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亨利(ヘンリー)
亨利(ヘンリー)
novelistID. 60014
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僕か君は、がんで死ぬ。

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 もし、がんだった場合に治療できるだけのお金があるか心配だった。加入している生命保険では、入院に関して1日当たり多少の保険金が出るが、がん治療に特化したものではなく、十分とは思えなかった。しかもこの頃、仕事上ある組合に加入していたのを、月の会費が高いので退会してしまっていた。もし退会していなければ、大きな手術でも、組合から治療費が支払われるはずだったのに。
 僕はがんではないかという恐怖に怯える毎日だった。テレビでがんを話題にしている番組があると、すぐにチャンネルを変えた。がん患者が感動的な死を迎えるであろうドラマのCMを見て、腹も立った。こんなテーマのお涙頂戴的な演出に、何が感動なのかと。決してそんなに軽いものではない。自分がその当事者になって初めて、直面するかもしれない未来を見せられることに、この上ない不快感を禁じ得なかった。


 また3日後、診察を受けたが、既に、肺から血が出るようなことはなくなっていた。呼吸器科の医師の話では、腫瘍マーカーの値は低かったようだ。
「この数値ですと、がんである確証はまだ無いんですが、レントゲンとかCTの画像を見る限り、がんの可能性は覚悟された方がいいと思います」
「やっぱり、がんでしょうか?」
「私はそう思っています。内科の先生も同じ意見でしたが、レントゲン科の先生は、まだ判らないと言っていました」
「来月、ホノルルマラソンに出るつもりだったんですが、無理ですよね」
「今はそんなことを言っている場合じゃありません」
「・・・ですね。どんな治療が必要になるんでしょうか?」
「最悪、右の肺は全摘出する必要があります」
「・・・・・・」
僕はあまりの事に言葉が出なかった。
「でも、左の肺はきれいですから、それでも呼吸は大丈夫です」
「それで、直りますか?」
「転移している可能性も考慮すれば、もって半年。来年の春までもつかどうかです」
「・・・・・・」
やはり、言葉が出なかった。
「でも、今までの検査結果では、がんであるという証拠は見つかっていません。まずは、肺の出来物を直接検査しましょう」
「手術でですか?」
「いいえ、今はまだ胸は切り開かず、口から肺にカメラを入れて、出来物の細胞を切り取って、悪性か良性かの検査が出来ます。その物を検査すれば、はっきりします」
 カメラを入れるのは1週間後、今更慌てても手遅れと判っているので、急ぐ必要など無いそうだ。

 この時点で初めて、家族にがんである可能性が高いことを打ち明けた。それまで妻は何も言わなかったが、その心配はしていたらしく、僕と同じく生命保険の内容を調べていたようだ。会社には、そのことは報告しなかった。死ぬにしてもギリギリまで働かないと生活できないからだ。妻は専業主婦だったが、すぐに仕事を探すように言った。
 僕は自分の人生をじっくり振り返ってみた。その時それが“半生”と呼べるのか、“人生すべて”と呼ばなくてはいけないのか、そんなことに気付いて、心臓がぎゅっと誰かに握られたかのような、痛みにも似た感覚を味わった。
 何か遣り残したことがあるのか。いいや何も無い。子供は欲しかったが、まだいない。妻もまだ若いので、やり直すことも出来る。生命保険は死後支払われるから、妻のその後の生活はまず心配は無い。いろいろと考えていると解ったことは、自分が死んでも何も残らないという事だった。これが現実なのだ。誰も死ぬことなど真剣に考えて生きてなどいない。でも、死ぬと判った時に冷静に考えてみれば、何もかも諦めが着くと言う、意外な結論だった。


 肺にカメラを入れる日が来た。この日は妻も病院に来て、待合室で側にいてくれた。まず処置室で、麻酔を吸入した。コンプレッサーで霧状にした薬を吸い込こんでいくというものだったが、その時ちょっとした問題があった。口に当てたゴムの吸い口の味が苦手で、うまく咥えていられなかったのだ。僕は海でシュノーケルを口に咥えてえずくほど、ゴムの味が苦手だった。
 30分もすれば、口の中の感覚が無くなると聞いていたが、麻酔がよだれで薄まり、まったく効果が無かった。それでさらに30分追加で吸入させられたが、それでも麻酔が効いているという感覚は無かった。そして検査室に移動した。妻はその前の廊下で待つことになった。僕は呼吸器科の医師から説明を聞いた。
「このカメラを口から、食道ではなく気管に挿入して行きます。気管に入れる時が一番難しいのですが、麻酔が効いてますので、ちょっと我慢してもらえれば大丈夫です」
「それが先生。あまり麻酔が効いてらっしゃらないそうですが」
看護師の女性が口を挟んだ。
「あれ? 口の中の感覚ありますか?」
「はい。・・・普段どおりです」
「どれだけ吸入した?」
医師は看護師に聞いた。
「2回分です」
「それなら多分、大丈夫だろう」
「一応、モルヒネ準備しますか?」
(モルヒネ? そんなもの使うのか?)と思った。
「3本用意して」
(3本も?)驚いて医師の顔を見たので、医師は僕に対してこう説明した。
「もし、痛みに耐えられなかったら、3本を限度にモルヒネを打ちます。肩に打ちますが、結構痛いので我慢してください」
「はい。解りました」
僕はカメラを飲むだけだと思っていたが、どんなに難しい事をするのかと、少し不安になった。

 直径2センチに満たないほどのカメラの先端に、小さなハサミが付いているようだった。看護師の一人が長いコードを支えて持っている。それを医師はモニター画面を見ながら、口の中に押し込んで行った。
「少し痛いですよー」
医師が小さな声で言ったかと思うと、確かに痛みが喉に感じられた。この医師はそんなポイントを熟知しているんだなと少し安心した。しかしその後、喉の奥に閊えてしまった。少し戻してまた奥に入れる。でも先に進まない。
「喉を楽に、息を吐いてください」
僕は「はあー」と息を吐いた。その瞬間を狙って、カメラを押し込もうとするが、また閊えてしまう。激しい痛みを感じ、「おえっ」とえずくばかりで、カメラは先に進まない。別の看護師も、横を向いて横たわる僕の背中を擦ってくれるのだが、何も効果などなかった。ただ喉の奥が痛いだけだった。
 1本目のモルヒネが打たれた。その筋肉注射の痛い事と言えば、もう肩の筋肉を包丁で切られたような感じだ。それでも喉の奥は痛みが引かず、力を抜くことが出来ない。結局3本のモルヒネを打たれたが、僕の体は、何の変化も感じられなかった。
「普通、これで楽になるものなんですけど。途中で抜いてしまうと、また最初からになるので、このまま続けますがいいですか?」
僕は、我慢するしかないと思い。軽く手の平を上げて、瞬きしてOKと伝えた。
 医師は丁寧にカメラを押し込んで行ったが、うまく先に進めることができないようだ。僕にはモニターは見えていないが、カメラの先端がどこにあるのか、喉の感覚で大体分かっていた。つまり、麻酔などほとんど効いていなかったからだ。激しい痛みと喉の圧迫感に我慢できず、「おえっ」と何度もえずいて、ベッドの上はヨダレまみれになった。看護師が拭き取ってくれるが、口から水道のように、次から次に流れ出る。目を瞑り、何とか入ってくれと無理をしていると、