睡蓮の書 五、生命の章
……どれだけの時が経ったのか。空には星も月もなく、誰も時を数えるものはなかった。
そのうち、涸れ河のそこかしこで、同じように水が湧きだし、ちょろちょろと細い筋をつなげていった。
長すぎる夜のうちに、大河は静かに姿を戻そうとしていた。
その下流、北の神殿址にはまだ、かつてその地を豊かに覆った緑草の影もなかった。ただ水ばかりが、乾いた岩肌を覆っている。ところどころ瓦礫が水面に突きだし、戦の爪痕を示していたが、それも誰かが火を掲げてやらねば目には映らないのだった。
静かな夜が、どこまでも続いていた。
天はいまだ闇であり、それを映す水面もまた、黒ぐろと広がるばかりである。
その、大河の下流。はじめに地をうるおした水源に、
睡蓮が、ひとつ。
いつの間にそこに生じたのだろう。若いつややかな緑葉を従えて、それは水面からすと茎をのばした。
そして花弁を開いたそのとき、
まるでその内側の花糸と同じ黄金をした、光が、地平から呼び起こされるように現れた。
日の光。闇を剥ぎ取り、天を青く染めあげ、水を煌めかせる太陽。
大気があたためられ、風が水面をなでてゆく。
光の筋が、水上に目覚めたばかりの新たな命にそそがれた。
ひらいた花弁は、空とおなじに輝きわたり、水のようにどこまでも深く澄む。
天と地をむすぶ色。それは、青い色をしていたのだった。
闇空と同じ色をした衣を肩にかけ、男神がひとり。睡蓮のかたわらに立ち、ひらかれた花に祝福せんと笑みかけた。
そのいろどりこそは、“下天の闇(イムハト)を払い給う(ケセル)”。
――はじまりの予言のとおりに。
作品名:睡蓮の書 五、生命の章 作家名:文目ゆうき