②全能神ゼウスの神
悋気
「ゼウス様!急ぎプロビデンスの間へ!!」
(また?)
日課のように、ゼウス様はプロビデンスの間へ呼び出される。
「この宇宙には時空間の違う星も含めて、数億個の惑星が存在するから。」
ゼウス様は飲みかけのショコラショーを、一気に煽った。
「その惑星の1~2割に人間と呼ばれる知的生命体がいるもんだから、どっかで必ず大小さまざまな戦争は起きてる。」
飲み干したカップをヘラ様に手渡すと、立ち上がる。
「んじゃ、行くか。」
私に無機質な視線を流し、さっさと部屋を出て行った。
「もう!置いていかないでくださいよ!」
私も急いでショコラショーを飲み干すと、ヘラ様にカップを手渡しながら頭を下げる。
「ごちそうさまでした!いってきます!!」
ヘラ様はそんな私にやわらかな笑みを向けて、頷いてくれた。
「いってらっしゃい。ゼウス様を、よろしくお願いします。」
「はい!」
元気よく返事をした私は、走ってプロビデンスの間へ向かう。
御祓の泉でゼウス様に『還らなくていい』と言われてから、数日が経過した。
あの日以来、私はゼウス様のフェアリーとなり、仕事に同伴するようになった。
「今日も張り切ってるねー。」
プロビデンスの間に入った途端、サタン様にからかわれる。
そう、ゼウス様に必要とされていることが嬉しくて、つい張り切ってしまうのだ。
「やっぱゼウス様に乗り換えたんだ。」
陽が嘲笑いながら、私を一瞥する。
(すっかり嫌われちゃったな…。)
そう思った時、聞き覚えのある電子音が室内に響いた。
「あ。」
サタン様がポケットから取り出したのは、なんとスマホ。
「電源切るのがマナーだろ。」
陽が冷ややかに言うけれど、サタン様は反省する様子もなくペロッと舌を出した。
「俺さ、闇の浄化に今、チカラ入れてんの。最近どこの星でも、闇が深くてさ~。自殺も多いし、殺人も増えてきてる。そういう人権軽視なとこが戦争に繋がってる気がしてさ。だからその原因がどこにあるか探るために、血の池に辿り着いた人間の記憶を収集してんだ。そしたらちょっとおもしろい記憶が採れたみたいで、その連絡が入ったんだよ。」
(意外に真面目に働いてるんだ、サタン様!)
「ふっ。」
私の心の呟きに、小さく吹き出す声が聞こえた気がしてそちらを向くと、ゼウス様の背中が見える。
何事もなかったかのようにふるまってるけど、微かに肩がふるえているように見えるのは気のせいだろうか。
(まぁ、いいや。)
「神の国にもスマホってあるんですね。」
(神様なんて、テレパシーでやり取りしてそうなのに。)
(こんな文明の利器があるなんて。)
「どんな偏見だよ、それ。」
私の素直な感想に、ゼウス様が冷ややかな視線を向ける。
「なんで神の国だけ、文明が止まってんだよ。てか、神殿に電気が通ってる時点で気づけよ。それに、神だからって何でもできるわけじゃねーし、サタンだって真面目に働く。」
(むっ。)
「ん?なんでそこで俺?」
サタン様の言葉に被せるように、私は頬を膨らませて反論する。
「だって、ゼウス様なんかいっつも人の心を勝手に読んでるじゃないですか!」
「聞こえてくんだから、しょーがねーだろ。」
「「全能神だから。」」
ゼウス様おきまりのセリフを、私も声を重ねて言う。
すると、ゼウス様がすっと顔を逸らした。
(あ、笑いをこらえてる。)
必死で無表情を保とうとするゼウス様が可愛くて、私の頬が思わずほころぶ。
「はいはい、いちゃいちゃはそこまで~。」
サタン様がからかうように言いながら、スマホをポケットに突っ込んだ。
「うざ。」
陽が吐き捨てるように呟く。
「はいはい、悋気もそこまで~。」
サタン様が笑いながら言うと、陽が鋭くサタン様を睨んだ。
「おい、真面目にやるぞ。」
一触即発の空気を、ゼウス様の無機質な声が抑える。
陽は鼻を鳴らして顔を背けると、蒼い星に向き直った。
その星は、地球によく似ている。
「地球に似てるな、ここ…。」
同じことを思った陽の呟きに驚いてふり返ると、サファイアの瞳と視線が絡んだ。
少し熱っぽく見えるその視線に、鼓動が高鳴り目が離せなくなる。
「焼けぼっくいに火つけてないで、真面目にやるよ~。」
私と陽をからかうサタン様を、ゼウス様が横目で一瞥した。
そしてその視線が一瞬だけ私と陽に向けられた気がして、ハッとする。
けれどそう思った時には金の瞳は蒼い星を真っ直ぐに見つめていて、ゼウス様がゆっくりと手をかざしたところだった。
その瞬間、呻き声のような轟音が室内に響く。
これは、このプロビデンスの間の空間と蒼い星の時空が接続された証拠。
この轟音は、人々の負のオーラ…つまり魂の祈りや嘆きの声だそうだ。
何度聞いても、人々の苦しむ声は胸が苦しくなり、辛くなる。
みるみる間に、ゼウス様の髪と瞳が黒くなっていく。
「生物…兵器…使うなよ…。」
言いながら、ゼウス様は天を仰いで苦し気な息を吐いた。
(生物兵器!?)
(…酷い!)
「ぅ…くっ!」
生物兵器で、多くの人が凄惨な目に遭っているのだろう。
そして、その多くの人が神に祈り、救いを求め、そして救われない怒りをぶつけているのだろう…。
(ゼウス様の姿を見るにつけ、今まで神社とか人生の転機とかで気安く神様にお願い事をしてきた自分を反省する。)
人々が祈る度、ゼウス様はそこから発せされる負のオーラに暴露し、苦しむんだから。
『神は創造もしないし、救いもしない。』
ここに残ると決めた御祓の泉で、ゼウス様が教えてくれた。
『神はただ、宇宙の均衡を保つだけ。』
『どこかがほつれたり偏ったりしたら、それを修復したり調整したり補ったりするのが役目。』
『祈られても、なにもしてやれねーから辛い。』
その時の、本当に悲しげなやるせない思いに満ちた表情が、脳裏に鮮明に焼きついている。
(だから、私はこの人についていこうと決めた。)
負のオーラに暴露し、苦しむゼウス様の額から汗が滴り落ちる。
そしていつも無表情なその顔が再び苦悶に歪むと同時に、私は苦しむゼウス様の体を抱きしめた。
その瞬間、私とゼウス様を眩い光が包み込む。
光の中でゼウス様も私を力強く抱きしめ返し、首筋に唇を寄せた。
首筋にやわらかな感触と熱い吐息を感じた瞬間、体から勢いよく力を吸いとられるのがわかる。
「…ん。」
「…はっ。」
私の唇から零れた声に、ゼウス様が吐き出した熱い吐息が重なった。
ゼウス様の色が抜けていくたびに、私の体からどんどん力が抜けていく。
膝が震え立っていられなくなった私の腰を片腕で支えると、ゼウス様が掠れた声で囁いた。
「もう…いいよ。」
熱い吐息と柔らかな感触を頬に感じた後、私はシャボン玉に包まれ宙に浮く。
私を手放したゼウス様はまたみるみる間に黒く染まっていくけれど、その頃には呻き声も小さくなっていた。
「いったん、離れる。」
ゼウス様は荒い息を吐きながらシャボン玉に包まれた私を連れて、プロビデンスの間から出る。
そのままふらふらと部屋へ戻った。