④全能神ゼウスの神
口で勝てないと判断した陽はサタン様を鋭く睨み、サタン様の肩越しに私を見下ろした。
「キミは僕の恋人だ。今は元ゼウスの魔性に惑わされているだけ。キミの意思でないことはわかってる。僕もキミを愛してるから…浮気だ、と責めないから、いつでも帰っておいで。」
切なげに訴えてくる陽を、私は騙されまいと必死に睨み上げる。
そんな私に一瞬黒い笑顔を見せた陽は、再びサタン様に視線を戻した。
「仕事だ。すぐに神殿に戻れ。」
言いながら、その姿が消える。
静けさと穏やかな空気が戻った森に、私を包んでいたシャボン玉が弾ける小さな音が響いた。
こちらに背を向けたまま微動だにしないサタン様に、私は立ち上がって頭を下げる。
「助けてくださり、ありがとうございました!」
すると、サタン様は天を仰ぎ、大きなため息を吐いた。
「俺じゃねーよ。」
「…え?」
首を傾げる私を、サタン様がチラリとふり返る。
「リカさんだろ?」
「…。」
思わず息をのむ私からふいっと目を逸らすと、また前を向いてしまった。
「リカさんが足留めしてくれてなきゃ、今頃キミは陽に連れ去られてた。」
向けられた広い大きな背中から、サタン様の悔しさが伝わる。
手はきつく拳に握られ、微かにふるえるその後ろ姿に、私は何も言葉をかけることができない。
「結局俺は、キミをリカさんの傍に置いてあげることも、守ってやることもできないんだ…。さっきはハッタリで言ったけど…たとえゼウスに侵略されキミを奪われたとしても…サタンに勝ち目はない。」
ふるえる声で絞り出すように呟くと同時に、サタン様は黒い大きな羽根を音を立てて広げた。
「…待って!!」
思わずその羽根を掴んだ瞬間、サタン様の体がキラッと光る。
「っ、離せ!」
険しい表情で私を振りほどくようにふり返ったサタン様から、私は慌てて手を離した。
「ご…ごめんなさい!でも、ちょっとだけ待っててください!」
そう言って身を翻すと、私は猛然と小屋へ戻る。
そしてクッキーの袋を掴むと、サタン様の元へ走った。
「これ、召し上がってくださいっ!」
肩で息をしながら差し出すと、サタン様の目が大きく見開かれる。
「メールしたクッキーです!サタン様用に、ビターに作ってみました。…今日もお疲れでしょうから…。」
受け取ってもらおうと必死に言い募る私に、サタン様は切なげに微笑んでくれた。
「…そか。…ありがと。」
そして、袋を両手で受け取る。
(受け取ってくれた!)
嬉しくて、私はパッと笑顔になった。
「良かった!直接お渡しできて!」
その瞬間、サタン様がサッと目を逸らす。
そして、私の肩越しに言葉を掛けた。
「リカさん…あと、頼みます。助けたってことは…リカさんもそういうコト、なんでしょ?」
驚いてサタン様の視線を辿りふり返ると、ゆらりと時空が歪み、リカ様が現れる。
「リカ様!」
陽に踏みつけられたクッキーの袋を拾い上げると、私は無意識にリカ様に駆け寄った。
リカ様はそんな私を再びシャボン玉で包み、そのままぎゅっと抱きしめてくれる。
「良かったね、めいちゃん。」
寂しそうに微笑んだサタン様は、クッキーの袋を握りしめ、今度こそ飛び去った。
その姿が見えなくなるまで見つめていると、低い声が至近距離で聞こえる。
「ボタン、持ってる?」
唐突に訊かれ驚いてふり返ると、思いがけない近さでリカ様の黒い瞳と目が合った。
「持ってるなら、返して。」
私が頷くと、シャボン玉が割れる。
「すぐ持って来ます!」
走って小屋へ戻る私の背を、リカ様が複雑そうな表情でジッと見つめていることに、私は気づかなかった。