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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 五、生命の章

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 お前は運命を定められたものだと考えている。事実であれ、どうしてその形を知ることができよう? お前が言う運命は、お前自身の不信が形作ったものにすぎない」
 キレスの肩がゆっくりと上下した。否定の言葉を放とうとするが、声にならないうちにデヌタの言葉に呑まれていく。その言葉は、キレスのあいまいで芯のない、揺らぎやすい感情をつき動かすにはじゅうぶんすぎるものだった。
「お前はさきほど、もし生を望んでいなければどうかと尋ねたな。お前の兄弟は事実、死を望んだのか……?」
 伏せかけたキレスの目が再び大きく開かれた。その瞳を、デヌタは逃すまいと捉える。
「私は……私の妹が、万一死を望んだとして。その望みをかなえてやろうなどとは、思わん」
 そうしてきっぱりと言った。
 視線にとらわれたまま、キレスは一度ちいさく瞬く。思いもよらない言葉だった。なぜそんな言葉が出るのか、彼には想像することができなかった。
「本当に大切であるなら、その死を許すはずがない。そんな望みは許されてはならない、決して」
 淡々としかし確固とした意志で語られるその言葉。キレスは胸に不快な感情が湧くのを、はっきりと感じた。それを押し出すように、低くうめく。
「……それが、勝手だって言ってんだよ。望みもしないものを押し付けられることが、どれだけ苦痛か――」
「苦痛?」
 デヌタは言う。
「死への望みが苦痛でないとでもいうのか? 誰しも本当には、生きたいはずだ。それが苦しみを伴い、そこから逃れたいと願うとき、……与えるべきは死ではなく、助け手ではないのか」
 このとき何かが、キレスの冷え固まった胸を打った。ひどく強いというほどに感じなかったそれはしかし、いつまでも響いてやまない。これまで入り込んだことのないそれに、胸がはげしくざわついた。
「綺麗事だ」
 なじみないものへの不安が疑念の影をかけさせ、キレスは声をもらす。
「そんなことができるなら、苦労しないんだよ」
「綺麗事であっても」デヌタの声は朗々と響く。「それを求めようとするだろう、私ならば。真に望むものを、たとえその道がひどく困難であっても、共に求めようとするだろう。……妹のために」
 キレスはめまいを覚えた。次に打ち付けたそれはずっと大きく強く、これまで固持していたものを壊そうとする。そのどうしようもない不快感に、激しい苛立ちが湧き上がった。
「……うるさい」
 うつむいたキレスの口から、それは小さく低く漏れ出ていた。
「哀しいな……。お前はその不信が自身より出でたものと理解していない」
 デヌタの声は穏やかに、憐れみを浮かべて紡がれる。
「お前はそうしてすべてをその手からすり抜けさせ、与えられたものを得ることができなかったのだな」
「黙れ」
「そうなってしまうことにもまた、哀しい理由があるのだろう――だが、それをいつまで持ち続ける? お前が払わねば、誰にもそれを成せはしないだろう。お前自身が、それを求めないかぎり、いつまでも孤独に苛まれるのだ」
「うるさいッ!!」
 胸のざわつきを無理やり剥ぎ取るように、キレスは叫んだ。高ぶる感情が力となって放たれ、デヌタは壁にその身を打ちつける。
「あんた、喋りすぎなんだよ」紫の火がざわざわと燃えあがる。「いい加減、死ね」
 キレスの髪がざっと広がり、突きだした腕がデヌタに向けられた。デヌタは素早く彼の力を示し、流水が彼の身を守るべく生じた――が、しかし甲斐なく、デヌタの右胸に円形の穴が開かれた。
 ばっくりと口を開けたそこから、水をすするような不気味な音が漏れ、デヌタの呻きと交わる。と、太陽神の力が再び地を揺るがし、耳をつんざく轟音がそれらをすべて呑み込んだ。
 抵抗はほとんどなかった。間に合わなかったのか、力が及ばなかったのかあるいは――こうなるだろうと、はじめから分かっていたのか。
 長くつややかな黒髪がもつれ、地に垂れていた。デヌタは傷口を庇う力もなく、両膝を折って地に崩れた。生じた水流は主からの意思を絶たれ、砕けた石礫と交じり降り注ぐ。
 灯のない地下空間で、そこにはただ透き通った紫の双炎だけが浮かび上がっている。音ばかりが不気味に、幾重にも幾多にも重なりあい複雑に響きわたっていた。
 キレスが力を解き、デヌタはどっとその身を横たえた。
 と、暗闇のうちに何を見たのか、デヌタはふとその口元をかすかに笑ませる。
 そうして彼は声なき声で呼ぶ。ちいさな妹の名を。
(来て、くれた、のか……)
 何かを求めるように、その指がぴくりと動いた。
(行こうか……、一緒に――)
 しかしそれきりだった。
 動かなくなった男を見下ろしたまま、キレスは何度も息を吐きだし、肩を激しく上下させた。体はぐっしょりと濡れたまま、注ぐ瓦礫の粉にも注意を払わなかった。
 そこは静かだった。キレスは自身の呼吸の音だけを聞いていた。それが次第に落ち着き、水滴の音と、ときおりぱらぱらとこぼれる瓦礫の音だけが残った。
 ふと、キレスはゆっくりとひとつ、瞬いた。そうして思い立ったように、そこに柔らかな光を灯す。
 浮かび上がる死のすがた。そこには果たして鮮明な赤の彩がくっきりとあらわれた。
 すと息を吸い、内側があたたかく満たされてゆくのをかんじる。胸が表情が自然とほころび、そこに純粋な喜びが、ふつふつと湧き上がる。
 この色が、欲しかったのだ。この彩、これさえあればよいのだ。キレスはひたりと地に降り立った。
 そのときまた、低いとどろきをあげ地が揺れた。
 わずかな揺れだった。そこかしこで瓦礫のくずが降る。キレスはまるで意に介さず、ただその彩だけを求め手を伸ばす。
 と、横たわる男の口元から赤がひとすじ、するりと地に垂れた。
 キレスの瞳が大きく開かれる。過去に見たものとぴたり重なったその途端、外にあふれようとしていた温かなそれが急激に冷やされ、凍りつき、乱暴に押し戻された。
「あ、ああ……」
 キレスはぶるぶると震えだした。
 意識の底から突然引きずり出された喪失感が、頬にひとすじ伝わせる。
(な、んで……)
 その色が悲嘆の情に結びつくと、もはや、それは美しさを意味するものではなくなってしまった。
 何より望んだその色が、そこに得られるはずのあの感覚が、塗り替えられてしまった。憩いを与えてくれたものが、今はおののきを生み全身を駆けめぐる。唯一の悦びといえるその感情が、容赦なく奪い去られてしまったのだ。その衝撃がはげしく胸を貫き、キレスはその場にくずおれた。
 ――望んだものは、いつだって奪われる。
 地上に生きる限り、変わらずにはいられない。不変の時を手にすることなどできはしない。
 変わってほしくないものほど。こんなものまで。
(それでもまだ……生きていけっていうのかよ)
 キレスはだらりと腕を垂らした。背に肩になにかが重くのしかかり、ただそこに在ることすら疲弊させる。
 抗う気力などなかった。そのまま沈むに任せればいいのだ。それを望んでいるのではなかったか――。

“死への望みが苦痛でないとでもいうのか?”
“与えるべきは死ではなく、助け手ではないのか”

 ふと、脳裏にひびいた言葉。
(……どうして)