②全能神ゼウスの神
過去と温かな想い
「え?」
(寝室、一緒なのに?)
(ヘラ…って呼び捨てだし…。)
私が戸惑っていると、ヘラ様が憂いを含んだ笑顔を浮かべる。
「ゼウス様は…かつてある国の王子でした。」
(うん、王子っぽい。)
「私は正妻の子、ゼウス様は奴隷の子。同じ王の子でも、身分に差がありました。」
ヘラ様はストレートの金髪をサラサラと肩からこぼれ落ちさせながら、お茶を一口飲んだ。
「でも、ゼウス様はとても美しく、とても優秀でいらしたので、父王は3人の王子の中でも特に溺愛していらっしゃいました。」
(やっぱり、人間の時から違うんだ。)
「遂には、年も身分も一番下のゼウス様に、父王は王位継承権を与えたのです。でもそれはゼウス様の兄である2人の王子たちの嫉妬を招き、それ以来、ゼウス様は命を狙われたり失脚させられそうになったりしました。けれど優秀なゼウス様には通用せず、ことごとく失敗したんです。」
そこまで言うと、ヘラ様は俯く。
「そうやって、虎視眈々とゼウス様の隙を狙う王子たちを、ゼウス様は上手にかわしていらしたのに…私のせいで…。」
伏せられた碧眼には、涙が浮かんでいた。
「私が人質として隣国の王に差し出されることになった時、ゼウス様が泣く私を遠乗りに連れて行ってくださったんです。それを…『不義密通』だ『かけおち』だと2人の王子が騒ぎ立て、遂には破談となりました。それを怒った父王が」
「…。」
ヘラ様は、押し黙ったまま何も言わない。
けれど、その先の言葉は容易に想像がついた。
「私たちを処刑した。」
低い無機質な声にふり返ると、白銀髪に金の瞳に戻ったゼウス様が裏口に寄りかかるようにして腕組みして立っていた。
「ゼウス…様。」
ふるえる声で名前を呼ぶヘラ様の傍に、ゼウス様は膝をつくとその小さな頭をそっと撫でる。
「私は、後悔してない。」
その言葉に、涙で濡れた碧眼がゆっくりと向けられた。
「男たちが野心にまみれ勝手に起こした争いに、女が巻き込まれ、犠牲になるのは許せない。」
無機質な金色の瞳と、熱を持った碧眼が絡む。
「そんな立場に立たなきゃならねぇなら、私は王になんかなりたくなかった。」
サラサラと長めの白銀の前髪が、金色の目元を隠し、その表情が見えなくなった。
「共に神の国に辿り着いて、神の王となり、こうやって姉上を守れている自身が、誇らしい。」
ゼウス様を見上げるヘラ様の頬は、とめどなく流れる大粒の涙で濡れている。
「だから姉上ももう前を向いて、幸せを探してよ。」
淡々としているけれど、やわらかさを含んだその声色に、私の胸はきゅっとしめつけられた。
それは愛しさがわきあがるようでも、切なさに押し潰されるようでもある、複雑な気持ちだった。
「だから、私はペットを持たない。」
ゼウス様はヘラ様の涙を拭ってやりながら、私へ視線を流す。
「…でも、『エサ』はいるんでしょう?」
私が訊ねると、ゼウス様は首を小さくふる。
「ゼウスに『エサ』は不要。」
(…どういうこと?)
(じゃあ、お腹空いたとき、どうするの?)
(全能神って、お腹空かないの??)
そう思った時、目の前に甘い香りのココアとサンドイッチが並べられた。
いつの間にか、泣き止んだヘラ様が用意したのだ。
「おまえも食べな。腹減ってんだろ?」
言いながら、ゼウス様はサンドイッチにかぶりつく。
「うま。」
抑揚のない声でゼウス様が呟くと、ヘラ様が嬉しそうに微笑んだ。
「あのな。」
ゼウス様はサンドイッチを頬張りながら、金色の瞳で私をとらえる。
「俺たち神々も、腹が減りゃ普通の食べもんを食べる。」
そして指についたマヨネーズをペロッと舐めると、サンドイッチをひとつ私に差し出した。
「我慢してねーで。食いしん坊だろ?」
(む。それは、このマシュマロボディをさりげなくディスってる?)
ムッとしながらも、言われてることは決して否定できないので、大人しくそのサンドイッチを受け取る。
その時、指先にゼウス様の指が触れた。
その瞬間、ゼウス様の目が見開かれる。
白銀髪はキラキラと輝き、金色の瞳もより輝きを増した。
そして不思議なことに、指が触れても恐怖心がわかない。
ヘラ様が驚いて、私とゼウス様を見比べた。
「…食わねーなら、食わせてやろうか?」
けれど、ゼウス様は何事もなかったかのようにいつも通りの淡々とした口調で、私の唇にサンドイッチを押し付ける。
「じ…自分で食べれます!!」
私はサンドイッチを掴むと、そのままがぶりとかぶりついた。
「でかい口だな。」
無表情だけど、声色に笑いが含まれているように感じる。
「そんなイジワル言ってると、私が全部食べますよ!」
言いながらサンドイッチをもうひとつ掴むと、ゼウス様も負けじとサンドイッチを両手に持った。
そんな私たちをヘラ様が、嬉しそうに笑いながら見つめる。
「ヘラも、笑ってっと全部めいに食われんぞ。」
ゼウス様は、ヘラ様の手に優しくサンドイッチを握らせた。
(む…私の時は口に押し付けたくせに。)
(この待遇の差!)
「相手に合わせて、そこは対応するさ。」
無表情でさらりと言いながら、ゼウス様はもうひとつ、サンドイッチを掴む。
(くっそ!負けないもんね!!)
何の対抗心か、私もサンドイッチを両手に掴むと、ひとつをヘラ様に差し出した。
「ヘラ様、これも!」
すると、ヘラ様は一瞬目を丸くしたけれど花が開くように可憐に笑って、私からサンドイッチを受け取る。
そして3人であっという間にサンドイッチを食べ終えて、甘いココアを飲みながら同時にホッと息を吐いた。
「こうやって普通の食事をするのに、なぜ『エサ』は必要なんですか?」
私が訊ねると、ゼウス様が目を伏せる。
(やっぱり教えてくれないか。)
私が諦めてもう一口ココアを飲むと、ゼウス様がヘラ様にカップを手渡した。
「おかわり。」
ヘラ様はやわらかな笑顔で頷くと、席を立つ。
「2人ぶんな。」
付け加えられた言葉に笑顔を返しながらヘラ様がキッチンへ入ったのを確認して、ゼウス様が私に向き直った。
「エサは、神の力を保つために必要。」
テーブルに肘をつき、斜めに金の瞳を向けられて、ドキッと胸が高鳴る。
「私はエサって言い方も、ペットって言い方も気に食わねーけど。」
ふいっと目を逸らすゼウス様から、優しさを感じた。
「私がゼウスから堕ちたくないのは、そこにある。」
私が首を傾げると、再び金の瞳が斜めに向けられる。
「御祓の泉は、全て人間の魂なんだ。」
(!!)
(じゃ…じゃあ、私は人間の魂の中に浮かんでたってこと!?)
全身にぞわぞわっと寒いものが走り、鳥肌が立った。
「ゼウスは、あの魂の泉に身を沈めることで、オーラを得ることができる。けど、ミカエルたちは、そのオーラを人間から直接受け取らないといけない。」
そこまで言うと、ゼウス様は再び瞳を伏せて、息を吐く。