第六章 飛翔の羅針図を
そのとき、ルイフォンは、はっと思い出した。
貧民街で〈蝿(ムスカ)〉と対峙したとき、奴は、はっきりと言っていた。
『あの駒は、鷹刀の屋敷に置いておく必要がありました。けれど、そこから動かされてしまったのなら、無理にでも運ぶしかないでしょう?』
『他ならぬ、あなたが計画を崩してくれたんですよ』
「……だから、メイシアを屋敷の外に連れ出したら、斑目の野郎が襲ってきたのか……」
癖のある前髪を掻きむしるようにして、ルイフォンが頭を抱えた。彼の安易な行動が、メイシアを危険に晒してしまったというわけだ。
ルイフォンが呻き声を上げる中、ハオリュウがためらいがちに手を上げた。
「……すみませんが、やはり僕には分かりません。イーレオさんを誘拐犯に仕立て上げたいのなら、異母姉を言葉巧みに操るよりも、芝居のできる人間を雇って、この屋敷に押しかけさせるほうが、確実ではないですか?」
「馬鹿だな、ハオリュウ」
イーレオが鼻で笑った。そして、顎をぐっと上げて、尊大に胸を張る。
「この俺が、そのへんの女に引っ掛かるわけないだろう?」
「……は?」
「どう見ても騙されている薄幸の美少女。か弱いくせに、やたら根性があって引き下がらない芯の強さ――メイシアでなければ、俺は屋敷に入れようとは思わなかった」
流し目を送られたメイシアが、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「俺を罠に掛けるためにメイシアを見つけ出してきた、その慧眼。敵ながら、あっぱれだな」
そう言ってイーレオは、人を惹き込む眼差しで、魅力的に笑う。
……最愛の異母姉が値踏みされたようで、ハオリュウの胸に不快感が沸き起こる。
――と、同時に、彼の最高の異母姉が絶賛されているのも分かるので、彼はもやもやとした、なんとも複雑な心境になった。
ふと、エルファンが顔を曇らせた。
「父上、その『慧眼』の持ち主は……」
「ああ、おそらくは……」
わずかに瞳を陰らせ、イーレオがゆっくりと首肯する。
そのやりとりに凶賊(ダリジィン)たちは顔色を変えた。各人、思うところは微妙に異なるが、皆、同じ人物を頭に描いた。――〈蝿(ムスカ)〉と名乗った男を。
あたりが澱(よど)んだ空気に包まれ、心当たりのないハオリュウは、不安を掻き立てられる。
「何かあるのですか?」
どう説明したものかと、イーレオは額に皺を寄せた。その隙に、ルイフォンがするりと口を挟む。
「こっちの情報網で引っかかった話だ。斑目は、厳月家とは別の、厄介な相手と手を組んだらしい。けど、お前が心配することじゃない」
「なんだよ。僕を部外者扱いする気か?」
「ああ。これから前線に出る俺が、気にしておけばいいだけだ」
鋭く目を光らせるルイフォンに、メイシアは、はっとした。
ルイフォンは、ハオリュウに負担をかけまいとしている。――そして、傷だらけの体で、再び危険を冒そうとしている。
「それよりハオリュウ、お前、自分がやばいことをしたって、気づいているか?」
「え?」
「斑目の目的だった『鷹刀イーレオの逮捕』を阻止したのは、主に、お前だということに気づいているか? ――俺たちとしては助かったわけだけど、斑目からすれば『当主を人質にしているのに、藤咲家が逆らった』ということになるんだが?」
ハオリュウの顔から血の気が引いていく。
「後先考えないで、行動したろ?」
「――! でも、姉様が、この屋敷に……」
「分かっている。お前は、メイシアとそっくりだからな」
「……!?」
浅はかさを指摘されたハオリュウは、てっきり嫌味が来ると思っていた。ルイフォンの真意を読み取れず、穴が空くほどに相手の顔を見つめる。
「メイシアも、お前や父親を助けたい一心で鷹刀の屋敷に飛び込んできた。お前たちの父親だって、同じ気持ちで斑目に行ったんだろうよ。いい血筋じゃねぇか。俺はそういうの、いいと思うぜ?」
ルイフォンが邪気のない顔で笑う。
――いつ、足元をすくわれるか分からない。だからミスは許されない。
ハオリュウは、平民(バイスア)の血を引く跡継ぎとして、常に張り詰めて生きてきた。結果を伴わない行動など、認められない。ましてや身内を窮地に陥れる行動など、もってのほかだ。
なのに――……。
「そういうわけだから、こいつらの父親の命は、風前の灯だろう――」
そう言いながら、音を立ててテーブルに両手を付き、ルイフォンは立ち上がった。
身を乗り出し、全員の顔との距離を近づける。好戦的な眼差しで睨(ね)めつけ、皆の注目を強引に支配下に置く。
これから俺の言うことに、有無は言わせない。――そういう、気迫。
「――だから、俺は今晩、救出に向かう」
鋭い声が食堂に響き渡った。
作品名:第六章 飛翔の羅針図を 作家名:NaN