④全能神ゼウスの神
リカの素顔
「その袋、クッキー?」
私が袖口にボタンを縫い付けると、リカ様は優雅にそのシャツを羽織った。
そしてそのままカウチに横たわりながら、色気たっぷりにこちらを斜めに見つめる。
それはさながら帝国の王様のようで、ゼウスから堕ちたとはいっても神の王そのものだった。
「あ、これは…また作り直します!」
私は、サッと袋を背に隠す。
(陽に踏まれて粉々になっちゃってるし…。)
すると、リカ様が「ふーん」とソファーに頬杖をついた。
「サタンにはあげんのに、私にはくれねーんだ?」
珍しく、拗ねたような口調のリカ様にドキッと鼓動が跳ねる。
「ガトーショコラ、美味しかったからさ。それも美味しいんじゃねーの?」
(美味しかった!!)
リカ様の言葉が嬉しくて、私は思わず頬が綻んだ。
(無事なの、あるかな?)
一枚でも食べてほしくて袋を膝の上に置き、中を覗いてみる。
「…ダメだ…粉々…。」
ため息まじりに呟いた瞬間、その袋をサッと奪われた。
「あっ!」
声をあげる私の前で、早速リカ様は袋から欠片を取り出して口に入れる。
「ん。うま♡」
続けてもうひと欠片、優雅に摘まんだ。
「あま♡」
あまりにも嬉しそうに、美味しそうに食べてくれるので、私はリカ様をジッと見つめてしまう。
「チョコ以外も美味しいって思ったの、初めて。」
淡々とした口調だけど絶賛してもらえ、私の鼓動は高鳴るばかりだ。
そんな私を、リカ様が指を舐めながら斜めに見た。
「喉渇いた。」
甘えた声でねだるように言われ、私は蕩けそうになりながらカウチから立ち上がる。
(サタン様みたいに計算じゃなく、リカ様は天然で甘えるから…。)
「淹れてきます!台所はどこですか?」
するとリカ様が指を指した先が、道しるべのように光った。
「それ、辿って行きな。」
(なんか、ますますパワーアップしてませんか?)
カウチにうつ伏せになって一心不乱にクッキーの欠片を頬張るリカ様の魔力の強さに驚きながら、私は言われた通り光を辿って部屋を出る。
(それにしても、広いな。)
あまりの広さにキョロキョロしていると、向こうから男性3人が談笑しながら歩いてきた。
立ち止まって会釈する私に、3人も会釈を返してくれる。
けれど、その表情は戸惑っていた。
その後も歩いていると色んな人に出会うが、皆なぜか一様に驚いた表情を見せる。
(…なんか…物珍しげに見られるんだけど…。)
知らない女がうろうろしているからだろうか。
妙に注目されているようで、なんとなく居心地が悪い。
(神殿とは違って、人がたくさんいるな…。)
さまざまな年齢の人に出会うけれど、全て男性で女性がひとりもいない。
それに一様に皆、使用人という感じではない。
(ここって…なに?)
私は戸惑いながらようやくたどり着いた台所でカフェモカを淹れる。
甘めに作りながら、ヘラ様を思い出した。
(ヘラ様は、どこにいるんだろう?)
台所を見ても、ヘラ様が使うような食器類がひとつもない。
(カップとソーサーは揃ってないし、デザインも不揃いだし…これなんか、シール集めたら貰える的なキャラクターものだし。)
(しかも、リカ様とヘラ様ふたり暮らしにしては食器の数も多いし、冷蔵庫も大きい。)
その時、ふとサタン様に見せてもらった動画を思い出す。
『これ、俺の記憶なんだけど。』
私が消えた直後の、サタン様目線の動画。
陽の隙をついて、光を放って逃げたリカ様。
(あの時…ヘラ様…いた?)
心臓がどくん、と嫌な音を立てる。
(そういえば私…還る時、虹の光の中で女性の悲鳴を聞いた気がする…。)
身体中から血の気がひいていき、私はぺたんと床に座り込んだ。
「…まさか…。」
そう呟いた時、隣に人の気配を感じる。
「なにが『まさか』?」
低い声にふり返ると、いつの間にかリカ様が隣に屈んでいた。
手には、私が淹れたカフェモカとクッキーの袋。
「なかなか帰ってこないから。」
言いながらカフェモカを飲み、またクッキーの欠片を食べる。
「…なくなった…。」
紙袋に手を入れて、中身が空になったことに気づいたリカ様がガッカリした表情で私を見た。
あまりにも残念そうな様子に、私は思わずくすっと笑ってしまうけど、すぐに目を逸らす。
「…なに。」
そんな私の顔を、リカ様が覗きこんできた。
その瞬間、私の肩にリカ様の腕が軽く触れる。
すると、途端にリカ様の体が光り輝いた。
「…。」
リカ様は目を細めると、すっと身を引く。
私もパッと体を離し、身をすくめた。
そんな私を見つめながら、リカ様はカフェモカを一気に飲み干す。
「…とりあえず、戻るよ。」
リカ様はカップを流しに置き、私に空になった紙袋を差し出した。
「美味しかった。ごちそーさま。」
淡々としているのに温かさのこもった言葉に、私の胸がぎゅっとしめつけられる。
「紙袋、捨ててくれていいのに。」
リカ様の後ろにある大きなゴミ箱に袋を捨てながら苦笑すると、リカ様が優雅な足取りで台所から出ながらふり返る。
「おまえの思いのこもったもん、袋でも捨てらんねーよ。」
やわらかな弧を描いた黒い瞳。
ふっくらと持ち上がった白い頬。
上品な色気をたたえた唇。
全てが美しくて、優しくて、温かさに溢れていた。
その表情から目が離せず、心臓が激しく高鳴る。
ジッと無言で見つめる私からふいっと目を逸らすと、リカ様は背を向けて歩き始めた。
「行くよ。」
「待ってください!これ洗わなきゃ。」
「いい。片付けは当番がやる。」
(当番?)
「ん。ここは魔導師の館。独身の魔導師が共同で住んでる。」
(独身寮みたいなもんかな?)
(それで男性ばかりだったんだ…。)
(じゃあ…ヘラ様は別の場所に?)
少しホッとしながらリカ様について廊下を歩いていると、また色んな人とすれ違う。
「魔導師長、女性をお連れとは珍しいですね。」
皆、会釈するだけだったけれど、ひとりの年配の男性が興味津々な様子で話し掛けてきた。
(『珍しい』…。)
その言葉に敏感に反応した私をチラリと横目で見たリカ様が、男性にいたずらな笑顔で答える。
「これで私がノーマルだったと安心するだろ?」
すると、男性がプッとふき出して、頷いた。
「ほんとに!あまりにも女性を寄せ付けないので、みんな疑ってましたよ。『風呂場と寝室に鍵を掛け忘れるな』って!」
(女性を寄せ付けない…。)
(ヘラ様の存在を、みんな知らない?)
(…ということは…やっぱり…。)
楽しそうに笑い合うリカ様の姿はとても珍しいのに、私の胸は嫌な音を立て始め、血の気が一気にひいていく。
「大丈夫ですか!?」
ふらりとよろけた私に、男性が慌てて手を伸ばした。
けれどそれと同時に、私の体はシャボン玉に包まれる。
「こいつに触れたら、おまえ死ぬよ。」
リカ様の言葉に、男性の顔が青ざめる。
「…は!申し訳ありません!!」
(ん?)
深々と頭を下げて逃げるように立ち去る男性は、どうやら誤解したようだ。