Hellhounds
駒井はそう言いながら、家に連れて帰れない理由をずっと頭で意識していた。今までに誘拐した中で、アズサの顔を覚えている人間は一人もいない。誰も生きて出ることがなかったからだ。何でも融通してくれそうな柔らかい物腰だが、その根底には、揺るがない厳密なルールがある。それは、自分の顔を見た相手を、最後には必ず殺すということ。駒井は車に積んで倉庫に運ぶだけだったが、蜂須がいつもその役目を買って出ていた。
アズサと引き合わせたら、堂島は殺される。
「いつも、どれくらい食べるの? でっかいじゃん」
堂島が言い、駒井は並行して動く現実に綱引きのように引っ張られながら、一度咳払いをした。
「まあ、食べるほうだね。最近は、糖質を抑えてる」
「ボケるよ」
「そうなのか?」
「糖質は頭の栄養だからね」
堂島は古くから伝わる伝統のようにすらすらと言うと、田舎道にぽつりぽつりと点在するラブホテルを指差した。
「入って」
「なんでだよ?」
「おなかすいたから」
堂島が言うと、駒井は笑った。
「そういうホテルじゃないだろ」
「いや、普通にご飯出るじゃん。あのさ、行ったこと……」
言いかけて、堂島は口をつぐんだ。駒井がミラー越しに先を促すと、気まずそうに言葉を次いだ。
「まあ、おすすめだよ。当たり外れはあるけど」
駒井は、堂島が指したホテルの駐車場にハイエースを入れた。車庫をくぐったときに頭上でバチンと大きな音が鳴り、駒井は肩をすくめた。
「くそっ、アンテナをやっちまった」
堂島はしばらく黙っていたが、ハイエースが停まると、バッグを肩にかけながら言った。
「わたしのケータイ事情に比べたら、ぜんぜんマシじゃない?」
「どうだろうね。あんたのケータイ事情は確かに変わってるかもしれないけど、別に悪いことじゃないだろう。真面目すぎるんじゃないのか?」
駒井は、堂島のスマートフォンをポケットにしまい、ハイエースから降りた。堂島がフロントで手続きし、部屋に上がったところで、駒井は言った。
「あのさ……」
「何?」
「もう警察には言わないだろ?」
「まあ、もうどうでもいいかな」
堂島が言うと、駒井はポケットからスマートフォンを取り出し、差し出した。堂島は首を横に振った。
「いらない」
「今さらかよ?」
駒井はテーブルの上にスマートフォンを置いた。堂島はそれを手に取ろうとはせず、髪を後ろにくくった。
「もう、そのケータイあげるから。明日から代わりに返信してよ。電話はかかってくることほとんどないし」
「しばらくしてから正体がおれだって分かったら、みんな腰を抜かすだろうね」
駒井が言うと、堂島は肩を揺すって笑った。
「ほんとだね。でもさ、ケータイなんてそんなもんじゃない?」
「あんた、手は大丈夫か?」
「ちょっとじんじんするけど、大丈夫。腫れてる感じはあまりないかな」
堂島はメニューを繰ると、フロントに電話を掛けて料理を二人分注文した。
「おれが何を食べるのか、聞かないのか?」
「好き嫌いないでしょ。なんでも食べるから、でっかいんじゃん」
堂島は勝手に決め付けると、ベッドの真ん中にごろりと横になった。
「ちょっと楽になった、ほんと。こんな長い時間ケータイ手放したの、何年ぶりだろ」
駒井にその答えが分かるわけもなく、黙っていると、堂島は続けた。
「自己弁護じゃないけど。財布は、彼氏に言われたんだ。『それで好きなだけ買ってこい』って。わたし、金遣い荒いから」
「実際には、そうじゃないんだな。でも、別れるだけの理由って何だよ?」
駒井が言うと、堂島は仰向けのまま、目だけを駒井の方に向けた。
「ついこないだ誕生日だったんだ。プレゼント貰ったんだけど、通販の送り状がレシートと一緒に落ちてきたの。数量が四って書かれてた」
「どういう意味だ?」
駒井は言いながら、自分の携帯電話が完全にバッテリー切れで真っ暗になっていることに、気づいた。そんなことはお構いなしに、堂島は笑った。
「わたしの彼氏は、四人と同時に付き合ってるってこと。ついでだから、全員の機嫌を取ろうとして、同じものを四つ買ったんだよ。なんかのタイミングであげるためにね。まあ、わたしのは誕生日プレゼントなんだけど」
駒井は、飄々とした栗野の雰囲気を思い出して、顔をしかめた。
「ひどいやつだな。お土産感覚かよ」
その言葉に、堂島は天井のライトを見たまま少しだけ涙ぐんだ。
「そうだね……。わたしがその、お土産なんだろうね。珍しいから構ってもらえるけど、食卓のレギュラーにはならないじゃん」
「うちは出先で買った醤油を、今でも取り寄せてるけど」
堂島は、自分の例えが空振りしたことに笑いながら、同時に胸を撫で下ろした。そういう例えが通じない人だから、こうやってベッドの上に寝ていても、不思議と安心感がある。
「まあ、その代わり難しいことは言わない人だから。でもさ。あなた、代理人なんでしょ?」
「そうだな……、まあ」
「それって、どういう関係? 雇われてるの?」
金目当てで拉致したとは、到底言えない。駒井が黙っていると、堂島は言った。
「よく仕事の話とかするんだけどさ、人の恨み買いまくってると思う」
「そうだろうね」
駒井が短く答えたとき、チャイムが鳴った。料理が運ばれてきて、駒井が礼を言ってカートを受け取ると、すぐ後ろに来た堂島が目を輝かせた。
「当たりっぽいね」
ほとんど無言で食事が終わり、堂島がシャワーを浴びて寝巻き姿になったところで、駒井は言った。
「なああんた、栗野に会いたいだろ」
堂島はさっきと同じようにベッドの上に仰向けになると、首をゆっくりと横に振った。
「あんまり。あーでも、最後に使ったお金は返したいかな」
「やっぱり、あんた根は真面目だな」
「そうかな。というかさ、あの人どこにいるの?」
堂島は、また駒井に視線を向けた。駒井は一瞬迷うように視線を泳がせた後、言った。
「実家だよ。配管に縛り付けてる」
「マジで!? え、あの人どんな感じなの?」
堂島はベッドの上に起き上がり、勢いで前にかぶった髪を払いのけた。
「監禁されてるって感じは、あまりしないな。普通は悲壮感が出るんだけど、あいつは慣れてるってか、諦めてるみたいな感じがした」
駒井が言うと、堂島は合点がいったように、少し神妙な表情で呟いた。
「あの人、両親がギャンブル中毒でさ。子供の頃、親がパチンコに行ってる間はずっとトイレの配管に繋がれてたんだって」
「なあ、充電器ないか?」
駒井は一瞬にして部屋の中が氷点下になったように感じて、言った。堂島が首を横に振ると、諦めたようにソファに腰を下ろした。
「その後、どうなったんだ?」
駒井が訊くと、堂島はまた横になって、笑った。
「ここからが、あの人らしいとこなんだけどさ。いつも言うことが違うんだ。でも、バージョンは三つしかないよ。一つは、借金取りに追われて一家離散。もう一つは、ある日突然両親が失踪して、それ以来姿を見てない」
「もう一つは?」
駒井が促すと、堂島はそれが一番現実味がないバージョンであるかのように、言った。
作品名:Hellhounds 作家名:オオサカタロウ