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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 五、生命の章

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 それに呼び覚まされるように、キレスのうちに微かな意識の火が灯る。
(どうして、引き上げてくれなかったんだよ)
 そこは暗い。何も見えてきはしない。
 彼は思った。いまだ地の底にあるのだと。
 深い深い底のほう、穴の奥に、ずっと独りでいるのだ。誰もみな遠く、地上から見下ろしているばかりである。
 以前はそのことを知っていた。よく知っていた。それを、すっかり忘れ去っていたのだ。隣にいたから、ひとりでなかったから――この場を出たわけではないのだと、それに気づいていなかった。
(おかしいだろ……なんでお前が下りてくるんだよ。ひとりでないと安心させて、それでどうするんだよ。慰めてどうするんだよ!)
 それを望んだ、たしかに自分が。
 やっとつかんだ軸だった。これさえあれば立てると思った。これまで手に入れたどんな軸とも違う、それは血という確かなもので繋いであった。互いに逃れられはしないからこそ信じられた。今度こそはと、思った。
 それなのに――あっさりと奪い去られ、まるで元の通りだ。
 いや、元に戻るよりなお残酷だ。一度寄りかかり、憩いを知ってしまったがために。
(またひとりに戻すなら、なんで、……)
 彼は変わってしまった。正しい記憶を戻さなかった自分にしたように、それではダメだと、そんなことは許さないと、強く叱ることがなくなった。拒絶の言葉を呑み込んで、どうにか受け入れようとする。そうするしかないのだと、まるで何かの罰か負い目のようにして。
(また、俺のせいかよ)
 見上げていた時はずっと強く見えていたそれも、隣にあれば同じだと知った。望みに応じて降りたのではなかった、こんなところに沈んでしまうくらいに弱かったのだ。引き上げる力など持たなかったのだと。
 二人でやっと一人前に立てるのなら、支え合ってやるしかなかった。それなのに……、
 それを望まなかったのは、自分自身なのだ。
(そんなことは分かってる。でも、じゃあどうすればいいんだよ! ――今更……っ)
 時間は戻らない。決して戻らない。そんなものは希望ですらない。戻したとて同じ道を繰り返すに違いないのだ。
(なあ……答えろよケオル――!!)
 声を届けるのだと言った。いつでも届くと。
 けれど聞こえる声が、本当にそれだと分からない。
 ――信じられない。
 それは過去の記憶を呼び起こしているだけかもしれない。自身の中で都合良くつくられた、夢かもしれない。
 記憶などあてにならないと言ったとおりに。彼自身が、それを信じることができないのだ。
 近いからこそ。望んでしまうからこそ。
 ……そうして今も、地の底に、ひとり。
 あの小さな黒い欠片は、今も己の手のうちでぶすぶすと煤を吐き続けている。
 奥に隠された美しい彩は、求めた者にだけ見えるもの。
 そこにあると信じる力が、その彩を生むのである。