④全能神ゼウスの神
ガトーショコラの想い
明かり取りの窓から、柔らかな碧い光が射し込む。
魔界とは思えない、小鳥らしき可愛いさえずりと穏やかな陽射しに、私はホッと息を吐き出した。
カーテンの隙間から外をうかがい、恐る恐る扉を少し開けてみる。
すると、朝の澄んだ空気が室内に滑り込み、心が一気に軽やかになった。
昨日は気づかなかった小さな花が地面に生えており、私はそれを数輪摘んでみる。
すぐに小屋に戻り、それを空き瓶に生けてテーブルに置いたところに、不躾に扉が開いた。
ドキッと跳び跳ねてふり返ると、明るい金髪がひょこっとのぞく。
「おはよー、フェアリーちゃん♡」
相変わらず魔王とは思えない軽い調子で入ってくるサタン様に、私は頬をふくらませた。
「おはようございます…って、もー!ビックリするじゃないですか!!ノックぐらいしてくださいよ!!!」
「あはは、ごめんごめん。昨日、メールが途中で途切れて心配だったからさ!プロビデンスの間に行く前に、猛ダッシュで来たんだ♪」
テーブルにパンを置きながら笑うサタン様に、胸がきゅんとなる。
「…すみません…。ありがとうございます。」
サタン様の金髪がキラリと光った。
その朝露がついた髪を手で払うと、サタン様は赤い瞳から笑みを消した。
「で、手紙って?」
私は急いで昨日の手紙をサタン様に見せる。
すると、サタン様がその赤い瞳をすっと細めた。
「…このオーラの残り香…リカさんっぽいね。」
(オーラの残り香なんて、あるんだ。)
リカ様がここに来たことは良いことだと思うのに、サタン様の表情が堅いのが気になる。
「リカさんは元々の能力が尋常じゃないくらい高いから、魔導師でもゼウス並…いやそれ以上の力を持ってるかもしれない。それなら、フェアリーちゃんがここにいることを見通してても不思議じゃないんだけど…となると、本物のゼウスにもここが見えてるってことかもしんないよね。」
言いながら、その手紙を私に返してきた。
「とりあえず、この森全体に目眩ましの結界を張っていくけど、ゼウスにどこまで通用するかわかんないからあまり目立たないようにしてて。」
「はい。」
私が頷くと、サタン様が扉に手をかけながら笑顔でふり返る。
「今日は夕方までには戻るようにするけど、なんかあったら遠慮せず連絡してきて~。」
軽い調子で手をふりながら、あっという間に飛び去ったサタン様を、私は姿が見えなくなるまで見送った。
(ほんとに、優しい人だな。)
(でもそれも全て、宇宙のため。)
(リカ様をゼウスに返り咲かせて宇宙を再び安定させる為に、私が必要だから親切にしてくれてるだけ。)
私はサタン様の優しさに甘えないよう、傲らないよう、自らを戒める。
サタン様が置いていったパンを手に取り、思わずふき出した。
「チョコパン!」
(きっと、ココアとチョコをたくさん欲しいって言ったから、私が無類のチョコ好きと思ったんだろな。)
サタン様の優しさに胸が甘くしめつけられながら、私はそのパンを頬張る。
「リカ様が喜びそう…。」
無機質なのにうっすらとほころんだ表情を想像した瞬間、私の胸がどうしようもなく高鳴った。
サタン様の優しさに甘い心地になりながらも、リカ様を思う時の鼓動の高鳴りの強さを改めて実感する。
「よし!リカ様を探すぞ!!」
私は勢いよく立ち上がると、早速カセットコンロとカップ、牛乳とチョコレートを持って外に出た。
そしてリカ様の家があった辺りで、ホットチョコを作ってみる。
(甘い香りで出てきてくれないかな…。)
エサで誘き出すような感じで複雑な気持ちだけど、このくらいしか思い付かず、とりあえず試しにやってみる。
でも、ホットチョコが冷めるまで待ってもやっぱりリカ様は現れなかった。
(そりゃそうか…。)
ガッカリするやら情けなくなるやらで項垂れながら、私は小屋へ戻る。
(まぁ、ヘラ様に作って貰えるから、ホットチョコくらいじゃ興味持ってくれないか。)
すっかり冷めたホットチョコを飲みながら、次に何をするか考えた。
(そういえば、ヘラ様は軽食しか作れないって言ってた…。)
思い返してみると、神殿で暮していた時、サンドイッチやパンケーキ、おにぎりや簡単な炒め物などしか食卓に出なかった。
「…よし!」
私は気合いを入れて立ち上がると、台所へ向かう。
実は私、調理師免許を持っていて、会社でお菓子の商品開発をしていたのだ。
(だてにマシュマロボディなんじゃないもんね!)
「よし。今日はガトーショコラいってみよう♪」
私はリカ様仕様に、甘めのガトーショコラを作る。
「サタン様は、甘いの苦手ぽいなぁ。」
サタン様用にはリキュールを少し効かせて、大人仕様に仕上げた。
「うん。上出来!」
私は出来上がったガトーショコラを袋に詰めると、もう一度リカ様の家のあたりに持って行く。
「リカ様!これ、良かったらヘラ様と召し上がってください!」
少し声を張り上げてみるけれど、鳥の声がするだけで動物すら現れなかった。
日暮れまで待ってみた私は、それを低い木に引っ掛け小屋へ戻る。
(明日、なくなってたらいいなぁ。)
わくわくしながら小屋の扉を開けると、サタン様がいた。
「!…おかえりなさい…。」
私が声を掛けたけれど、サタン様はこちらへ背中を向けたまま何も反応しない。
そっと前へ回り込んでみると、サタン様はテーブルに頬杖をついたまま眠っていた。
(そういえば今朝、プロビデンスの間に行くって言ってたな…。)
その顔は青白く、疲れきっているのが見てとれる。
きっとまた戦争があって、闇の浄化にオーラを使い果たしたのだろう。
それにも関わらず、ここへ立ち寄ってくれたサタン様に胸がじわりと温かくなる。
「ありがとうございます、サタン様。」
私はその肩にブランケットを掛けると、テーブルに置かれたサタン様の指に、人差し指をちょんっと当てた。
その瞬間、そこからまばゆい光が放たれて、サタン様が声をあげて慌てて飛び起きる。
「…!あっ…。」
一瞬、指先がふれ合っただけなのだけれど、サタン様のオーラは充分回復したようで、顔色も血色が戻り赤い瞳にも力がみなぎっていた。
「おかえりなさい、サタン様。」
私がにっこり笑うと、驚いたようにこちらを見つめていたサタン様も、その赤い瞳を半月に細めて微笑む。
「…ただいま、フェアリーちゃん。」
二人で微笑みを交わし、穏やかな空気にホッと息を漏らした。
「あ!そうだ。サタン様、これ。」
作っておいたガトーショコラをお皿に乗せて出すと、サタン様が驚いた表情で私を見上げる。
「え?フェアリーちゃんが作ったの??」
「はい。サタン様のお好みがわからなかったので、リキュールを効かせてみたんですが…お口に合えば嬉しいです。」
インスタントのコーヒーも淹れて出すと、サタン様が満面の笑顔でフォークを手に取った。
「マジか!うっわー!嬉しすぎる♡」
そして大きな口で、がぶりと食べる。
「うま!なにこれ!?」
大袈裟なくらい喜んでくれるサタン様に、私も嬉しくなった。
「ふふ。甘さ、そのくらいでいいですか?」