東京人コンパ
海の方に戻ると、すごい波だった。
「まずい。海が荒れている。すごい波だ」
忠信が言った。
「帰れるかしら?」
沙織が言った。
「じゃあ海上の波はひどいから、なるべく海の下の方を泳ごう。はじめの地点まで七十メートルほどだ。そんな遠くない」
「あれっ?俺のゲージがもうこんなに少ない」
早見が言った。
「しまった。空気が漏れていたんだ」
「ゲージでみて一番多く残っていてレギュレーターが二つあるのは、久美ちゃん。久美ちゃんが多いから、久美ちゃんのもう一個のレギュレーターを使わせてくれ」
そう言って皆水に潜った。
そしてあとは僕と早見と久美だけが残った。
「さあ、行こう」と僕が言うと久美はBCジャケットを脱いだ。
「どうしたの?」
僕が尋ねると、
「私は人と身体をくっつけ合うのは嫌だわ。BCジャケット貸すから、私はスキンダイビングで戻る」
「七十メートルもあるんだ。息が続くわけないだろ」早見が言った。「でも私は嫌」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないだろ。僕のレギュレーターは一つなんだ。それとも僕のBCジャケットを久美ちゃんに貸して、僕と早見がくっついていくか?」
「じゃあ私が宮澤君のレギュレーターを使うってこと?人が口をつけたレギュレーターを使うのは嫌だわ」
「分かった。じゃあ俺がスキンで行く」早見がそう言って、七十メートルもの距離を早見はスキンで行こうとした。「危ない。自殺行為だ」俺が言うと、
「じゃあどうすれば……」早見が言った。
「じゃあ、私がスキンで行く」久美がそう言うと、
「それだったら」
早見はそう言ってほとんど空のタンクとレギュレーターを捨てて、シュノーケリングで海に挑んだ。
そして僕は早見の後をくっつくようにして行った。三十メートル程行ったところで、明らかに息が続かず、早見は浮上しようとした。
“この波で浮上したら危ない”
僕は早見に身体をぴったりつけ自分が吸っていたレギュレーターを早見に差し出した。三十秒くらいしただろうか。僕が苦しくなったら、早見は僕にレギュレーターを差し出した。二人でレギュレーター交換しながら無事元の陸に戻ることが出来た。僕達の異変についていたみんなは
「どういうこと?」沙織が訊いた。
早見が事情を話した。沙織は、
「久美あなた何様のつもりよ。早見君が死ぬところだったのよ。ありえない。はっきり言うわ。あなたは性格ブスね。一番ひどい女だわ。もうあなたとは潜らない。あなたが参加するときは私が辞退する」
久美は俯いていた。そしてシクシク泣いた。「泣きたいのはこっちよ。あんた本当腐った女よ」杏がそう冷たく言った。
「私、私恐いのよ」
久美が言った。「私みんなとまじわるのが恐いのよ。みんなと水入らずになって、混ざり合って、自分をさらされるのが恐いのよ。私は悲しい女よ。黒紫色のような目立たない心の持ち主よ。分かっているわよ。私みんなと混ざるのが恐いのよ。お嬢様って地元の人にもこの集まりからも言われて、どんどん行き場を、失っていく感じ。私みんなに仲間に入れてもらえない感覚があって、だからと言って私もみんなの仲に入る勇気がなくて。自分の中の暗いものを語り合えるみんなが羨ましくて。私は悲しい女よ。悲しい女なのよ」
皆言葉を失った。その久美の嗚咽はこの不可解な事情はなんなんだ?そう感じさせる何かがあった。
そしてその悲劇のような日帰り旅行は幕を閉じた。