Hellhounds
「カズ君は、力は強いけど、気が弱いの。あなたは逆ね」
「まあ、人を殴ったら捕まっちゃいますから。でもお母さん、ずっとこれをやってきたんでしょう。僕からすれば、そっちの方がすごいと思いますけどね」
栗野はパソコンを再び指した。アズサが指の方向を見ると、言った。
「僕も、銀行は信用してません。株はね、まあいわばギャンブルです。なんだかんだ言っても親と同じで、僕もスリルが好きなんですよ。現金は別で置いてます」
「どんな形で?」
アズサは栗野に目を向けた。栗野は観念したように両手を上げると、言った。
「まあ、あんまり期待しないでくださいよ。いわゆるタンス預金です。ポルシェぐらいなら、買えるんじゃあないかな」
素直に再びタイラップで縛られた栗野を残して、アズサは食器をシンクに放り込みながら考えた。ここから栗野を動かすのはリスクが高いが、現金は話が早い。明日の朝には全てが終わっているかもしれなかった。アズサは、駒井と武内に同じメールを送った。
『これだけ空いたら、株はもう当てにならないんだって。家にタンス預金があるそうよ』
いつもの夜の、決められた時間。画伯が後部座席に乗り込み、言った。
「帰ってきました。今は部屋にいます」
黒島はいつものワンカップを手渡して、言った。
「ご苦労様。雨が降りそうだな。ちょっとしばらく乗っときなよ。今夜から全国的に雨らしい」
「はは、それは困りますね」
画伯は雨粒が車内に落ちてきたように、首をすくめた。黒島は笑うと、諭すように言った。
「程度にもよるけど、おれ達の仕事は雨の方がやりやすい」
「なるほど、なんでですか?」
「足音も気配も消えるし、証拠も洗い流してくれるからね。でも、大雨だと返り討ちにされるかもしれないな」
画伯は何となく納得したようにうなずいた。黒島は煙草を一本抜くと、差し出した。
「あ、いいんですか?」
「いいよ」
黒島は画伯の煙草に火をつけてから自分の煙草に続けて火をつけ、深々と煙を吸い込んだ後、窓の外に煙を吐き出した。
「バックアップを持つってのは、大事だな。一台で来てりゃ、詰んでたぜ」
黒島は他人事のように言った。ついさっき雇い主から電話がかかってきて、唐突に片方を別の場所にやるよう、指示されたばかりだった。赤城がランドクルーザーで海岸から出て行き、黒島は代わりにホテルから自分のセフィーロを持ってきて、監視を続けていた。
「もう一人は、どこへ行ったんですか?」
画伯が遠慮がちに煙を吐きながら、言った。黒島はバックミラー越しに画伯の顔をちらりと見て、言った。
「元々、これが始まった場所だよ。おれ達はフリーランスだからな。どこにもしがらみがないから、その反面、どこにも呼ばれちまうんだ。それがいいことなのかは、正直分からないけどね」
「誰かの味方になると……」
画伯は自分の言いたいことを思い出せない様子で、煙草の煙をだらしなく吐いた。黒島はその先を補った。
「誰かの敵になる。そういうことだな。あんた、生まれてからずっとホームレスやってたわけじゃないだろう? この暮らしが性に合ってたのか?」
画伯は首を横に振った。
「いえ、自分は糸が切れちまいました。真面目にやってきたんですがね。限界を感じたというか……、これ以上がんばれないなと」
「自分の力を信じられなくなったのか。そりゃあ、辛いね」
黒島は煙草の灰を缶ホルダーの空き缶に落とした。しばらくそのまま真っ暗な海岸線を眺めていたが、まだ火のついている煙草を缶の中に落とした。一瞬で火が消えるときの破裂音が鳴り、コーラと煙草の匂いが車内に広がったところで、黒島は言った。
「赤城は、打ち解けづらいだろう」
画伯は遠慮するように首をすくめたが、やや間が空いてから、小さくうなずいた。
「ちょっと、おっかないです」
「昔はああいう奴じゃなかったんだ。引き金を引くのにいちいち理由をつけないといけないような、それはそれでまあ厄介な性格だった。あいつも昔は雇われの身で、今より稼いでたそうだ。でもある日、きっぱりと辞めてフリーランスになった」
黒島が言葉を切ると、画伯が言った。
「なんで辞めたんでしょう」
黒島は助手席に赤城が座っているように、その方向を見ながら言った。
「女子供を殺すのに、耐えられなかったからだ。おれ達の業界では、誰でも殺せる奴が一番偉い。女子供を殺せないとなると、組織にはいられない。それで辞めたんだ」
「主義を貫いたということですか」
「そういうことだな。女子供を痛めつける奴に対しては、あいつの残酷さは見てられないぐらい酷い。この辺のバランス感覚も、雇われには向いてない。一人で戻しちまったが、正直不安はあるね」
黒島は暖房の温度を少し下げた。画伯は言った。
「お二人は、大変なことになってるんですか?」
黒島は、その口調の深刻さに笑った。しばらくして、画伯もつられて笑った。黒島は言った。
「大丈夫だよ」
黒島は画伯用のワンカップをバッグから取り出した。これを含めて、あと二つ。延長されるような理由がない限り、画伯の命は、後二日ということになる。
「乾杯するか」
黒島は、ウィスキーの入ったフラスクで画伯と乾杯をして、ひと口煽った。そして、そもそもこの海岸でホームレスを使って偵察をしている理由を、かいつまんで話した。画伯は時折相槌を打ちながらも、静かに聞いていた。
「あんたは聞き上手だな。赤城は、その嗅ぎまわってる奴の件で、戻ったんだ」
黒島はオーディオの時計に視線を落とした。準備を終えて、移動を開始しているころだろう。夜明け前には、向こうに到着するはずだった。
「次で最後だね」
堂島が言い、駒井は呆れたようにため息をついた。
「ほんとに最後かよ」
言いながら、堂島のおばあちゃんに、『おやすみなさい』のメールを送る。送信完了の文字が出たところで、駒井は信号待ちの列の後ろについた。しばらく沈黙が流れた後、堂島は腕時計を見ながら言った。
「おばあちゃんは、夜型なんだ」
「だから、メールが一番最後なのか」
駒井は、車載時計を見つめた。夜の十一時になっている。家に連れて帰るわけにもいかず、五時間、幹線道路を走り回った。ガソリンは半分ぐらいにまで、目減りしていた。止まったのは一回。堂島の手を冷やすためにコンビニで氷を買っただけだった。一キロのロックアイスも今は半分以上溶けて、水になっている。手の痛みは少し緩和されたようで、堂島の表情は穏やかだった。スモーク張りの窓から外を見ていたが、思いついたように言った。
「おなか、すいたんだけど」
「おれもだよ」
駒井が言うと、堂島はその背中の大きさを見ながら、声に出して笑った。
「そりゃあ、すいてるよね」
信号が青になり、前の車が動いていくのに合わせて加速すると、駒井は一瞬バックミラーを見た。あの、雑誌の目。暗くなっても、はっきりと分かった。
「わたし、ぜったい馬鹿にされるって思った」
「何を?」
駒井が聞き返すと、堂島はしばらく黙り込んだが、ようやく決心がついたように言った。
「ケータイのやつ。それ人に見られたら、死のうって思ってたし」
「簡単に言うなよ」
作品名:Hellhounds 作家名:オオサカタロウ