東京人コンパ
僕は久美と十和田湖のロッジであんなことがあったのに。そのあと、二人だけで会う機会が少しもなかった。たまにあれは幻だったのだろうと思ったりするし、夜、いつも一人で久美のことを思ったりする。
みんな初任者研修を受けて、介護の仕事が見つかった。学校とのコネもあって五人とも同じ職場だ。デイサービスというところで、認知症の人もいるし、高次機能障害の人もいる。身体に関しても片足がマヒしている人、車椅子の人、左空間無視といって、左側の部分が見えない人がいる。その人達にとって左側の部分が見えないというよりは、「こちらにもサラダがありますよ」と常に働きかけていないと、左側は存在しないものと思えるらしい。見えないのではなく、そもそも存在していない。
そのことについて晴菜と杏と久美と僕と忠信で話し合った。
「そもそも存在しないって、不思議じゃない。さっきまであるって認識だったのに」
「それが障がいなんだよ。左空間無視の」と僕が言うと、
「障がいって厄介ね。本当介護って綺麗ごとじゃないわ。人の役に立ちたいからとかよく言う人がいるけど、それはそれなりに嫌なことに目をつむらなきゃいけないでしょ。後藤先生の話思い出すわ。利用者の立花さん。言語障害があって、私達は仕事だから話はするけど、みんな立花さんが何言っているか聴きとりづらくて話すらしないでしょ」杏は言った。
「だから私達が立花さんに寄り添うのよ。立花さんが来てくれるのいつも楽しみにしてるのよ。立花さんの笑顔を素敵よって。人が必要とされないと感じたとき、それが一番の苦痛だって。生田先生の言葉思い出すわ」と久美は言った。
「じゃあ、どっちの先生の言うことも大事だったわけだ」忠信は言った。
僕は、「結論としてはどちらも大事でまとまったと思うけど、いろんなタイプの人がいて、二つのことを同時に成し遂げるって難しいと思わない?今僕は二つのことを求められると委縮してしまう」
「私も」「私も」
杏も晴菜も言った。
僕達の介護は決して綺麗ごとじゃなくて、三人でレクリエーションをやっている間、排便をして、それを手で触ってしまい、さらにはその手を壁にこすりつけてしまう人がいる。それを処理するために、
「さあ、どっから手をつけようか」
と、ため息が出て、僕達はまずその人をお風呂場に連れていく。服も身体も便まみれなんだ。
もう一人は壁を軽く拭いてみんな利用者が帰ったあと、夜アルコールで何度も壁をゴシゴシこする。
病気は高血圧くらいしかなく、認知症以外は特に病気がないが、職員をホテルマンか何かだと思っている人がいる。マッサージチェアに座りながら、パンパンと手を叩き、
「新聞」
という人がいる。
久美は、
「新聞こことってないわよ。どうする?」
「その便のパットくるむ古新聞渡してあげれば」と杏が言った。
「かなり古いわよ」
「でも黙って読んでるじゃない」
「消費税八パーセントに増税って書いてあるわよ」
「しょうがないでしょ」
利用者のおばあさんにも可愛いおばあちゃんがいる。講習のときはおじいさんとおばあさんは、我々の人生の先輩だから可愛いと思って接しちゃいけない。まあでも可愛いおばあちゃんはいるけどね。そんな話をされた。甲内さんというおばあちゃんは小柄でいつも車椅子に乗って窓を見ながら、何もしゃべらない。
ご飯を出すと、
「こんなご馳走。ありがとうございます」と言って召し上がってくれる。
そのときの挨拶以外はいつも窓の外をずっと見ている。一緒にいる者にしか分からないのだが、本当に可愛らしいおばあちゃんだ。
あるとき、晴菜と久美が、
「甲内さんていつもああやって窓の外を見て何を考えているんだろうね」
そう言うとみんな、
「さあ」
「結婚はしてたの?」
「それがあんなにきれいな顔立ちでいるのにファイルを見ると結婚してないみたい」
「生涯?」
「そうみたいね」
そんな話をした。