①全能神ゼウスの神
大天使ミカエル
私は、陽の後ろをついて歩く。
会話もなく、広く長い大理石の廊下をただ黙々と歩く陽に、私はついて行った。
(なんで、ゼウス様はあんなことを…。)
先程のゼウス様の言葉を思い出しながら、前を歩く陽の背を見上げる。
(陽は、大天使ミカエルになったんだ。)
(さすがだな…。)
陽は、勤務先では上司。
私より5つ年上だけれど、そのアイドル並みのベビーフェイスで同い年にしか見えない。
いつも笑顔を絶やさず誰にでも親切で優しく、問題が起きた時は矢面に立って部下を守る…人望の厚い理想的な上司だった。
女子社員、みんなの憧れの人だった陽。
そんな陽に、ある飲み会の時、酔った勢いで迫られた。
私はずっと陽に片想いをしていたけど、マシュマロボディな上、地味な私が陽の目に留まるはずがない。
きっと一夜限りの遊びだと思いながら、彼を受け入れた。
けれど、彼は責任を感じたのか…関係を持った後、付き合おうと言ってくれた。
でも、どう考えても不釣り合いなことがわかっていたので、私はそれを断った。
だけど陽は、断っても断っても何度も交際を申し込んでくれた。
その熱意に、本当に彼は私を好きになってくれたんだと信じ、遂に付き合うようになった。
けれど周囲の嫉妬を恐れ、陽と話し合って、付き合っていることは内緒にした。
そんなことも、私のことを本当に大事にしてくれてるんだと感じ、とても嬉しかった記憶がある。
私と付き合い始めてすぐ、陽は上層部の引き立てがあり、出世した。
それから、飛ぶ鳥を落とす勢いで陽はどんどん出世し、手の届かない人になっていった。
それでも、出世すればするほど陽は私を大事にしてくれ、本当に夢のような日々が続いていた。
(幸せすぎて…その代償があの事件だったのかな。)
(人はみな、幸と不幸が平等に訪れるっていうから…。)
そう心の中で呟いていると、いつの間にか城門をくぐっていた。
すると突然、陽が歩みを止める。
それに合わせて私も歩みを止めると、くるりと陽がふり返った。
「ゼウス様の居城は、天空の城なんだ。」
突然言われた言葉に、私はきょとんとする。
すると、陽はくすっと笑って言い直した。
「今、ここは空の上ってこと。」
「え!?」
驚いて辺りを見回すと、確かに数百メートル先は霧がかっていて見えない。
「ちなみに、僕の城も天空の城。さっき見た通り、僕は羽根があるから全然困らないけど、めいはそうはいかないよね。」
こくこくと頷く私を見て、陽はそんな私に指を2本立てて見せながら、表情を引き締めた。
「そこで、この問題をクリアするために、2つの提案がある。」
これは、陽が会議の時によく使う言葉。
私は条件反射で姿勢をただすと、陽を見つめた。
そんな私に陽は笑みを向けながら、鋭く指笛を吹く。
すると、どこからか甲高い馬の嘶きが聞こえた。
そして次の瞬間、目の前に羽根の生えた白馬が現れる。
「ペガサス!?」
思わず声を上げた私を、ペガサスは水色の大きな瞳でギロリと睨んだ。
「そう。ひとつ目の提案は、このペガサスに乗ってうちまで行くこと。」
私は暫く陽とペガサスを交互に見比べたけれど、首を左右にふる。
「無理です!だってこの子、私を乗せたくないオーラが全面に出てるし、私も乗馬したことないから!」
必死で却下の理由を述べると、陽は頷いた。
「じゃあ、2つ目でいくしかないね。」
「…2つ目って?」
私が訊ね返すと、陽は腰に手を当てて真顔で私を見下ろす。
「ペガサスがダメなら、これ以外方法がないんだ。だから」
そこまで言った瞬間、私の体はふわりと浮いた。
「おとなしくしててね♡」
気がついた時には、陽に抱かれて空を飛んでいた。
「!!!!!」
バサバサと大きな羽根の音と、その度に起こる風の音が凄まじく、慣れない浮遊感に私は状況がのみこめない。
「あ、意外に非日常的すぎて、恐怖心とかわかない感じ?」
面白がるような口調で陽は言うけれど、その声も羽根と風の音でよく聞き取れない。
悲鳴すらあげる余裕がなく、人形のように固まった私を見て、陽は楽しそうに笑いながら空を飛んだ。
「ふぅ…。」
私がため息を吐くと、陽が声をあげて笑う。
「初めての飛行はどうだった?」
からかう口調の陽を軽く睨んで、私は熱いお茶をひと口飲んだ。
「よく覚えてません。」
頬を膨らませながら言うと、陽がまた楽しそうに笑う。
「ほんの5分ほどの距離だから、あっという間だったもんね。」
(…私には数時間にも感じたけどね。)
眉間に皺を寄せて不機嫌そうに黙り込むと、陽はお菓子がたくさん入った籠を私の前に置いた。
「食べる?」
見れば、私が大好きなチョコレートやクッキーなど色々入っている。
「ありがとう!」
とたんに満面の笑顔を返す私に、陽がまた声をあげて笑った。
「ちょうどお腹がすいてたんだ♡」
そう、さっきヘラ様の前でも盛大にお腹の虫を鳴かせてしまったのだ。
陽の前でそうならないよう、私はパクパクとお菓子を食べる。
すると、そんな私を陽が優しい笑みを浮かべながらジッと見つめた。
あまりにも見つめられるので、照れた私はうつむく。
「突拍子もない状況だと…触れても平気なんだね。」
真剣な声色の呟きに、私はハッと顔を上げた。
微笑んでいるものの、悲しげに揺れる陽の黒い瞳を、私は見つめ返す。
「この城に連れ帰るのに、めいに怖い思いを抱かせなくて…本当に良かったよ。」
心の底から安堵した様子で言われ、胸の奥がジンと熱くなった。
「私、どうして…」
「ミカエル様、お帰りだったのですね!」
私の言葉を遮って、突然目の前に女性が現れる。
鼻にかかった色気のある声のその人は、スタイルも良く、露出の高い服を着ていた。
「どうしてすぐに、いらしてくださらないんですか?」
私を完全に無視して、彼女は陽の首に抱きつく。
そして、いつの間にか彼女はちょこんと陽の膝に横座りしていて、その鮮やかさに私は驚いた。
「こら、人前ではしたないだろう。」
やわらかな表情と口調で陽は諭す。
「用が済んだら行くから、待ってて。」
小首を傾げて可愛らしい色気を纏う陽に、彼女は頬を染めながら素直に頷いた。
「早くいらしてね!」
そう言うと、膝から降りて部屋を出て行く。
扉が閉まると、陽はばつが悪そうに私を見る。
「ごめんね。」
そして、眉を下げてうつむいた。
「彼女?」
恐る恐る、訊ねてみる。
居ても、おかしくない。
この人は、魂こそ陽だけれど、大天使ミカエル。
陽とは別人なのだから、今の生活の中で彼女がいて当然だ。
私の問いに答えない陽に、私は笑顔を向けた。
「大天使ミカエル様になっている陽に会えて、良かった。」
努めて笑顔を向ける私を、陽は無言で見つめる。
「また還ったら…会えるよ…ね。」
そこまで言うと、なぜか喉がきゅっと閉じた。
(『会えない』)
(『会いたくない』)
脳裏にそんな言葉が蘇り、戸惑う。
(なんで、そんなこと…。)