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古代湖の底から

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 犬種は、舌を噛むことを注意しなければならないが、アイリッシュ・レッド・アンド・ホワイト・セッター。体高が65センチメートルもある大型犬だ。
 もちろん血統書付きで、気品に満ちて凜々しい。そのためナポレオンの名にまったく名前負けしていない。
 この利口な愛犬、だが今日は、鎖を付けようとするが、これをひどく拒む。

「ナポレオン、どうしたの。早くこちらに来なさいよ」
恋慕が命令するが、犬は後退りをし、ワンワンと吠えるだけ。
 辛抱を切らせた恋慕が調教語で「ヒール(heel)!」と足下を指す。いわゆるそばに付けとコマンドするが、いつも聞き分けの良いナポレオンが今日はそれを無視。そして岸辺にドッカと陣取る大きな岩の方へといきなり駆け出した。
 それから途中途中で振り返り、ワンワンワンと。どうもこちらへ来いと言ってるようだ。
「あ〜あ、ホント仕方のない子ね」
 恋慕はナポレオンを繋ぐことを諦め、あとを追った。

 するとどうだろうか、岩陰で、一人の青年が……、いかにも茫然と、直立不動で湖を眺めているではないか。
 よく見れば、薄手の作業服のような物を身に着けている。どこかのワーカーだろうか?
 それにしても背はスラリと高く、なかなかのいい男だ。
 こういったシーンにはおよそ連れの女がいるはず。しかし、キョロキョロと辺りを見渡しても見当たらない。また影もない。
「なぜなの?」
 恋慕は作家が生業(なりわい)ゆえ、元々好奇心が強い。

「あのう、どうかされましたか?」
 恋慕は興味津々だが、その関心を押し隠し、柔らかく声を掛けてみた。
 これに男がくるりと振り返り、ニコッと恋慕に笑い返した。
 笑顔がどことなくあどけない。
 どうして?
 ふと疑問に思った恋慕だが、すぐその理由に気付いた。
 男のくせして、目がクリクリと……、その上、どことなくアヒル口。
 50歳を軽々と超えた恋慕、自分でも意外だが、母性本能をコチョコチョとくすぐられた。
 しかし、この感情以上に「まっ、ステキ!」と、遠い昔にお蔵入りした乙女心が突然復活し、豊かすぎる胸をキュンと締め付けられる。


作品名:古代湖の底から 作家名:鮎風 遊