東京人コンパ
今度ばかりは。みんなも真剣に、久美を疑って話を進めざるを得なかった。それから数日後、僕は数学Bの講義に出席したとき、久美と杏に会った。僕達は皆後ろの席に座った。 僕も杏もこの間の発注に書き加えられた字の筆跡を覚えている。
久美の右隣が杏、その右隣が僕という形で座った。僕も杏も改めて久美の字を見る。
確かにそっくりだ。
やっぱり久美が……僕と杏がそう思っていた。杏が久美に、
「久美。あなた私達に隠していることない?」そう訊いた。久美は、
「隠していること?まあ、心の中に大事にしまっていることならあるけど」
「それって……」僕が言うと、久美は、
「私の心の中に大事にしまっていることはね。マザーテレサの生き方、彼女は汽車に乗車中に、「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたの。彼女は教会を設立し、飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、愛されてない人、誰からも世話されない人のために、身を捧げたの。私もああいう生き方がしたい。マザーテレサのように生きたい」
「そう」
杏が戸惑うように、そう相槌を打った。
久美は続けた。マザーテレサ、彼女の言葉に、
“今日善い行いをしても、次の日は忘れられるでしょう。それでも善い行いを続けなさい”
そんな言葉があるわ」
「私も私の清い行いが忘れられても、裏切られても、だまされても、善いことをし続け、そして一切の見返りを求めない。そういう人になりたいわ」
彼女の言葉やそこから発せられる声の響きは、どこか牧歌的な、慎ましさと、ルネサンス期に多くの画家が描いた聖女の美しさがあった。
数学Bの講義が終わり、みんな三人ともバラバラになり、またダーツバーに向かった。僕と杏と晴菜と沙織と幸久というメンバーだった。
「また発注書に五十本書き加えられていた。もう三度目だ」幸久が言った。
「やっぱり久美がやったのかなあ」僕は言った。
今日久美と一緒に数学Bの講義を受けたけどなんか本当に訊けないのよ。字はそっくりだったけど」と杏が言った。
「私も久美を憎んでさらしもんにするつもりはないの。ただ、変なことをするのなら、変なことをしてしまうほど気持ちが不安定ならなんで私達に相談しないのよ。そんな気持ちで訊こうとしたのよ。でもそれができないのよ」沙織が言った。
「結局訊きそびれて、何も言わなかったんだ」幸久が言った。
「何も言ってないわけじゃないわ。ねえ、宮澤君。私、久美にあなた私達に何か隠していることないってちゃんと訊いたわよね」
「うん。訊いたね」
皆が沈黙した。晴菜はためらいを感じていた。「あのもしもよ。もし久美が意図的に、発注の紙に書き加えたとしたら……」晴菜は言った。
「そんな、疑ってもし違っていたら……」幸久が言うと沙織が、
「じゃあ、もし久美が発注書に書き加えるとしたらの仮説を仮説Kと呼びましょう」
「そう、仮説K」晴菜も言った。