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東京人コンパ

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“またあの女か”
 僕は出るなり、
「また何かようですか?」と、大きな口調で言った。
「ちょっと薫何よ。そんな大きな声出して。私よ。お母さんよ」
 母の声だった。
「母さんどうしたの?」
「今公衆電話からかけてるの。大変なことになったのよ。お父さんが」
「父さんが?」
「そう、今警察からうちに家宅捜査が入り、お父さんが事情聴取されたのよ。お父さんの会社のことで」
「会社のことで?」
「そう警察に連れて行かれるとき、母さん父さんに、『ねえ、あなた、やましいことなんてしてないわよね。無実よね』そう言うと、父さん何も言わず、私から目をそむけたの」
「じゃあ父さん何かやったの?」
「もう私何が何だか分からない。家の電話も録音されているし、どうしたらいいか」
「僕、一旦東京に帰るよ」
「そう?薫にまで迷惑かけてごめんね」
 次の日僕は七戸十和田から東京行の新幹線に乗って、東京に向かった。
 東京に着いたときは、昼の一時頃で、僕は東京駅の喫茶店に入った。
 喫茶店の中でテレビを観ていた。
“ニュースです。鮫島ホールディングの不正問題です。小柳グループと鮫島ホールディングの間に不正な取引が行われたことが明らかになりました”
 父の会社だ。
“鮫島ホールディングの宮澤雄三本社部長が不正に取引をしていたとみられ、事情聴取をしたところ、宮澤雄三氏は不正な取引はあったと、容疑を認めている模様です。警察は今後も、鮫島ホールディングと小柳グループの間に何らかの不正があったか、引き続き、調べています」
 父さんが逮捕された。父さんが。
 父さんが犯罪者だ。父さんが犯罪者だ。
 僕にいろいろなことを教えてくれた父さんが。
 いつも無口で、パーティーとは無縁の性格で、シリアスでよく目の上にしわがよる父さん。家族でベトナム旅行に行ったときのこと。
 ベトナムは日本に比べて汚い街で安っぽいバイクがいっぱい走ってて、薄汚れた屋台がいっぱいあって、父さんは僕達をそんな場所に連れてった。
「ベトナムは日本より貧しい国だ。だから犯罪も日本より多い。窃盗、強盗、そんなものも多い。世界ではそんな治安の悪い国がいっぱいある。だから警察が必要になってくる。教師が必要になってくる。牧師が必要になってくる。憲法が生まれる。政治が生まれる」
 そう父さんが僕に社会のことを教えてくれたのは一体何だったんだ。
 四時頃になり、僕は南大井の家に着く間際のことだった。僕の家に人だかりがあった。テレビカメラが僕の家を撮っている。そのカメラマンが僕に気付いた。
カメラがすごい勢いで僕をとらえた。僕は家に背を向け、必死に走った。
 取材陣が僕を追いかける。大森海岸の駅まで来たが、取材陣に追い付かれるから、僕はそのまま第一京浜を走った。
 そして平和島まで走ったところでついてくる奴らがいないことを確認して、京浜急行に乗った。
 そして品川に出て、そこから新宿に行き、新宿の街をふらふら歩いた。
 その頃は五時頃で、歌舞伎町の街をふらふら歩いた。
 風俗の売り子のようなやつらが、「お兄さん。お店お探し?女の子紹介するよ」そう僕に呼びかけた。
 大人の世界は汚れている。社会は汚れている。そんなに犯罪者のスクープが大事か。歌舞伎町のさびれたラーメン屋に入った。そこのテレビではまだ父のニュースが放送されている。
 犯罪者がさらされるのがそんなに楽しいか。同じニュースばっかりやって、これが大人の世界か。父は犯罪者だ。社会で許されない人間。否定される人間。僕にはその否定される血が流れているんだ。
 ええい。畜生。みんなクソだ。世の中狂ってる。何だ。死んでやれば許してくれるのか。それとも、このままクズとして生きて社会にさらされなければいけないのか。
 それよりこの歌舞伎町はどうなんだ。この街も立派な犯罪の街じゃないか。
 ほらまた大人が店に入った。男の欲求を解放してくれる店だろ。汚れている。
 結局甘い蜜に吸いつくのさ。蜜蜂みたいに。そうして朝目が覚めたら、はいもうおしまい。さっと血の気が引く。もう取り返しは付かないよ。そんな一時の過ちで生まれてくる子供もいるんだよ。
 大人はグロい。社会は狂っている。大人達は大して頑張ってなさそうなのに偉そうな顔をしている。あの自信の根拠はなんなの?僕は本当に自信がない。

 児童ポルノ。放火。ネットウィルス――やってんのはみんな大人達だろ。大人はみんな汚い。
 歌舞伎町で金で買える愛のやり取りと、ピュアな恋人のやり取りって一体どこがどう違うんだい?
 僕はSEXをする欲が乏しいんだ。変態なのか。新種のホモサピエンス。
 僕はSEXなんかしなくても手を握り合って見つめ合えればそれでいい。生まれつき欲がないんだ。どこか欠落しているんだ。
 愛がほしい。SEXなんかしなくても繋がってられる愛がほしい。おじいさん、おばあさんになっても海辺の公園で手をつなぎながら歩けるおじいさんとおばあさんになりたい。
 ただそれだけだよ。僕の求めていることは。ああ世界をまたに掛ける百億を稼ぐ自己啓発書なんかより、身体障がい者でありながら、お互い車椅子でスポーツをし、二人で見つめ合い、汗を拭いてあげてほほ笑み合う恋人達の微笑の方が千億倍尊いことか。

 僕はその日家に帰らず渋谷のハチ公口付近の地下に行き、そこで地べたに座り野宿をすることにした。
 社会が恐い。世間が恐い。父は裁かれる。僕だけがこんな目に……
 いや僕だけじゃない。父の汚職で苦しんでるのは……

 どうやら僕は眠ってしまい、夢を見ているようだ。ここは海の中。深い。しかも夜だ。海上がずっと遠く上にある。スキューバーダイビングをしているのか。いや、タンクもレギュレーターもない。息ができない。
「大丈夫よ」
 そこに久美がいた。
「大丈夫。海のずっと底。深い深い海の中で呼吸ができなくても大丈夫よ」
「久美、今までどこにいたんだ?」
 久美は僕の問いに答えることもなくやさしく微笑んだ。そして久美のペースで話し続けた。
「ヨブ記にこうあるわ。」
「ヨブは声に出して言った。
 私の生まれた日はほろびうせよ。
『男の子が胎に宿った』と言ったその夜も、
 その日は闇になれ。
 神もその日を顧みるな。
 光もその上を照らす」
 久美は話し終え、また僕に声をかけた。
「どうして私達は息をしなくても大丈夫か?宮澤君それが知りたいの?いいわ。教えてあげる」
 久美がスイーッと体を僕に近づけるようにこっちへ来た。
 手と手を伸ばしたら届く範囲になった。
「私達はお互い罪人の子。世間から疎んじられる子。社会からきつい仕打ちを受けるわ。でも私達だけの世界で海の中で過ごすことが許されたの。同時に神様は私達が世間に罵られる代わりに海の中でも息ができるようにして下さった」
「そうか、でも僕達はこの先どうしたらいい?」
「この先のことなんて考えなくていいのよ。今は海の中で裸で抱き合えばいいのよ」
「でも久美も僕も服を着ている」
 そう言うや否や先ほどまで雲で月が隠れていたが、月が海上から海の中まで光を照らしだした。
 よく見たら久美は服を着ていない。
作品名:東京人コンパ 作家名:松橋健一