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茨城政府

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7.描けない現実


 眩しいわけでもなく、ただ全てが白に包まれた一瞬。
 いや、長かったのか?気分も悪くないから立ち眩みや貧血ではない。ただ、全てが真っ白になっただけ。現実の事だったのかさえ自信がない。とにかく誰かに確かめたい。
「今のは」
 何も変わらないグランド跡の緑。手にしていたハンカチで汗を拭う間も惜しんで篠崎が口を開く、
「何ですか、ね。真っ白くなりましたよね。無音だったし。無音で耳を塞がれたような」
 古川も答えあぐねる。戦地を何度も生き抜いてきたジャーナリスト、そして今や評論家としても名の通ったこの男でさえ表現に乏しい。そう、間近で爆発が起きた時、聴覚の限度を超えた悲鳴にも似た耳鳴りが去った後の無音。それを隣の男に説明するのは難しい。
 彼らの耳に思い出したように蝉の鳴き声が戻る。が、そこに今までにはなかった種類の音が急激に存在感を増して二人の耳を圧する。
 周囲の道路を見渡す古川と、「まさか」と空を仰ぐ篠崎。篠崎には聞き覚えのある低く太く轟くその音は、車やバイクのようなエンジン音ではあるが、今時の省エネで静かな自動車のそれとは異なる。もっと昔、そう、音も走る楽しみだった頃の車に似た音、しかしもっと低く。そして太く大きな音。あの時もそう思った。1995年5月、龍ヶ崎飛行場。はしゃぐ美晴のショートボブに眩しいぐらいの白いうなじ、彼女が指差す先には、初めて動く実物を目の当たりにした感激が迫っていた。そして、それが今再び目の前に蘇る。
「ええっ?しかし何故」
あの時と同じ形が向かってくる。一拍置いて、思い出したかのようにカメラの連射音が響く。
「あれは。なんで?」
博物館内での撮影だったため、古川が手にしたレンズは望遠ではないが、めいいっぱいズームしたファインダーに信じられないものを捉え絶句する。
そして彼らの頭上を轟音が過ぎ去る。
「零戦、ですよね。」
「ゼロ戦ですね。」
呆然と立ち尽くす2人の傍らにはいつの来たのか館員が過ぎ去った機影を呆然と見つめている。
「もしかして博物館のイベントですか?いやー本格的ですね。まるで本物だ。」
篠崎は引きつった顔に笑顔を浮かべる。
「いえ、そのようなイベントはありません。それにあれ、本物じゃないですか?」
その言葉に一同が固唾を飲んだ。背筋に冷たいものが走る。

−いったいどうなってるんだ?−
基地に近づいているはずの隅田はすっかり変わってしまった景色に戸惑いを隠せない。涸沼川と筑波山。地形はそのままだが、眼下には縦横無尽に張り巡らされたコンクリートの道路とそこを走るカラフルな車。そして箱型の大小の建物がひしめく。滑走路だった場所にV字の道路はあるが、車が走り建物が立ち並び滑走路の体をなしていない。着陸を断念した先には隅田の記憶とは異なる緑地帯が広がりその奥に変わらない物を見つけた。
「司令部だっ」
思わず叫んだ隅田にとって、自分の存在が間違っていないことを証明してくれている唯一の存在。すがるように機首を向けて高度を下げる。司令部の建物の周辺は変わり果てていたが、号令台も健在だ。
−あんなに古びていただろうか−
違和感を感じながら、確かめるように司令部の前にいる3人の男たちに視線を移す。見た事のない服装だが軍服でないことは明らかだ。そして一人がこちらに黒い物を向けている。反射的に操縦桿を引こうとした瞬間にそれがレンズであることを理解した。カメラの類だろうがかなり大きなレンズだ。
−一体どうなってるんだ?−
さっきから何度目だろうか、同じ呟きを唱えても隅田の知る世界は現れなかった。変わらないのはこの零戦と俺自身。このエンジンの音と振動だけが己の存在を証明してくれている。このエンジンが止まるとき俺はどうなるのだろうか。
「しまった」
背筋に冷たいものが走る。あまりの環境の変化に燃料の事を忘れていたのだ。
 まだこの国に防空する意思も余力ものあった頃は完全武装で燃料も満タンの機体で警急待機(スクランブル)をしていたが、殆どの機体は空襲されても燃えにくいように燃料を抜かれている。燃料不足の問題もあり、全ての機体の腹を満たせない事情もあるが。
 俺が飛び乗ったこの零戦も御多分に漏れず燃料切れ寸前だった。さっきの空戦で燃料を使い果たしてしまっていたのだ。空戦は通常の飛行の何倍もの燃料を食う。昔は気を付けていたが、どこに落ちても日本。本土上空が主戦場となり、空戦前に燃料を見る癖がなくなってしまったらしい。
−筑波空が駄目なら、百里原か−
とにかく高度を上げる。燃料が切れたらグライダーのように滑空するしかない。そのためには高度が必要だ。

−−−茨城県 小美玉市 航空自衛隊 百里基地−−−
 日曜日の基地は閑散としている。ジェットエンジンの音もなく、静まり返った駐機場(エプロン)に飛行機の姿はない。その後ろの格納庫群も大きな扉を閉じ巨大な蒲鉾形を横たえている。傍から見れば自衛官も公務員なのだということを実感できる風景だ。だが実際には違う。駐機場を中央に南西から北東に伸びた2本の平行滑走路。その滑走路の南西の端近くに孤立した2棟の格納庫にはスクランブル発進に備えて24時間待機の戦闘機が2機ずつ計4機、今か今かとその時を待っている。アラートハンガーと呼ばれるその格納庫には待機室があり、パイロットと整備員が24時間交代で任務についている。スクランブルが下令されれば彼らは一目散に駆け出し、それぞれの役割を果たす。2機ずつで任務に就く彼らは、最初の2機を発進させるまで5分も掛からない。防衛上の機密で正確な時間は公表されていないが、通常の飛行であれば離陸まで最短でも30分は掛かるものを即時発進の状態で24時間維持する苦労は並大抵ではないだろう。
 スクランブル発進の任務は大まかに2種類ある。ひとつは領空へ近づく飛行計画の提出されていない未確認飛行物体の確認、勿論それが外国の軍用機の場合は退去を促す。
 そしてもうひとつは、民生支援だ。例えば大地震の被害状況確認やハイジャックや事故など民間航空機の緊急事態などである。戦闘機の分野を越えた任務であるが、最短を求める緊急時においてスクランブル待機の戦闘機に勝るものはない。
 他にも航空自衛隊では救難ヘリと捜索機で編成された救難部隊や輸送機部隊も24時間待機を行っている。
 彼らは日々土日も昼夜もなくこの国とそこに住む人々の平和を守っているのだった。
 今、待機室の電話が鳴り担当官が「スクランブル!」と叫びスクランブル発令のベルを鳴らす。先ほど発生した白い発光について憶測を並べ立てていた隊員達は何かに弾かれたように格納庫へと駆け出した。
 パイロットが愛機F−2Aの梯子を登りコックピットに収まった時には、既にある者は翼を潜り抜け、ある者は首を横切って配置につき各々の仕事に取り掛かっていた。同時に格納庫の大きな扉が左右に開かれ、起動されたエンジンの低い唸り声が甲高い金属音に変わり基地の静寂を破る。安全装置関係の赤いタグを外した整備員がパイロットに向かってタグを頭上に掲げて見せる。パイロットは親指を立てて確認したことを伝える。
作品名:茨城政府 作家名:篠塚飛樹