心中未遂
見つめられることで、弥生が自分と似た考えを持っていることに気が付いた。それは不思議な力を持っているという印象があったからだ。
夢を共有しているという感覚も他の人には感じられないが、弥生には感じられた。
――この力があるから、こんな大それた計画を実行できたのだ――
理沙は完全に記憶を喪失していて、実は信二の顔も覚えていない。理沙と狂言心中させた男は、三枝の金を使って雇い入れた男だったが、信二に成りすまして見舞いに来させたのもその男だった。
よく心中の相手だって、他の人に気付かれなかったようなものだが、その男はすぐに行方をくらませたことで、病院の人はほとんど覚えていないのだろう。
それにしても、スナックに勤め始めた時の自分は、まだ子供だった頃のことを思い出すような素直な気持ちになっていたのも事実だ。子供の頃に会った刑事の目を見た時にはビックリしたが、きっと今の自分に対しての戒めと、何かを思い出させようとしての思いが何かの力となって働いたのかも知れない。
理沙が完全に記憶を失っていることを確認した穂香は、このあとどのようにすればいいのか模索していた。
ここまで計画を実行してきて、今さら何を言っているのかと自分に言い聞かせるが、計画が大それたことであればあるほど、それぞれにターニングポイントが存在している。要するに分岐点なのだが、今まで計画に没頭していたことで、その存在すら意識していなかったが、ここに至って感じた分岐点は、自分が最初から何をしてきたのかということを、顧みることを意味していたのだ。
穂香にとっての一番の誤算は、三枝を好きになってしまったことだった。最初は、
「あんなロクでもない男を作り出したんだから、ある意味では父親が一番悪い」
と、巻き込むことに対し、何ら悪びれた思いはなく、むしろ、天誅に近いイメージを持っていたのだ。
だが実際に計画を立案し、その完成度に自分に酔ってしまい、実行しているうちに、自分がまるで天に変わって罰を与えているかのような正義感の固まりに満ちていた。
しかし、分岐点を気付かずに通り過ぎたことが災いしたのか、次第に精神的に気弱さを感じてきた。
――気が付けば、私一人だわ――
しかし、それも覚悟の上でのはずだった。
――お姉さんの敵さえ討ってしまえば、私はそれで救われるんだ――
と思っていた。
しかし、実際に信二を亡き者にしてしまって大願成就を果たせば、後に残ったのは虚しさと、自分の手が汚れてしまったことで、もう元には戻れないことを、今さらながらに自覚した現実を感じたことだったのだ。
「死んだ人は、皆心中にしてあげればいいのよ」
と寂しさの中、穂香はこのままずっと模索という堂々巡りを繰り返していくことになるのだ。
また、もう一つ、穂香には誤算があった。
それは登場人物それぞれの考え方が穂香の計画とは別に独り歩きをし、さらに穂香の計画の中にいることで、普段は感じることのないような、例えば「夢の共有」などという思いを抱くことができるようになった。
穂香の計画に大きな狂いは生じなかったが、その分、穂香の気持ちの中に強く突き刺さるものがあったようだ。
分岐点を顧みることができたのもそのためなのかも知れない。穂香の誤算は、自分一人で抱え込もうとしたことが、まわりの気持ちを動かしたということだ。
――やはり一人じゃあ、何もできないんだわ――
と一人で立てた計画の愚かな部分に今さらながらに気付いていたのだ。薄幸の穂香に対して何か言葉を掛けてあげられるとすれば、
「一人で苦しむことはないんだよ」
という程度の言葉だけなのかも知れない……。
◇
それ以降、穂香の姿を見た人は誰もいない。そして、それと同時に、信二の姿も誰にも目撃されなかった。ただ、二年後に、身元不明の白骨死体が、穂香の住んでいたマンションの庭から発見された。
それはちょうど穂香の姿を誰も見なくなってからちょうど二年後だった。
捜査は坂田刑事の手によって行われた。ある程度まで分かってきて、身元も判明したのだが、坂田刑事が理沙に辿り着くこともなかった。
坂田刑事はなぜか弥生をずっと気にしていた。弥生が自殺した時に捜査したのも坂田刑事だった。弥生の元に現れたが、その時は刺激することなく、その場を離れたのも、弥生を事件に巻き込みたくないという思いがあったからだ。
刑事らしくない刑事だが、白骨死体には外傷はないことで、殺人ではなく、死体遺棄で捜査を始めた。ただ、身元が判明した時には、穂香も、三枝もこの世にはいなかったのだ。
穂香の犯行であることは明らかで、被疑者死亡ということで、書類送検されただけで事件は終わった。
弥生は、穂香がいなくなって、すぐにすっかり記憶を取り戻した。
理沙は完全に記憶を失っていたわけではなく、何とか生活ができるだけの記憶は戻ってきたのだが、その後のことは、弥生が引き受けることになった。
「穂香がいなくなった後なので、助かったわ」
と、ママが言っていたが、ママにも理沙がどれほどのショックを受けて記憶を失ったのか分かる気がしていた。
理沙も弥生と同じように、子供の頃から感じてきた自分へのイメージから、記憶を失いやすいようになっていたのかも知れない。
理沙も弥生も、もう自殺を試みようとは思わないはずだ。死ぬことなど、何度も考えることはできないだろうからである。
そういう意味では、穂香と三枝は、お互いに気持ちが最後にが通じ合ったのだろう。二人は、誰に知られるともなく、この世を去っていた。
そのことは誰も知らないのだろうが、穂香という女性の存在を、ママも弥生も忘れることはない。
「人間、一人では生きていくことはできないというけど、死ぬ時も一緒なのかも知れないわね」
弥生もママも、そう言いたい言葉をグッと堪え、顔には笑みを浮かべながら、相手が何か言いたいのをお互いに感じているのだった。
――すべてが未遂に終わっていれば、一体、私たちはどうなっていたのだろう?
と過ぎてしまった過去をいかに思い返していいのか、弥生は堂々巡りを繰り返しながら考え続けるに違いない……。
( 完 )
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