東京人コンパ
そして三ヵ月が経ち、僕達は二年の春になり、発表会の日が来た。
みなガチガチに緊張した。杏はみんなを取り仕切る。
「みんな大丈夫。いつもどおりやればいいだけよ」
そういう杏の声も震えている。
「私達の前、すごい盛り上がったね」晴菜が言うと
「何も考えない。杏の言うとおり、いつもどおりやるだけだ」と忠信が言った。
「次はジャックナイフの皆さんです」アナウンスが流れる。
僕と久美も顔を合わせ、
「よし、行くぞ」
そう言って僕達は舞台に立った。
僕達が演奏する客席の前の方で、早見と沙織と幸久が応援に来てくれている。観客は総勢五十人くらいのものだった。
僕は歌っている最中声が震えそうになった。晴菜も杏も少しミスった。
ただ頭の中が真っ白のまま演奏は終わった。
そしてステージを降りた。
「もう死ぬかと思った。緊張した」と晴菜が言った。
「頑張ったよ。頑張ったよ。最初にしては頑張ったよ」杏もそう言う。
そのあと、参加したアーティストさんでイベント会場で集まりがあった。参加したアーティスト全員にビールが配られた。僕達二十歳未満はコーラだった。
「君達ジャックナイフ?」アーティストの一人から話しかけられた。
「はい。そうです。宜しくお願いします」
「何でバンドやってるの?」
僕は「いや……その……何かやらなきゃって思って……」
「ふーん。大学生?」
「はい。そうです。どうでしたか?僕達のステージ?」
「ああ……まあ、良かったよ。頑張ってね」そう言って歩いて行った。
先輩の言葉にみんな
「ありがとうございます」と頭を下げた。しかし杏がその先輩の足を止めた。
「本当のことを言って下さい」
みんな頭をあげた。先輩は数歩、歩いたが立ち止まり、
「えっ?」
「本当のことを言って下さい。私達のバンドひどかったでしょう?本当はどう思ってるんですか?」杏は問い詰めるように訊く。
「まあ、始めはみんなあんなもんだろ」
「それだけですか?」杏は食いついて言った。
「まあ……何ていうか?君達は何でバンドをやってるのかなあとか思っちゃって。うーん。大学生だってね。どこの大学?」
「青森十和田美大です」
「へえ、いいとこじゃん。君達音楽なんかやらないで美術の勉強して。美術の教師をやるとか。ほら、グラフィックデザイナーを目指した方がずっといいよ。もったいないよ。君達は音楽なんかやらないで……」
「でも私達、介護の仕事をして自分達のお金で楽器を買って、レッスンも受けて……」
「介護の仕事。真面目だねえ。いや本当、音楽は君達がやるもんじゃないよ。じゃあ」
そう言って先輩は立ち去ってしまった。
「僕達拒まれている?」忠信は言う。
「他の道がいい。もったいないって。一番きついアドバイスね」と杏が言った。
「ねえ辞めちゃうの。そんなことないでしょう?バンド続けるよね」晴菜は心配そうに言う。
「当たり前だろ」僕と忠信は同時に言った。
そう言ってとにかくミスが多いから。ミスをなくすため。今晩から早速練習をすることにした。
そして一ヵ月、また十和田のばら焼のイベントがあったので、そのイベントで僕達の音楽を披露することになった。今度は久美が作曲をし、自分達のオリジナルの作詞作曲だ。
「よし。行くぞ」
皆で意を決してステージに立った。
二、三人の子供が見てたが、すぐ離れていった。
また人が来てすぐ離れて、僕達の演奏中、僕達の方を見ている人などほとんどなかった。みんな、いろいろな町の牛肉、豚肉の試食で夢中だ。誰も僕達の音楽なんか聴かない。
その日もみんな沈んだ調子で別れた。僕は久美のアパートまで送って行くことにした。
「みんなミスはなくなったけど、誰も僕達の音楽を聴いてなかったね」僕が言うと、
「最初はそんなもんよ」
「楽器はいいんだよ。僕は思うんだ。確実に僕はみんなの足を引っ張っている」
久美は黙った。でも久美は僕が足を引っ張っていることを認めているようだった。
「もっとレッスンができれば、月二回のボーカルレッスンじゃ……」でもお金がない。
「なんとか節約できない?防音ステージを毎日借りるとか……」
「でもお金が……」
「そうね。お金ね。そのことはまた考えましょ」
そう言って僕達は別れた。
僕も一人アパートに帰った。
発表の前まで何日も辞めていたビールを飲んだ。
「とことん飲んでやる」
二本目も開けた。
「とことん飲んでやる。クソ!ヤロー!」
三本目を開けた。
ああ、もう何もかも嫌だ。くやしい。くやしい。くやしい。くやしい。やってられない。やってられない。やってられない。やってられない。
暗い海。
暗い海でどちらが岸か分からず、ただ漂流している。そんな暗い海が僕の心に存在している。きっと久美にも存在している。本当の話、すべての人間に暗い海は存在するのだろうけど、僕達は、つまり僕と久美は、自分の中にある暗い海を認める勇気がない。僕達の暗い海は分かりにくいし、それが暗い海なのか、そうでないのかも、はたから見たら分からない。僕はクズなのか?ただ人は大学も出て、いい就職先に就きなさいと、僕達を倦厭するだけだ。僕はクズなのか?ああいいよ。とことんクズになってやるよ。上等だ。
僕は八本目のビールを開けていた。
そして床に就いた。