短編集20(過去作品)
そんな私が三十歳に近くなってきて、自分の生活に少し疑問を持ってきたのである。
女性との付き合いにしても、実生活にしても何となく中途半端な生活に思えて仕方がない。仕事はいやではないが、これといって好きでもなく、もちろん生きがいを感じるところまでもない。また、これといった趣味もなく、毎日がやりがいを感じない生活になっていたのだ。
今までにそんな生活を憂いたことがないわけではない。だが、あまり深く考えることをしない私はすぐにそんな気持ちを打ち消していた。物事を考えても結局自分の行動範囲と一緒で、狭い範囲の中で袋小路に入り込むだけになり、結局また同じところに戻ってくる。いわゆる「堂々巡り」になるのだ。もう一度同じことを考えたとしても二回目以降はどうしても考えが浅くなり、結論には程遠いものとなる。したがって物事を深く考えないようになるのもしかるべきなのではなかろうか。
しかし今回のは少し複雑である。
嫌いではない仕事をこなしていることは、自分で考えているよりも意外と自分の生活の一部として身体に沁み込んでいたようである。年齢的にもそろそろ第一線の仕事というより、少し管理する側の仕事も入ってくる。
――管理するのは苦手だ――
今までもそうだった。人にやらせるより、自分でやった方が早いと思っていた私は、実践向きなのかも知れない。少し仕事に対して自分自身で疑問に感じてきたのだろう。
「松村くんは真面目で几帳面な性格だから、管理する側に立っても、しっかりやってくれるだろう」
部長にそう声を掛けられて、私は初めて自分の置かれている立場に気がついた。部長からの言葉は有難かったが、ここまで期待されているということは却ってプレッシャーでもある。まず何から手を付けていいのか分からないのである。
その日の私はいつものように起床し、トーストにハムエッグと、お気に入りの朝食を済ませた。テレビはいつものごとくつけていて、ニュースも気になるのがあれば気に掛けるが、ほとんど天気予報のためにつけているようなものだった。
部屋にはトーストの香ばしい香りが充満していて、朝の食欲のなさを忘れさせてくれる。起きてすぐは私に限らず食欲がない人も多いことだろう。
朝食を嗜めながらの時間帯が天気予報の時間である。口に広がる溶けたバターを楽しみながらテレビを見ていると、漠然と見ているのだが、風景が写った時など、画面の中に入り込んだような気になる時がある。錯覚なのだが、心地よい錯覚である。
「本日の降水確率は0%、朝から太平洋高気圧が張り出し、雲ひとつない快晴となるでしょう」
気候予報士のおねえさんがパネルに映し出された天気図を見ながら手に持っている棒で指差した。
「今日は、快晴っか」
思わず呟いたが、今日の画像は面白いものだった。
もうすでに秋風が吹き始め、山などは秋の行楽シーズンに突入しているにも関わらず、画面いっぱいに広がっている景色は、グレーが基調であった。
夏の間はさぞかし多かったであろうが、秋風が吹く今頃は、閑古鳥が鳴いている。これほど人がいるいないで景色が違うものかと、私の目は画面に釘づけになった。
――秋の海――
まさに、誰もいない海である。
砂浜にはゴミが散乱していて、痛々しさを残しているが、
「夏草や つわものどもが 夢の跡」
という句を引き合いに出して、今の惨状を表現している。
自然を大切にすることをスローガンに掲げている放送局なので、たまにこうして警告のような画像を流すことがある。映し出された光景を見て、何人の人が共感したであろうか。
私はむしろ、ゴミによる惨状というよりも、海の方に集中していた。暑い夏には少々汚い海でも、どことなく綺麗に見えたのだが、今は濁りがある淀みとしてしか見えない。まるで生クリームを溶かしたコーヒーのような色になっていて、今自分の飲んでいるコーヒーがブラックであることがホッと胸を撫で下ろさせる。
さすが夏を過ぎると波も荒いようである。中継リポーターもそれには触れていて、
「夏には絶対に感じることが出来ない海の荒々しさを感じることができます」
と、強風が吹く中、リポートしている。
画像が、水平線の方へと移り変わっていく。荒い波であるが、遠くにいけばいくほど波を感じなくなっていくようだ。どんよりと曇った空との境目を確認することは不可能だった。
――水平線の向こうには何があるのだろう?
と感じながら見ていると、次第に画面に入り込んでいくような気がしてくる。画面が次第にフィードバックしてきても確認できない水平線がとても気になってしまった。
風は相変わらず強そうで、雲の流れも早そうだ。曇天の空にいかにも合う波の高さに思えた。
――近くの海水浴場だな――
潮風が苦手であまり海に近づくことのなかった私だったので、海水浴シーズンに立ち寄ることはなかった。会社の連中からも誘いを受けたことがあったが、いつも何とか誤魔化していた。
小学生の頃に潮干狩りに行った時、翌日熱を出した。体から出てくる汗を感じながら思い出すのは潮干狩りでの海のことだった。思い出せば余計に気持ち悪くなる。そんな想いがトラウマとなって今も残っているのだろう。
――今の時期なら大丈夫だな、たまには誰もいない海というのを見てみたい――
そう感じたのがすべての始まりだった。考え始めると、いてもたってもいられなくなるのが私の性格で、気がつけば会社に「病気だ」と電話していた。もちろん「仮病」である。
――会社には貢献しているので、たまにはいいだろう――
まるでひと夏の経験を想像する女子高生のように私の気持ちは高鳴った。もちろん、女子高生の気持ちが分かるわけはないのだが、同じような気持ちなのだろうと信じて疑わなかった。
後ろめたさがないわけではない。しかし仕事も一段落していることだし、
――栄気を養ってさらなるよい仕事をするためにも必要なことだ――
と自分に言い聞かせると、自然と後ろめたさも退いていった。
――どうせ誰もいない海なんだ。分かりっこないさ――
という思いが私を誘う気持ちに拍車を掛けたのかも知れない。
気持ちはすでに固まってしまっていた。
その海水浴場というのは変わっていて、入り江のようになったところなのだが、まわりは断崖絶壁とも言える高い山に囲まれている。山を越えると漁港になっていて、釣り客が泊まると、おいしい魚料理を出してくれるらしく、夏は民宿も兼ねていた。
――民宿って今の時期もやっているのだろうか?
これも疑問の一つだった。だが、つりは年中できるからやっているだろう。
家からは電車で二時間も乗れば海水浴場だ。都会に近く、まわりを山に囲まれていて、海には縁遠いところなので、さすがにそれくらいの時間は掛かるのだ。別に用意するものもなく、とりあえず、道中の退屈しのぎに、以前買っていていずれ読もうと思っていた文庫本だけを持って家を出た。駅までの数分がこの日はあっという間だったことは言うまでもない。
作品名:短編集20(過去作品) 作家名:森本晃次