④全能神ゼウスの神
「ヘラ様は…消えてしまったんでしょう?あの虹色の光が強すぎて…フェアリーの力のせいで、消えてしまったんでしょう??」
「…そうじゃない。」
「サタン様から聞きました。悪魔でも、下位の者は私が触れると破裂して消滅する、と。それなら…ヘラ様だって…ん!」
言い募る私の顔に、リカ様がクッションを押し付ける。
「…おまえのせいじゃない。私のせいだ。」
そう言う声は、掠れてふるえていた。
力のゆるんだリカ様の手からクッションが落ちると、目の前の黒い瞳が、みるみる間に潤んでいくのが見える。
「あの時、おまえが庇ってくれなかったら、私もヘラも消えていた。どちらにしても、ヘラを守ることが私にはできなかった。」
そして、流れ星のように、ぽろりと雫がこぼれ落ちた。
「…私は…ヘラを…人間でも、全能神でも…守りきれなかった…。」
次々と生まれる雫が、リカ様の形の良い頬を濡らしていく。
「…姉ひとり守れない私に、おまえを守れるわけがない。」
濡れた黒い瞳が、虚ろに私をとらえた。
「もう…守れなくて辛い思いをするのは…嫌だ…。だから、大事なものはもう傍に置かない…。」
(『大事なもの』)
(私のことも、『大事』と思ってくれてるってことですか?)
「…っく…。」
小さく頷きながら嗚咽を漏らすと、彫像のように整ったリカ様の顔が悲痛に歪んだ。
(抱きしめて、慰めたいのに…。)
『今、ゼウスであることを後悔している。』
ヘラ様に言った時のリカ様の気持ちが、痛いほどよくわかる。
「今、フェアリーであることを後悔してます…。」
私の言葉に、虚ろだったリカ様の瞳がわずかに見開かれた。
「抱きしめて、その苦しみを…痛みを分かち合いたいのに…触れることができないなんて…!」
そう言って悔し涙が滲んだ瞬間、私は力強く抱き寄せられる。
まばゆい光と甘い香りと共に、暖かさが身体中を包み込んだ。
「リ…リカ様!?」
(このままじゃ…!)
私が離れようと身動ぐと、リカ様は更に抱きしめる力を強める。
何も言わず、ただただきつく私を抱きしめるリカ様の体は微かにふるえていた。
(痛みを、分けてくれてるのかな…。)
私はリカ様の背を包み込むように、そっと腕をまわした。
「リカ様。守ってくれなくて、いいんです。」
私がその背を撫でながら言うと、リカ様の体のふるえが止まる。
私たちを包み込む金色の光は、虹色に変化し始めた。
「私は、リカ様に守ってほしいんじゃなくて、お互いに支え合っていきたいんです。」
私の言葉に、リカ様は腕の力をゆるめ身を起こす。
「支え合う…。」
「はい。大事な人の苦楽を、共有できることが幸せなんです。」
「…大事な人…。」
リカ様は、おうむ返しに私の言葉を口にした。
「はい。私にとってリカ様は、死神に魂を刈ってもらってまでお傍にいたいほど、大事な人です。」
リカ様の黒い瞳が、わずかに揺れる。
「まぁ…だからストーカーってなっちゃうんでしょうね。」
えへへと自虐的に笑うと、リカ様は眉根を寄せて申し訳なさそうな顔をした。
「…ごめん…ほんとに思ってるわけじゃねーから。」
小さな声で呟くと、リカ様は腕を解く。
包まれていた体温も甘い香りも、光と共に一瞬で消え失せた。
「おまえの言う通りだ。ヘラの事を知られたくなくて…わざと遠ざけるために酷い事を言った…。」
そして小さく頭を下げる。
「ごめん。」
「…リカ様…。」
「ほんとは、おまえの作る菓子や料理…もっと食べたい…。」
ぼそっと呟くリカ様の頬は珍しく赤く、照れたように口をへの字に曲げた。
(か…可愛い!)
「…可愛い言うな。」
更に頬を赤くしながら怒るリカ様に、私は慌てて頭を下げた。
「!すみません!」
すっかり涙が落ち着いたリカ様は、床に落ちたクッションを拾う。
「…やっぱり心が読めてるんですね。」
私が少し口を尖らせて言うと、リカ様が小さく息を吐いた。
「実は、ゼウスの時の力がまるまる残ってるっぽい。」
「そ…そうなんですか!?」
リカ様は小さく頷くと、クッションを胸に抱く。
「あのゼウスから堕ちた時、最後の力をふりしぼって魔道界に飛んだんだ。」
言いながら、そのクッションをぎゅっと強く抱きしめた。
「私は…ヘラも連れてきたつもりだったんだけど…。」
悲しげに揺れるその黒い瞳を見つめるうちに、ヘラ様がいないことに気づいた時のリカ様の気持ちを想像し、目頭が熱くなる。
「…なんで、めいが泣きそうなんだよ。」
(めい。)
ここに来て、久しぶりに名前を呼んでもらえ、嬉しさのあまり涙がこぼれ落ちた。
「めい…。」
そう呟いた瞬間、瞼をぺろっと舐められる。
「!!」
「涙はしょっぱ。」
キラッと輝きながらいたずらっ子のような笑顔を浮かべるリカ様に、私の鼓動が大きく跳ねた。
「ヘラのこと、思い出すといっつも辛いから逃げてたけど、なんか今は冷静に思い出せる…。」
光を取り戻した黒い瞳が、優しく弧を描く。
「これが、『苦楽を分かち合う』ってことなんだな。初めて知ったよ。」
凛とした表情でリカ様が微笑むと、私の心にも体にも力がみなぎってきた。
「はい。私も今、リカ様から力を頂きました。」
すると、リカ様は心の底から嬉しそうに、私の頭を撫でる。
「そ。」
キラリと光る中、二人で笑みを交わした。
「魔道界に来た時、お体は大丈夫だったんですか?」
私が気遣うと、リカ様は床にあぐらをかいて、クッションを胸に抱く。
「ん。ぼろぼろだったけど、ここで養生してオーラが回復したら、ゼウスん時と同じことができるようになってた。」
そう言ったとたん、リカ様の顔が憂鬱そうに曇った。
「でも、ゼウスにはもう戻りたくねぇ。」
(…そうだよね…。)
無表情で、感情を持たない人形のようだったリカ様を思い出す。
プロビデンスの間では負のオーラに暴露して苦しみ、人々の祈りに応えられず胸を痛めていた。
ひとりで宇宙の均衡を保つ重圧を常に背負うゼウスは、あまりにも過酷だった。
「はい。」
私は大きく頷いて、同意した。
「リカ様が生きやすいのが、一番です。」
にこっと笑うと、リカ様は目を逸らしながらクッションに顔を埋める。
「…なんでめいがそんなに嬉しそうなんだよ。」
クッションからのぞくリカ様の耳は、ほんのり赤く染まっていた。
「でも、正直…宇宙のことも気になる…。」
くぐもった声で呟くリカ様に、私の胸が熱くなる。
(『宇宙がどうなろうと関係ない』)
(サタン様に言ってたけど、やっぱりこの人は優しくて責任感が強い…。)
「リカ様がご自分が幸せな方を選ばれるなら、私はどんなところでもお供します。」
私がきっぱりと言い切ると、リカ様がクッションから顔を上げた。
「そして苦しいことがあれば、私も一緒に闘います。」
(もう、ひとりで闘わないで。)
(二人なら、幸せは2倍になるし、どんな困難も半分になるから。)
「…。」
私の心の声が聞こえているのだろう。