旧説帝都エデン
病は気から
「くしゅん!」
時雨[シグレ]の可愛らしいくしゃみが部屋に木霊する。
鼻をすすり辛そうな顔をする時雨の顔をハルナがまじまじと覗き込んできた。
「だいじょぶですか、テンチョ」
「完全に風邪だよコレ、くしゅん!」
2月もあと残すところ数日、四季は春に移ろいつつある。この時期注意しなくてはいけないことの一つに風邪の予防があげられるだろう。
『いつのボクはお茶飲んでるから平気だよ』と自信満々に言っていた時雨だったのだが、ついに風邪の間の手が彼に襲い掛かった。しかも、時雨は季節の変わり目には必ずと言っていいほど風邪を引いているらしい。
時雨は顔を真っ赤にして虚ろな瞳をしている。
「あ〜頭がガンガンするよ」
「こたつに入りながらアイスなんて食べてるからいけないんですよ〜」
「だってぇ、こたつに入りながらアイス食べのっておいしいんだよぉ」
寒い地方の中には冬にアイス屋さんがまるでやきいもを売るようにアイスを売り歩いて地域もある。人々はそのアイスを買い、暖房の効いた部屋でそれを食べながら至福の時を満喫するらしい。
時雨の風邪は彼の中で限界を越えていた。こんなに酷い風邪を引いたのは本人も数年ぶりだと言っていた。
「もうダメだ、死ぬ〜、くしゅん!」
「だったらそんな?とこ?いないで、ふとんで寝てくださいよぉ」
そんな?とこ?とは"こたつ?のことである。時雨は冬場大抵家に居るときはこの中で一日を過ごしている。しかも、こたつの周りには無駄な動きをしなくて済むようにありとあらゆる生活雑貨が置かれている。
こたつに入りながらも時雨は身体をぶるぶると震わせている。
「寒いよぉ〜、寒いよぉ〜、くしゅん!」
「病院に行って来たらどうですかぁ〜」
「ここから、出たくない」
「ばかぁ、もういいです!」
そう言ってハルナはほっぺたを膨らませ、ぷいっと後ろを向いてちょっと怒ったようすでどこかに行ってしまった。
「あ〜待ってよぉ、ハルナちゃん」
時雨はハルナに救いの手を伸ばしたが、あっさりと無視されバタンと力尽きた。
「ダメだ……死ぬ、くしゅん!」
――帝都の天使とまで呼ばれる時雨が負けた。今、ここに時雨に対する史上最強の強敵が現れた――風邪である。帝都の天使も風邪には勝てないらしい。
まあ、それも仕方ないことだった。今年の冬は外回りの仕事が多かった。外回りの仕事は副業のことなのだが、例えば帝都史上まれに見ない大雪の日に外にいたり、この街で一番高い帝都タワーの屋上で一夜を過ごしたり、冬の海を泳ぐハメになったりといくら時雨といえど風邪ぐらいひいてしまうのが当然であると言える。
部屋に春の陽気を持った歌うような声が響いた。
「……お茶入れてきましたよ」
時雨が頭を上げるとそこにはなんと、湯気の立ち上るお茶を乗せたお盆を持った女神様が立っていらっしゃるではありませんか。
「め、女神様、どうしてこんな所に?」
思わず時雨は女神に問いかけた。
「何いってるんですか、テンチョ?」
「……あっ」
時雨の前に立っているのは女神ではなくハルナであった。時雨は高熱のため意識が朦朧として、幻覚が見えたに違いない。
「お茶入れてきましたから、冷めないうちにどーぞ」
ハルナは時雨にお茶を差し出した。
「あ、どうも」
恐縮しながら片手を頭の後ろに乗せ苦笑いを浮かべた時雨は、ハルナにお茶を手渡されると、ふーふーと何度も口で冷ましてから一口頂いた。お茶好きのくせして猫舌なのである。
「はぁ〜生き返るぅ」
ちなみにこのお茶は100グラム5000円の高級玉露である。雑貨店の経営だけでは到底一日に何杯も飲めない代物である。
そんな高級茶を飲んでいた時雨に不幸が襲い掛かってきた。
「時雨ちゃ〜ん!」
どすっ!! ぶはっ!! どすっ!!(後ろからどつかれた時雨、思わずお茶を吹き出す時雨、こたつに頭をぶつけた時雨)。
「……痛い」
時雨はゆっくりと頭を上げ、ぎこちない動きで後ろを振り向いた。
「マナ……かな?」
マナっぽい人物が時雨の前に立っているのだが、どうも違うような気もする?
「風邪引いちゃったのよ」
彼女は特大マスクを付けていて、顔を見ただけでは誰だか識別できない。時雨が彼女だと気づけたのは、彼女特有の服装のおかげだった。
時雨は溢したお茶をティッシュで拭きながら聞いた。
「どうしたのたかが風邪でそんな大きいマスク付けて?」
「そうね、時雨ちゃんは知らないのね。あたしの風邪がどんなものか……」
「普通の風邪じゃないの?」
「お話中申し訳ありません、お茶入れて来たんですけど」
ハルナ嬢がお茶をマナに差し出した。
「ありがとう、ハルナちゃん」
マナは差し出されたお茶を飲もうとマスクを外したとたん。
「くしゅん!!」
その瞬間、マナがくしゃみをしたとたん信じられないことが起こった。
どーん! という音と共に家の屋根が天高く舞い上がったのだ。
「……あっ」
時雨は上空を見上げ口をぽか〜んと空けそのまま硬直した。
「あらん、また、やちゃったわん」
時雨は首を元に位置に戻すと『……?』という表情をした。
「また?」
「風邪を引いてると魔力のコントロールがうまくできなくなっちゃうのよ」
目を丸くしたままのハルナが聞いた。
「それで屋根が飛んじゃったんですかぁ?」
「そうみたいねぇん」
その言葉を聞いた時雨はあまりいい顔をしていない。
「そうみたいって、どういうこと?」
「くしゃみをすると魔力が一時的に開放されちゃうんだけど……」
「「だけど……?」」
時雨とハルナが声を合わせて同時に聞いた。
「何が起こるかわからないのいねぇん」
「まるでパル○ンテみたいだなぁ」
「パル○ンテってなんですかぁ?」
「パル○ンテはねぇ、ドラ○エってゲームに出てくる魔法なんだけど、何が起こるかわからない魔法で、魔人が出てきたり、会心の一撃だけになったり、まぁそんなとこかな」
「テンチョの説明よくわからないですぅ〜」
「まぁいいよそんなこと」
「よくないですよぉ〜」
「あっ、それより新しいお茶入れてきてくれる?」
時雨は湯飲みをハルナに手渡すと満面の笑みを浮かべた。この笑顔は誰をも魅了する魔力を持つと言われる魔性の笑みなのだが、ハルナには効かなかった。この必殺技は身内には効いた試しがない。
「お茶なら自分で入れてください」
「しょうがないなぁ」
時雨はしぶしぶ重い腰をゆっくりと上げると、『よいしょ』というじじくさいかけ声と同時に立ち上がり、手を上に伸ばしながら伸びをしてあくびをした。
こたつから出た時雨はばっちりいつもの黒いロングコートを着込んでいた。そこまで寒がりなのか、このコートにはなにか重大な秘密があるのだろうか?
「時雨ちゃ〜ん、あたしにもお茶」
マナは時雨に湯のみを差出し、時雨はそれを受け取ると重い足取りで台所に向かおうとしたのだが――。
「くしゅん!!」
ゴン! 時雨は部屋を出ようとした瞬間、見えない壁によってそれを遮られた。
「……何?」
頭を押え彼は何が起こったのかわからないまま、空[クウ]を叩いてみた。すると、何か壁のような手ごたえがある。
「あらん、またやっちゃったみたいねぇん」
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)