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古代湖の底から

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こうなれば、幾星霜を重ねたオバチャンだ。ちょっと絡んでやろうと、股の付け根を引き裂くほど、実際はさほど大した歩幅ではないが、とにかく本人ベースで大きく一歩前へと踏み出した。
「お名前は、なんて仰るの?」
 男は反対に、この熟年女の真正面からの押しに一歩後退りをする。そしてちょっと身構えて、震える声で。
「あのう、僕……、ボーヤです」

「えっ、今何と仰ったの。坊やなの?」
 意外な名前に驚いた恋慕、この瞬間思考が横道に入って行く。
 そうだわ、別れたダンナとの間に出来た子、私には30歳になる娘の哀歌(あいか)がいるわ。
 私たち未だ親離れ、子離れできず同居してるけど、互いに負けん気が強く、よくぶつかり合うわ。それにしても、近頃とみに娘が五月蠅いわよね。
 そんな憎らしい娘に比べ、このお兄さんったら、坊やだなんて、なんてノスタルジックな響きなんでしょう。
 恋慕はしばらくの物思いにふけってしまった。

 だが、ここはやっぱり関西系女流作家、その後、確かめるべきことだけはしっかりと問い質す。
「坊や、お連れさまはいらっしゃらないの?」と。
 義を見てせざるは勇無きなり、ボーヤはこう煽られて、ミッション遂行のため、、湖底から小型潜水艇で浮上し、やっと湖岸に辿り着いた。そして艇内からなんとか身を這い出させた。
 これで初上陸だ。しかし今後が心配で、ちょっと待ってくれと叫んだが、その声は無視され、潜水艇はさっさと湖底へと引き返して行った。
 こんなドタバタがあり、まだ気持ちが落ち着いていない。そんな時に、人間のメスからいきなり、「お連れさまは?」と訊かれても……、ね。
 どう返答したら良いものかと、ボーヤはしばし沈黙。

 しかし、ここに至るまで、ボーヤは円盤機内で現地TVを観て、言語はマスター済み。完璧だ。さらに人間の心情をも読み取る感性も磨いてきた。
 まっ、言ってみれば、まだまだ進化していないホモサピエンスへの成りすましはそう難しいことではない、ってことだ。
 だがボーヤは生真面目、嘘は吐けず真摯に答える。
「私の知り合いは……、あの辺りの底に」
 ボーヤが静まりかえる湖を指差すと、この作家先生は何を勘違いしたのか、「あら、あなたの彼女は……、入水なさったの?」と。
 あとは驚きの余りか、喉ちんこが目視できるほど口をポカンと開けたままで、15秒の時が刻まれた。


作品名:古代湖の底から 作家名:鮎風 遊