④全能神ゼウスの神
「うんうん。めちゃうまい!」
「お疲れの時は、甘いものが美味しいですよね。」
私がコーヒーのおかわりを淹れる間に、サタン様はあっという間に食べてしまう。
フォークをお皿に置くと、サタン様は『はーっ』と深いため息を吐いた。
「そっかー。俺のこと考えて作ってくれたのかー。ありがとう♡」
やわらかに微笑むその赤い瞳に、甘さが灯る。
陽が落ちてきてだんだん薄暗くなる室内に、甘い空気が広がり、私の鼓動が高鳴った。
「…。」
サタン様は頬杖をついて、私をジッと見つめてくる。
私はその赤い瞳に囚われたように、見つめ返した。
「めいちゃん…。」
珍しく名前を呼んだ声色は、ガトーショコラよりも甘く体の内側を舐めあげるように艶やかだった。
その甘さに囚われて視線を逸らせない私の頬へサタン様が手を伸ばした時、カタンッと外で小さな音がする。
二人同時に肩を跳ねさせ、扉をふり返った。
サタン様はすぐに自分の唇に人差し指を当てて私を見ると、赤い瞳を鋭く光らせながら、静かに扉へ移動する。
私はその間に、寝室の扉を開けた。
そして扉の影に身を潜めそっと覗くと、サタン様が勢いよく扉を開けるところだった。
すると、その扉の向こうに何かがひらりと舞い落ちるのが見える。
サタン様はそれを素早く掴むと、警戒するように扉の外を見回した。
何もいなかったのか、小さく息を吐きながら扉を閉める。
「大丈夫そうだよ。」
サタン様の言葉に私も体から緊張を解いて、寝室から出た。
「…こんなのが扉に挟まってたけど。」
いつもより低い声色で、サタン様が私に何かを差し出す。
それは、私がリカ様のために作ったガトーショコラを入れていた紙袋だった。
「…あ。」
私はサタン様からそれを受け取ると、胸にギュッと抱きしめる。
「リカ様、食べてくれたんだ…!」
嬉しくて、涙がにじみ頬がゆるむのを抑えられない。
「…リカさん…?」
サタン様が、堅い声で呟いた。
「リカさんにも、作ったんだ?」
低い声に顔を上げると、恐ろしいほど冴え渡ったサタン様の赤い瞳が、すっかり暗くなった室内に光る。
「ていうか…俺が『ついで』だったんだ。」
室内よりも暗い声色で自嘲気味に呟かれ、背筋がぞくりとふるえた。
サタン様は私を無言で見下ろした後、にこっと笑う。
「…だよねー!」
きゅうに明るくなった声色に、私は言葉が出ない。
「フェアリーちゃんは、リカさんひとすじだもんね!」
笑顔なんだけど笑ってないその声色と表情に、心臓が嫌な音を立てる。
「良かったね♪リカさん今日も見に来てくれるなんて、ちゃ~んと気に掛けてくれてたんだねー。脈ありだよ♡この調子、この調子♪これでうまくゼウスに戻る気にさせて♡」
サタン様は早口で言いながら、扉に手を掛けた。
「じゃ、また明日♪戸締まりしっかりね。」
「…あ、サタン様!」
呼び止めるものの、サタン様は暗闇に溶けるようにいなくなる。
静かに閉まった扉がまるでサタン様の心のようで、私は息苦しくなった。
(どうしてサタン様、あんな顔…。)
(なんだかとっても傷つけてしまった気がする。)
困惑しながら扉に鍵をかけ、カーテンもしっかりと閉めて、私はひとり寝室へ入る。
リカ様が持ってきてくれた紙袋をそっと開けてみると、内側に何か書かれていた。
スマホで照らしてみたら、二文字浮かび上がる。
『ごち』
(…!)
たったそれだけなのに、涙が出るほど嬉しい。
私はもう一度ギュッとそれを抱きしめると、昨日の手紙とボタンも一緒に胸に抱き、そのまま眠りに就いた。