②全能神ゼウスの神
欺瞞
「…フェアリーって、何ですか?」
私は黙ったままのゼウス様に訊ねてみる。
けれど、ゼウス様は無機質な瞳でこちらを見下ろすだけで答えてくれない。
「フェアリーは、そんなに大きな力を持っているんですか?」
訊き方を変えてみても、ゼウス様は眉ひとつ動かさず私をジッと見つめるだけだ。
その様子から、それがとても重要なことなのだと感じる。
(フェアリーが大きな力を持っているから神々の力の均衡を崩す、って話だよね?さっきの…。)
(私がそれってことなの?)
私の心の中の声が聞こえているはずなのに、ゼウス様はジッと見つめるだけ。
その時、頭の上でくすっと笑い声が聞こえた。
「選ばせたらいいじゃないですか。」
悪戯な笑顔を浮かべたサタン様が、ゼウス様を後ろから覗き込んでいる。
「フェアリーのことを教えて、その力をミカエルとゼウス様、どちらに使いたいか選択肢を与えたらどうですか?」
「還る人間に、神の国の情報も選択肢もいらねーよ。」
無機質な金の瞳で即座に一刀両断にされ、私の心に反発心が生まれる。
「還りません!」
強く言い切ると、ゼウス様が微かに瞳を見開いたように見えた。
(しまった…つい…。)
「…ゼウス様の邪魔に、なりたくないんです。」
(御祓の泉で出会って以来、親切にしてもらえているのは事実だ。)
(たとえそれが、保身の為であったとしても…。)
(その恩を仇で返すようなことはしたくない。)
「もし、私の存在がゼウス様を危うくするのなら、今すぐにでも還ります。」
目の前にいるゼウス様を、私は真っ直ぐに見つめる。
「でも、なぜあんな目に遭ったのかわからないままだと、またすぐにここに戻ってくることになるような気がするんです。そうすれば、またゼウス様にご迷惑をおかけすることになる。だから、真相を知って解決の糸口を見つけてから還りたい。」
一生懸命訴えると、ゼウス様はふうっとため息を吐いた。
「人生、字を識るは憂患の始め。」
その言葉に、陽がチラリとゼウス様を横目で見る。
ゼウス様も、その視線をさりげなく受けた。
「…知らぬが仏、ってことですか?」
心臓が嫌な音を立てる。
「そ。」
ゼウス様は短く答えると、立ち上がった。
「真相なんて、たいてい知らないほうがいいんだよ。だって、私がおまえを消さなかったのも、親切にしてやったのも、フェアリーの力が怖かったから。おまえを還そうとしてんのも、こいつらが言うみたいに、ゼウスの地位を守るため。」
そして、冷ややかに私を見下ろす。
「今回も、負のオーラを出されたら神界が迷惑被るから、迎えに来ただけ。」
ズキッ。
胸が刺されたように痛んだ。
「これが私の真実。…な?知らねーほうが良かっただろ?」
金の瞳は無機質に、鋭い刃のように私の心を貫く。
「私の邪魔になりたくない、って本当に思ってんのなら、今すぐマジで還ってくれ。」
(!)
「人間の負のオーラは、神界を汚染する。」
そう言うゼウス様の髪の毛は、いつの間にか明るい金髪になっていた。
瞳も深い金色になっている。
「還っておまえがどんな目に遭おうと、私には一切関わりない。んで、またこっちに来ちまったら還せるなら還すし、還せなかったらどの神のとこへ行くか、行きたいとこを選ばせてやるし」
サタン様が、ゼウス様の口を塞いだ。
「何をそんなに焦ってんですか?」
黒い瞳が、面白そうに細められる。
「こいつの負のオーラで汚染されたくないから迎えに来たなぁんて言いながら、ご自分がめちゃ負のオーラを出させてんじゃないですか。」
サタン様とゼウス様の視線が、私に向いた。
「そんなに、真相を教えたくないんですか?」
サタン様は意味深な笑顔を、陽に向ける。
そのとたん、陽がサタン様へ凄まじい殺気を放った。
けれど、サタン様はそれすら楽しむように悪戯な笑顔を返す。
ゼウス様はそんなサタン様の手を払い除けると、両手を広げて、私のシャボン玉を 浮かせた。
「…とにかく、連れて帰る。」
そう言った瞬間、光に包み込まれる。
(まぶし…っ!)
あまりの眩しさに目を瞑った次の瞬間、パンっとシャボン玉が弾ける音がした。
ドサッとお尻に軽い衝撃を受けて目を開けると、そこは見覚えのある部屋だった。
目の前には、ストレートの金髪の美しい女性が…。
「…おかえりなさいませ…。」
突然現れた私たちに驚いたまま、ヘラ様がそう言ってくれる。
「…泉に行ってくる…。」
先程よりも更に濃い金髪になり、瞳の色も濃くなっているゼウス様は、私を見ずに小さく言うと、そのまま裏口の扉を開けて出て行った。
(すごい…。やっぱり全能神なんだ…。)
陽にはできなかった瞬間移動で、改めてゼウス様の強大な力を感じる。
その現実に驚いただけなのか畏怖したのか、または先程のゼウス様の言葉に傷ついたのか…私の体は小刻みに震えていた。
「何かあったのですか?」
ヘラ様が戸惑った様子で、私の前に屈む。
「あんなに負のオーラに暴露されるなんて…どこかの星で、また争いでも始まったのかしら…。」
裏口の扉をふり返りながら、ヘラ様が呟いた。
私はその細い腕を、思わず掴む。
「どういうことですか?」
勢いで掴んでしまったけど、その温もりに私の背中がぞくりと震え、パッと手を離した。
ヘラ様は少し眉を下げると、立ち上がる。
「初めてお会いしたとき、ゼウス様は黒髪黒瞳でした。」
ヘラ様の後を追いかけながら、言葉を重ねた。
「でも、虹色に光る泉にいると、みるみる間に色素が抜けて白銀の髪と金色の瞳になったんです。」
ヘラ様は、キッチンでお茶の用意をしてくれる。
「ゼウス様は、負のオーラに触れると、髪と瞳の色が変わるんですか?」
私の質問に、ヘラ様はテーブルへティーセットを並べながら小さく頷いた。
「ゼウス様は、その身で負のオーラを吸収し浄化する役目を持たれているのです。負のオーラを吸収すると、どんどん髪の毛と瞳の色が濃くなります。宇宙のどこかで戦争などが始まると、とたんに真っ黒になられて…そうなると、御祓の泉でご自身のオーラを回復しないといけません。」
そこまで言うと、ふぅと小さく息を吐く。
「…本来でしたら、あの程度なら泉まで行かれなくても、お側仕えの女性のオーラで充分回復できるのでしょうが…ゼウス様にはいらっしゃらないから…。」
ため息混じりのヘラ様の言葉に、私は一瞬思考が止まった。
「…え?」
お茶を淹れてくれるヘラ様を、私は戸惑いながら見る。
「ヘラ様は…奥様では…?」
恐る恐る訊ねてみると、ヘラ様は一瞬大きく目を見開いた後、笑顔になった。
「ふふ。」
綺麗な満面の笑みだけれど、憂いを含んだその微笑みに、私の心臓が嫌な音を立てる。
(まずいことを訊いてしまったかも…。)
ヘラ様は私の前にカップを置くと、目を伏せた。
「私は、ゼウス様の実の姉です。」