茨城政府
「おいおい、そもそも日本を締め上げて真珠湾攻撃をさせたのはアメリカ。あんたの国だろう。しかも日本に奇襲を受けたとか言っておきながら、日本の外交電報の暗号解読に成功していて宣戦布告されるのを事前に知ってたっていうのは今となっては有名な話だぜ。」
間髪を入れずにアントンが突っ込みを入れる。
「いや、けしかけたのはウチのチャーチルかもしれん。それに経済包囲網で締め上げたのはイギリスもオランダも同罪だ。特に石油を一滴も売らなくなったのはキツイな。彼らにとっては時限爆弾のスイッチを押したのと一緒だったんだろうな。
そういえばここ数年北朝鮮への制裁でも石油が含まれてるが、制限しているだけでゼロにはしていないからな。あんたの国も多少は勉強したってことかもな。」
リックが苦笑交じりに言った。
「おいおい北朝鮮まで持ち出すか?でもジャップの場合はフランスが持ってたベトナムに侵攻したからだろ。
それはさておき、リックが言ってるのはドイツに苦戦していたチャーチルがアメリカに参戦して欲しかったということだろ?イギリスには武器援助をしていたしな。だがイギリスだけじゃない。長らく日本と戦争をしていた中国、といっても蒋介石の中華民国にだが、かなり初期の段階から武器援助をしていた。しかも始まりは傭兵だったがアメリカ人からなる航空部隊も派遣していた。
ルーズベルトにしてみりゃチャーチルや蒋介石に負けてもらっちゃ困るが、国内世論はアジアやヨーロッパの戦争に首を突っ込むことに反対だったし、当のルーズベルトは「戦争はしない」という公約をして大統領になったんだから、「戦争がしたくなりました。」とは口が裂けても言えない。」
「それで『ハル・ノート』か。」
アントンが呟いた。
日米交渉の最後通牒と言われた『ハル・ノート』だが、日米交渉のきっかけは太平洋戦争に遡ること4年前の1937年に勃発した支那事変(日中戦争)にある。
日本と戦う蒋介石政権(重慶政府)に援助を続けるアメリカとイギリスによって、泥沼化していった戦争を打開するため、日本は1940年9月、蒋介石政権への最大の補給ルート(援蒋ルート)である北部仏印(フランス領インドシナ北部(現ベトナム北部))に軍隊を進駐させた。これはドイツ占領下のフランス政府(ヴィシー政府)との合意を得たものだったが、中国での蒋介石政権を認めずに和平派の汪兆銘政権(南京政権)を承認した事、さらには日独伊三国同盟の締結で、それらに対抗したアメリカは航空機用ガソリンや屑鉄の禁輸など、対日経済制裁をエスカレートさせ、1940年頃の日米関係は悪化の一途をたどっていた。日本ではABCD包囲網とも呼ばれているアメリカ、イギリス、中国、オランダによる日本への経済封鎖もこの頃の話だ。
アメリカに重要資源のほとんどを依存していた日本にとって日米関係の修復は死活問題であり、アメリカとしてもドイツに苦戦するイギリス援助に本腰を入れるため、日本との対立という二正面作戦を避ける必要があった。このため1941年4月から野村吉三郎駐アメリカ大使とコーデル・ハル国務長官のあいだで日米交渉が始まったのだった。交渉が続く中、7月に日本軍は南部仏印に進駐。これもフランス政府(ヴィシー政府)との合意を得たものだったが、アメリカは在米の日本資産を凍結、翌8月には石油全面禁輸を表明した。野村大使は本国に協力者の増援を要請、外交官の来栖三郎等を派遣した。さらに8月末には同盟国ドイツから日米交渉を打ち切るよう勧告を受けるが、それでも日本は粘り強く交渉を続けたのだった。最終的に日本は甲案と、妥協案である乙案を持って臨んだが、暗号解読により、アメリカ側は日本側の妥協案の存在はおろか、11月25日という交渉期限まで掴んでいたため、交渉決裂が日米戦争を招くことも予測していたという。結局期限が11月29日に延期されたが、当然アメリカもそれを把握していた。
日本側の妥協案であり最後の切り札でもある乙案は、以下の5項目であった。
『日本側が示した乙案』
1.日米は仏印以外の東南アジア及び南太平洋諸地域に武力進出を行わない
2.日本は日中和平成立又は太平洋地域の公正な平和確立後、仏印から撤兵。本協定成立後、日本は南部仏印駐留の兵力を北部仏印に移動させる用意があることを宣す
3.日米は蘭印(オランダ領東インド)において必要資源を得られるよう相互協力する
4.日米は通商関係を資産凍結前に復帰する。米は所要の石油の対日供給を約束する
5.米は日中両国の和平に関する努力に支障を与えるような行動を慎む
この乙案は、日本陸軍の中枢である参謀本部が交渉成立を恐れるほど陸軍にとっては屈辱的なものであった。アメリカにとっては、日本が妥協案でさえ求めている『蒋介石援助の停止』がネックとなったが、日本の甲案に相当する基礎協定案、乙案に相当する暫定協定案が検討されることとなった。だが最終的には暫定協定案は破棄され、妥協のない基礎協定案のみ示されることとなった。この基礎協定案が『ハル・ノート』と呼ばれている。
「ま、結果としてな。でも解せないことがある。国務長官だったコーデル・ハルが日米交渉を始めたのは1941年の4月だったが、なかなか建設的なものだったらしい。だが、最終的には日本が到底飲めないような条件を提示した。
暗号解読で、かなり譲歩した乙案が日本の最終案であることと、そいつには期限が課せられていたこと、つまり、決裂したら戦争になる。ってことをアメリカ側は知っていたんだ。なのに日本を追い詰めた。
その『ハル・ノート』の叩き台となった基礎協定案は、誰が作ったと思う?」
「ハル本人じゃないってことか?ハルの部下が書いたとか?」
リックは大袈裟に聞き返す。
「確か、財務長官がハルの国務省を通さずに私案として大統領に直接提出したってやつじゃなかったか?」
リックとは対照的な無表情でアントンが返す。
「何だ、知ってたのか。流石だな。その財務長官の名前をから『モーゲンソー試案』とも呼ばれているが、実際に作ったのはその部下の財務省特別補佐官ハリー・ホワイトだったんだ。しかもそいつがソビエトのスパイだったってことは知ってるか?」
「ああ、今じゃ有名な話だ。政府や役所にソビエトのスパイがウヨウヨいたんだ。」
当たり前のように答えるアントンは不機嫌そうにさえ見える。
「有名な話、って、俺は知らないけどな。」
リックは話を聞くのに夢中にだったのか、すっかり氷が解けて薄くなったスコッチを飲み干した。
「俺も有名な話だとは思わなかったぜ。」
リチャードは拍子抜けしたようにつぶやく。
「ま、有名は言い過ぎたかもな、でも、いくらドイツが共通の敵だからって、ふつうはアメリカが共産国のソビエトに大量の武器や物資を援助したりはしないだろ?あれがなかったらソビエトはドイツに負けていたかもしれない。で、『解せないこと』ってどんなことだ?」
アントンの言葉に、我が意を得たりとばかりに勢いを取り戻したリチャードが続ける。