暁の獅子 黄昏の乙女
「今宵は無礼講。私の後ろに控えおる騎士達が皆様と踊る栄誉を授けて下さいますようお願い致します」
エクラーの口上が終わらない内に、後ろに控えていた騎士達がぞろぞろと階段を降りて広間の姫君達に近付く。
皆一様に仮面で顔を隠し正体が解らないようにしている。
エクラーに見惚れていた最前列の姫君などは、真っ先に騎士に言い寄られ頬を染めてその手を取っている。
シルヴィーはさっさと壁際まで下がってしまい、居並ぶ姫君達を盾にするように姿を隠してしまう。同じように壁際まで下がってしまう姫君が他にも数人いた。
その姫君達の行動を、2階に設えられた席から見下ろしている眼がある事に多くの姫君は気付いていなかった。
「ほほう。流石はメイヤーローズ大公令嬢。真っ先に壁際まで下がって姿を隠しましたぞ」
「前宰相、ヴァルカス侯爵の孫姫もですぞ」
「いやいや流石ですな」
「そう言えば、巷で『ヴェールの姫』などと呼ばれて噂になっているフルール伯爵令嬢も壁際に下がったようですが……」
「は?ああ、あの……」
「偶然でしょう。若しくはダンスが苦手なのではありませんか?」
「左様左様。あのような田舎貴族の娘が、心得ているとも思えませんよ」
ダンス曲が優雅に流れるとはいえ、声を潜める事もせずに話している貴族達から離れた位置に、図書館に通うシルヴィーを真剣な目で見ていた美青年がいた。
「陛下」
すぐ後ろに付いている黒髪の青年が声を潜めて呼び掛ける。
「噂の『ヴェールの姫』は年寄り共の評判は悪いようだな」
興味深そうににやりと口元を歪めて囁く王の後ろから広間を見下ろして、ライド・ヴェンタールは頷いた。
「左様ですね。ですがあの姫君も、態々人の注意を引く為にやっている事でしょう?年寄り受けしないのは覚悟の上ではありませんか?」
名門の伯爵家とはいえ田舎貴族の姫如き、並みいるライバルが勢揃いしている以上、控え目にしていては人の印象には残るまいという計算くらいは出来るだろう。
「おや、エクラーが噂の姫君にダンスを申し込んだようだ」
「えっ?」
驚いて視線を戻すと、確かにエクラー・ビジューが『ヴェールの姫』に丁寧な仕草でダンスを申し込んでいる。
国境近くの謂わば辺境に住まう姫君は、優雅な仕草で丁寧にエクラーの申し込みを断っているようだ。
「ほう?」
表向き姫君達の歓迎会と称しているこの舞踏会は、裏では事実上の第1次審査なのである。
この国の王妃は例え無礼講の席でも身分の低い者とのダンスは好ましくないとされる。許されるのは手柄を立てた騎士などに褒賞としてダンスの相手をする場合だけである。無礼講とエクラーは口上したが、それでも最初と最後の曲は国王以外とは踊らないのが王妃としての嗜みだ。
「あの姫君は田舎暮らしの割によく知っているみたいだね」
「図書館の書物には一遍も記されていない事柄だからな。お?エクラーが粘っているな」
口八丁手八丁のエクラー・ビジューの巧みな誘いを、『ヴェールの姫』は上手に躱してしまったようだ。
「やるな♪」
「すごいな……」
本気で感心しているライドを横目に、レオニードの海より青いと称される瞳に、鋭い光が一瞬浮かんで消える。
見れば執拗に食い下がるエクラーに根負けしたのか、『ヴェールの姫』はとうとう頷いたようだ。
それでも最初の曲に関しては逃げ切られたようである。
「あの姫は承知で逃げ切ったのか、単にダンスが苦手なだけなのか。興味深い事だ」
「へ、陛下?」
ライドが嫌な予感を覚えて主君を見遣ると、姿を見られないように肩から掛けていたとばかり思っていたマントの下には、会場で姫君達と踊る役目の騎士達と同じ服装を身に着けている。
「大丈夫だ、ライド。こうして鬘を被って仮面で顔を隠せば誰も私とは気付かないさ」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせるカストルの若き王は、ライドと同じ黒髪の鬘と騎士達と同じ仮面を翳して見せた。
「…………」
諦めの溜息を吐いて、ライドはレオニードに背中を叩かれながら皆に紛れる為に仮面を着けて広間に足を踏み入れた。
この主君は滅多にこんな茶目っ気を出す事はしない。その分、一度言い出すと自身納得を見るまで後には引かないのだ。
黒髪の鬘を被ってトレード・マークの金髪を隠し仮面を着けたところで、レオニードの絶世の美貌と身に付いた威厳を隠す術はない。王が紛れ込んだ事はすぐに気付かれるに違いないのだ。
少なくともエクラーはすぐに気付くだろう。
発覚した時の事を思うと今から頭が痛いライドである。
作品名:暁の獅子 黄昏の乙女 作家名:亜梨沙