羅の切っ先は一直線にナイトに突きたてられた。
殺葵の放った剣技は甲冑をも貫いた。だが、ナイトのレイピアもまた、殺葵の肩を貫いていた。
レイピアを伝って紅い鮮血が地面に滴り落ちる。しかし、無表情な殺葵の口は嗤[ワラ]っている。
ナイトの身体が突然ぐしゃりと潰れるように縮み、妖刀に吸収されてしまった。殺葵の言葉通り、ナイトは妖刀殺羅の糧となり、そして殺葵の力となった。
レイピアによって空けられた肩の穴が見る見るうちに塞がっていく。傷口は完全に塞がってしまった。服が破れているくらいで傷痕は全くない。
背後からの気配。殺葵は妖刀を横に振りながら後ろからの攻撃を防いだ。
「甘いな時雨。剣の腕が落ちたのではないか?」
「さぁ? 記憶喪失で昔のことなんて知らないよ」
相手との間合いを取って再び攻撃を仕掛けようとした時雨を大声でファウストが静止させた。
「退け時雨!」
巨大な翼を持つ半透明の女性。新たなファウストの精霊だ。
伝説のセイレーンのような容姿を持ったその精霊は、声にならない咆哮を高らかにあげた。音の塊が空間を歪ませ波打たせ、殺葵に襲い掛かる。
音の壁は円筒形の筒のように殺葵の身体を封じ込め、その壁は殺葵の身体を押しつぶそうとする。だが、殺葵は余裕だ。
風が唸り声をあげ、妖刀殺羅の刃が音の壁を粉々に砕いた。その時に音はまるで硝子の壁が粉々に砕けるような音だった。
精霊の次の攻撃が殺葵に襲い掛かる。
翼をはためかせた精霊の翼から、幾本もの羽根が剣のように発射された。
妖刀殺羅は唸り声をあげた。それはまるで妖刀が生きているかのような唸り声だった。そう、殺羅は自らの糧を欲しているのだ。
放たれた羽根は全て妖刀によって防がれて、殺羅の糧となってしまった。
精霊は怒りの感情を露にして殺葵に向かって行ことしたのだが、それが不意に止まった。止めたのはファウストの意志ではない。妨害者が現れたからだ。
法衣を身に纏った女性――ファーアが精霊の前に立ちはだかったのだ。
「ファウスト、もう十分でしょう。お気がお済みなったのなら、これ以上相手に?力?を与えるようなまねはなさらないでください」
精霊はファウストの身体に戻って行った。そのファウストの表情はとても悔しそうだ。だが、このまま戦っていても、あの妖刀をどうにかしない限りは、相手に力を与えるだけである。
フィーアの身体が霞んだと思った刹那、フィーアはすでにファウストの横にいて、彼の耳元で小さく呟いた。
「エージェントのライセンスを一時的に剥奪いたします」
「…………」
いつものファウストならば、ここで皮肉の一つも相手に言うのだが、今回はここで押し留まった。しかし、ファウストの頭の中ではある考えが浮かんでいた
再び戦いは一対一の戦いになった。時雨VS殺葵、それは村雨VS殺羅の戦いでもあった。
村雨が大きく殺葵の頭上に振り下ろされる。だが、殺葵の方が早かった。
腕を上げ隙のできた時雨の腹に殺羅が突き刺さる。切っ先は柔らかい肌を突き、背中を貫いた。
「ぐはっ……」
「儚いな、時雨よ。おまえは何故そんなにも衰えてしまったのだ……」
妖刀が抜かれ血が噴出し、時雨は地面に膝を付き倒れた。
友を斬り、その力を吸収した殺葵は再び帝都タワーに向かって歩き出した。その歩みを止まる者は誰もいない。誰もが傍観者に徹しているのだ。
殺葵の足が帝都タワーの目の前で止められた。帝都タワーを見上げ、そして、彼は殺羅を地面に突き刺した。すると、地面が大きく揺れ、コンクリートにひびが入り、帝都タワーが倒壊しだしたではないか!?
殺羅は鍵の役目をしていた。その鍵を差し込むことによって、地脈のエネルギーに影響を与え、帝都タワーを倒壊させたのだ。
ワルキューレたちはタワー倒壊の被害を最小限に留めるために、帝都タワー全体を結界によって封じ込めた。これで破片や煙が外に出ることはない。
帝都タワーは瓦礫の山となり、殺葵はこの場から姿をくらませた。誰も殺葵を追うものはいない。だが、なぜ帝都政府は殺葵の横暴を見過ごすのか?
殺葵の目的とは? 帝都政府の目的とは、いったい?
ワルキューレたちが撤収する中、マナは地面に倒れている時雨のもとへ駈け寄った。
「時雨ちゃん、大丈夫かしらぁん?」
声をかけても返事がない。揺さぶってみると、少し反応があった。
「ちょっと、キツイ……」
声が出せるようであれば、重症ではあるが、時雨にしてみれば今までの経験上、軽い怪我に属すると言える。時雨はそれほどまでに修羅場をいくつも掻い潜って来たのだ。
「時雨ちゃん、あたしは仕事が残ってるから行くわねぇん」
「……薄情者」
「あらぁん、何か言ったかしら?」
「……いえ、別に」
時雨を残しマナは本当にこの場を去ってしまった。普通の人間ならば取らない行動だが、マナは普通ではない。
残された時雨は青空を見上げた。
「あはは、青いな。……ちょっと、意識が朦朧としてきた」
腹を抑えながら時雨はよろめきながら立ち上がると、ふらふらと危ない足取りで歩き出した。そして、ぼやく。
「あいつら全員、薄情者だ」
あいつらの中には帝都政府の人間も入っている。
死の淵を彷徨いながらも時雨は自らタクシーを拾って、病院へと急いだ。車中での時雨の記憶はほとんどない。彼が覚えていることといえば、川の向こうの綺麗な花畑で金髪の美女が自分を呼んでいたくらいだ。
タクシーは帝都一の異質な病院――帝都病院の前で止まった。
時雨はタクシーの運転手に肩を借りながら病院の中に入り、ケチな時雨はチップを上乗せしてタクシー料金を払い、運転手と別れた。?肩を貸して?くれたタクシー運転手が、今の時雨には救いの神のように思えたのだ。ちょっとしたマナたちへの反発心である。
担架に乗せられ、時雨は手術室へとすぐさま運ばれた。その手術室は特別な手術室で、この病院の院長のみが使用する手術室だ。
手術台の上に乗せられた時雨にはひとりの看護婦が付き添っている。彼女は時雨に優しい態度で察してくれて、止血の処理を素早くやってくれた。今の時雨にはまさに白衣の天使に見えている。
が、肝心の院長が来ない。時雨が普通の人間であれば、とっくに出血多量で死んでいるほど待たされている。実際は輸血をされているので血は減らないが、それでも傷口はまだ開いたままだ。
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)