僕か君は、がんで死ぬ。
僕か君は、がんで死ぬ。
ちょっと前、“がん”がテーマの健康セミナーに参加した時は確か、日本人の3人に1人が、がんで亡くなっていると聞かされたと思う。現在では、2人に1人はがんを患っているそうだ。
目の前にいる人たちの半分は、がんで死ぬかもしれないのか。もう他人事じゃいられないじゃないか。
10kmを歩くというのは、案外簡単だ。30歳の頃の僕はそう感じた。年末に妻とホノルルマラソンに参加しようと、初秋からトレーニングを開始していた。
普段からあまり歩かない僕が、42.195kmを走るという挑戦は、あまりに無謀と言える。でも、たった1回、試しに10km歩いてみると、足はパンパンになったが、ふくらはぎはすごく硬くなり、力強くなった気がした。翌日の筋肉痛も心地よいくらいに感じて、また長距離を歩こうと思った。
僕がフルマラソンを完走するために立てた練習計画は、妻の体力も考慮して、毎週7日間のうちに合計42.195kmを、分割して走るというものだった。その日のコンディションによって、5kmだけ走る日もあれば、8km走る日もある。とにかくこの基準を守れば、12月には一気に、フルマラソンくらい、なんとか走れるようになっているだろうと思った。
10月までは順調にことが進んでいた。来月には、倍の距離を目標に走ろうかなと考えていた矢先、背中に違和感を覚えた。
「背骨がずれたかな?」
何やら、背中の関節が詰まったような違和感は、やがて痛みに変化した。3日後には歩くのも困難になって、当然仕事も休むことになった。
病院に行くとレントゲンを撮って、貼り薬だけ処方され、安静にするように言われた。自宅のベッドに、ただ横たわるだけの日が、1週間も続くことになろうとは。
立ち上がろうとすると、背中に激痛が走り、動けなくなる。咳や欠伸さえできない。うっかりクシャミでもすると、その痛みで気絶してしまいそうだったから。
ヘルニアの症状だと思ったが、手術するのも怖い。マラソンも諦めなくてはならないかもしれない。僕はこのまま症状が治まるのならその方がいいと考えて、やっぱりベッドでじっとして過ごした。
やがて、痛みは引いて、また普通に生活できるようになった。しかし、ランニングを再開するには問題を抱えていた。今度はやたら咳き込むようになったのだ。1週間以上、咳やクシャミを我慢したからなのか、きっと肺の中の雑菌が排出されずに、繁殖してしまったのだろうと思った。でも、たかが咳、薬を飲めば、すぐに良くなるだろうと思っていた。
それから1週間、毎日咳が出た。一向に止まらない。仕事を長く休んだせいで、残業と休日出勤で、病院に行く暇が無い。妻は早く病院に行くように勧めたが、とにかく一時凌ぎの咳止めだけで乗り切るしかなかった。
やがて咳は乾いた音から湿った音へと変化して行った。肺の中でゴロゴロと音がする。咳と同時に黄色い痰がでた。これを見て僕は、治りかけているんだろうと思ってしまった。なぜなら、風邪を引いて鼻水が出ると、直りかけの時には、青っぱなへと変化することが多いからだ。
でも寝ていても咳が止まらない。ゴロゴロという感覚は日増しにひどくなる一方だ。痰を吐くと血が混ざることもあった。そろそろ病院に行かないとまずいと思い始めていたが、なかなか行くことができなかった。ちょっとその気になれば行けただろうに、それでもまだ何とかなるかと、成り行き任せにしていた。そんな日が2週間近く続いた。
ある朝、咳込んで目が覚めた。いつもそうだったが、この日はちょっと違った。大量の痰を吐きたくなったのだ。僕は洗面所で痰を吐こうとしたら、肺の中の物が勝手に込み上げて来て、洗面台に口から垂れ流す羽目となった。しかし、きゃぷきゃぷと口から流れ出たのは、洗面台が真っ赤に染まるほどの鮮血だった。僕はこの瞬間すべてを後悔した。仕事などと言ってる場合じゃなかった。明らかに肺は良くない状態だったのだ。それは解っていたはず。でも、面倒くさがりの性格なのか、こんなになるまで気が付かないなんて。
すぐに、病院に駆け込んだ。診察した内科医は、レントゲンを撮った。僕が診察室に戻って来た時、その内科医は難しい顔で、モニターを凝視していた。僕にもその画像が見えた。そしてショックを隠せなかった。僕の右の肺は、すべて真っ白な影に覆われていたのだ。
内科医はすぐに検査をすることにした。僕は肩にツベルクリン液を皮内注射された。つまり、結核を疑われていわけだ。この日はそれで帰された。午後からは会社に行こうと思えば行けたが、内科医から隔離が必要かもしれないと言われていたので、自宅から出ないようにした。そして誰にもレントゲンのことは話さなかった。
3日後、検査結果が出た。ツベルクリン反応は陰性で問題なかったが、内科医はこう言った。
「反応が薄いだけかもしれません。もう一度別の方法で、検査してみましょう」
そして、もう一度注射を受けて帰宅した。
前回処方された抗生物質のおかげで、肺の調子は少し楽になって来ていたので、その日の午後から会社に行くことにした。
そして更に3日後、また検査結果を確認しに病院に行った。しかし、この日は前回までの内科医の診察ではなく、呼吸器科の医師の診察を受けた。そして、僕の病名は結核では無かったようだ。
「結核で無いとすると、もっと詳しく調べる必要があります。CT検査にかけてみましょう」
その医師はこう言うと、僕に造影剤を投与した。そして、僕は初めてCTスキャンを受けた。
ただ横になっているだけで、全身を包むハイテク装置に少しワクワクしていたが、結果がとても心配だった。スキャン画像はすぐにモニターに映し出された。
「判りました。これが原因ですね」
医師が指差す画像には、肺の内壁に、なにやら他の部分と明らかに違うものが見えた。
「5〜6センチぐらいの大きさです」
右の肺の底部に、小指ほどの長い膨らみが貼り付くようにして映っていた。
「これは何なんですか?」
「この出来物が右の肺に悪さしています。どういったものかは更に詳しく調べる必要があります」
僕は不安になった。いいや、今更不安になったのではない。ずっと不安だった。それを何とか楽観的に考えようとしていただけだったのだが、この映像を見れば、肺の中に何かが出来ているのは、もう変えようの無い事実だった。
「これで、ようやく治療に移れます。この出来物をどうするかを、これから考えて行きましょう」
その後、耳たぶから採血された。僕はこれが何の検査か知っている。腫瘍マーカーだ。僕がとてもお世話になっている方の奥様ががんで、治療効果の確認のために、この検査を受けていることを聞いていたからだ。
11月になり、もうマラソンの練習どころではなくなってしまっていた。ただ、既にレースにはエントリーして、旅行代金も支払った後だったので、少しでも返金されるなら、キャンセルするべきかどうか悩んだ。
作品名:僕か君は、がんで死ぬ。 作家名:亨利(ヘンリー)