③全能神ゼウスの神
正義の罪
「行方不明…って、どういうことですか?」
私がふるえる声で訊ねると、サタン様が赤い瞳で私を斜めに見る。
「陽がゼウス様のペットを消しに行った時、フェアリーちゃんが庇ったんでしょ?」
「…はい。」
「で、その時にさ、凄まじい力の爆発があの部屋で起きたわけ。そんで俺が駆けつけてみると、ちょうどフェアリーちゃんが消える瞬間で、陽が天使じゃなくなってた。」
「…天使じゃなくなってた…。」
サタン様は、再びスマホを私に差し出した。
「これ、俺の記憶なんだけど。」
そこに映っていたのは、白銀髪に金の瞳の陽。
そして、黒髪黒瞳のゼウス…リカ様。
『何が起きたんだ!?』
サタン様の声が流れる。
その言葉に陽がこちらをふり向いた隙をついて、リカ様が最後の力をふりしぼるように光を放った。
そして、光が消えた跡にその姿はない。
『逃げたか…。』
陽の、冷ややかな呟きが流れた。
『まあ、いい。僕はあの女のおかげで、やっとゼウスになれた!』
金の瞳が、邪悪に光る。
『あの虹色の光!あれを浴びたおかげで、僕は強大な力を手に入れた!もっとも、あれのせいで向こうにも逃げる力を与えてしまったけど。』
喉の奥で笑う声に、私の背筋がふるえた。
『けど、恐らく今ので力を使い果たしただろう。エサに堕ちた元ゼウスになんて、用はない。』
(エサ!?)
ゼウス様が一番恐れていたことが起きている。
サタン様は動画を消すと、私を斜めに見つめた。
「今さ、宇宙が大変なんだ。」
「え?」
サタン様は窓に肘をつきながら、ため息を吐く。
「陽は、浄化した後に正義を入れすぎんだよ、いっつも。」
(…。)
「あ、なんでそれがダメかわかってないっしょ。」
サタン様が、からかうように笑った。
「あのね。正義と本能は半々じゃないとダメなの。本能が強すぎると、秩序が乱れ争いが増えるのはわかんだろ?」
「はい。」
「でも、正義が強すぎるほうが、実は秩序が崩壊するんだ。」
「…どうして?」
「正義が強すぎると、争いが減る。争いが減ると、競争しなくなって、発展が止まる。発展が止まると、人間の活力が弱くなる。すると生産性が減り、人口がどんどん減少し、退化していく。」
サタン様は口をへの字に曲げて、遠い目をする。
「あの人がゼウスだった時は、本当に綺麗にそのバランスが保たれていて、その星それぞれに必要な力を分配していた。だから、戦争は起きてても宇宙は安定してた。だけど…もう今はめちゃくちゃ。」
はーっと強く大きく息を吐くと、こちらに視線を戻した。
「光が強いとさ、影って濃くなるじゃん?」
私が黙って頷くと、サタン様は自嘲気味に笑う。
「今がまさにそう。正義を植え付けられた無気力な人間共は、表立って不平不満を言えないもんだから、ネットとかでその鬱憤を晴らそうとする。んで弱いヤツとか気に食わないヤツとか、そん時に叩けそうなヤツとかを匿名なのを良いことに吊し上げんだ。」
(たしかに、今そんな社会だ。)
「で、そいつが堪えきれなくなって死んでも、直接手を下したわけじゃないから特に罪悪感も感じない。」
そこまで言ったゼウス様の赤い瞳に、険が宿った。
ゼウス様は、拳骨でダッシュボードを殴る。
「おもしろ半分でいじめに加担して、相手が社会から抹殺されたり、命を絶ったりしても何とも思わねーで平気で生きてるヤツら、俺はどーしても許せねぇ!」
そして険しい表情のまま、私に向き直った。
「今のままじゃ、どの星も人間社会が腐敗し、宇宙は均衡を保てなくなる。」
サタン様の真剣な眼差しを、私は真っ直ぐに受け止める。
「リカさんを、一緒に探してくれない?」
正直、意外だった。
サタン様がこんなに真摯に宇宙のことを考えているなんて…。
誤解していた自分を反省する。
私はすぐにでも、首を縦に振りたかった。
けれど、両親の顔が過る。
「…。」
あんなにリカ様に会いたかったのに、いざそうなると躊躇ってしまう自分に腹が立った。
私がぐっと唇を噛みしめると、サタン様がハンドルに頬杖をつく。
「ま、せっかく生き返ったのに、また死ぬなんて考えられねーよな。プロポーズもされたばっかだし?」
思いがけない言葉に、驚いてサタン様を見た。
「なんで…それを?」
するとサタン様が、ニヤリと笑う。
「そりゃ、陽のほんとの狙いを知ってるからさ。」
私は、サタン様へにじり寄った。
「どういうことですか?」
声がふるえてしまうのが情けない。
サタン様は少し考えて、スマホを取り出した。
けれど、迷うように視線をさ迷わせるとすぐにそれをポケットにしまう。
「あのさ。」
サタン様はハンドルへうつ伏せになって、赤い瞳で私を見上げた。
「こいつ死神なんだけど。」
ちらりと流れる視線に導かれるように、私も後部座席を見る。
(この女刑事さん、死神だったんだ!)
地味な普通の女性に見える死神に、私は驚いた。
「こいつに魂を刈ってもらうか自分で死んでもらうかしないと、血の池には辿り着けないんだ。」
私は慌ててサタン様に向き直る。
「この間みたいに誰かに殺されたり病気や事故で死んだりしたら、御祓の泉に行っちまう。そしたら、陽に捕まえられて、リカさん探し出しても逆転は狙えねー。」
(そっか…。もうあの御祓の泉は陽のものなんだ。)
私は小さく頷いた。
「血の池に辿り着いたら、すぐに俺が助け出してやるから。」
「あの!」
サタン様の言葉を遮るように、私は声をあげる。
「なに?」
サタン様の赤い瞳が光り、私はぞくりと背筋がふるえた。
「さっき仰ってた、陽のほんとの狙いって…何ですか?」
微かにふるえる声で訊ねると、サタン様がジッと私を見る。
無言で見つめてくるサタン様が、何かを躊躇っているように感じた。
私は、拳をぐっと握る。
「私、まだ自分がなぜ命を狙われたのかわからないんです。…でも、なんとなく陽が関わってる気がして。だからプロポーズにも何か意図があるんじゃないかと素直に受け取れなくて…。」
サタン様は私を赤い瞳で無表情に見つめた後、くくっと喉の奥で笑った。
そして何かを確かめるように、私を上目遣いで見る。
そのまま運転席のドアに背を預けると、妖艶に微笑んだ。
「陽は今、どーしてもキミがほしいわけ。ゼウスの力を保つのに、キミを呼び寄せたいんだよ。」
そして、サタン様はふっと真顔になる。
「全てを知る、覚悟はある?」
(…。)
私は一瞬息を詰めると、喉をごくりと鳴らし、ゆっくりと頷いた。