暁の獅子 黄昏の乙女
「失礼、お嬢さん。ビジュー侯爵に貴女と踊る権利を譲って頂きました。お相手を」
壁際にいたシルヴィーに優雅な仕草で手を差し伸べたのは、黒髪と青い瞳の、落ち着いた感じの青年貴族だった。
仮面を着けていても男にしては随分と綺麗な青年である事が容易に覗える。
シルヴィーは、ヴェールの影からじっと青年を見詰め、差し出された手に優雅な仕草で己の手を重ねた。
滑り出すように滑らかなステップでホールの中央に躍り出た二人は、忽ち注目の的になった。
「ダンスは苦手のように言っていたけど、とんだご謙遜だね、あの姫君は」
「なぁ、エクラー。レオンが本気を出して踊ってるんじゃないか?」
「う~ん。どうもそうみたいだねぇ」
人混みから離れて小声で交わす二人の会話を聞き付ける者はいない。
レオニードは、どんな催しの時でも決してダンスの上手と言われた事はない。
武人としても為政者としても飛び抜けて高い評価を得ている上に、男にしては綺麗としか表現出来ないほどの美貌を兼ね備えた王が社交術の要であるダンスまで上手である事が知れ渡ると、群がる俗物が増えて面倒だ、と嫌がり、エクラーのアドバイスで態と隠しているのだ。
以来、王はどんな相手とでも本気で踊る事をしなかった。
そのレオニードが、本気を出して踊っている事に気付いて,エクラーもライドも驚愕した。
《ダンスは苦手のように言っておられたと、侯爵から伺ったが、とんだご謙遜のようだ》
《……貴方がお上手なのでしょう?私は本当に人前で踊るのもこれが初めてです》
踊りながら交わされる会話はカストル王国と国交のある国の公用語だ。
【外国語も堪能ですね】
【国境に住まう者の特権ですわ。あらゆる国の商人が通りますから】
『商人と遭っても身に着くというわけではないでしょう』
『通訳を介しての会話などまどろっこしいと思うかどうかですわ。高貴な都の方々は下々の者と直接言葉を交わす事はお嫌いだとか』
〔そうとも限りませんが。……王などはお忍びで街に出ているようですよ〕
〔……それは陛下らしい事をなさいますのね〕
〈王とご一緒されてご覧になるか?〉
〈……私などでは無理でしょうに〉
笑みを浮かべながらも淡々と答えるシルヴィーに、レオニードは態と顔を近付ける。
[つれない事を言う]
[まぁ、どういう意味がおありなのでしょう?]
小首を傾げて可愛らしく答えながらも、レオニードが近付いた分だけ身を逸らして避けるシルヴィーに、レオニードは苦笑して身を引いた。
「……」
相手の意図が攫めず、自分から話し掛けてボロを出す事を恐れるシルヴィーは押し黙ってしまう。
丁度、曲が終わり、レオニードは名残惜しく感じながらも手を離した。
ざわめきが消えていたホールが、二人の手が離れてシ……ンとすると気付いた二人が顔を上げた瞬間、割れるような拍手と歓声に包まれた。
「素晴らしい!」
「全く!」
「一幅の絵を見ているようでしたな」
「そうそう。宮廷画家はおらんのか?残しておきたいではないか」
「『ヴェールの姫』はダンスの上手なのだな。相手は誰だろう?」
貴公子の素性は詮索法度の不文律を破りかねない勢いである。
壁の花に徹していたエクラーは溜息を吐き、ライドは肩を竦めた。
「だからあの王様は……」
「承知していてもあの『ヴェールの姫』と踊ってみたかったって事なんじゃないか?」
「何の為に?」
何の為に?
本人に直接問い質せば良いのだと、エクラーとライドが視線を上げた時には、レオニードの姿は広間から消えていた。
シルヴィーの周りに集まった貴公子達は、我先にとダンスを申し込んでいる。
シルヴィーは物慣れない風情で、けれど確実に伯爵位以上の家柄の出身の青年からの申し込みしか受け付けなかった。
作品名:暁の獅子 黄昏の乙女 作家名:亜梨沙