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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 五、生命の章

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 気迫に圧されるように、プタハは眉をひそめた。
 しゅと閃光が視界をよぎる。その光はずっと南へ射向けられている。
 ヤナセは羽ばたき素早く身を翻す。遮ろうと炎をまとい立ちはだかるプタハ――しかし、
「退け――!!」
 叫ぶヤナセの瞳がはげしく彩を変える。刃のような烈風が、炎をそしてその主を薙ぎ払った。
 白い翼が燃える夜天をつと横切る。それは南へ南へと飛び去っていった。


   *


 地上の異変をとらえ、デヌタは天を仰ぐ。
 地下空間を激しい揺れが襲ったのは、それから僅か後だった。
 まるで巨大な腕が地を掴むかのように降りかかった力に、デヌタの身が地から引きはがされる。壁の青タイルが漆喰とともにざらざらと剥がれ落ち、天井に深い亀裂が走る。床は押し上げられるように隆起し、その場を淡く照らしていた魔法陣が形を崩すと、効力を失ったとみえ光が消え去ってしまった。
「太陽神は……この世そのものを滅ぼそうというのか」
 デヌタは地に打ちつけた身体をひき起こすと、呻くように言った。
 厚い岩盤に守られたこの地下空間にまで確実に爪跡を残すその力。しかしこれでもまだ抑えられた状態であるというのだ。
 太陽神のもつ破壊の“力”は、かつて冥府の王ウシルが、創造主らを在から切り分けた「不在」の力とまるで同じである。あらゆる生を呑み込まんとする、異界の混沌そのもの――。
「あっはは……!」
 石礫が降り注ぐなか、キレスは宙に身を留め可笑しそうに声を上げた。
「死者を戻すまでもないな。死ねばむこうで会えるんだ」
 闇の中にぼうやりと浮かぶ紫の双眸が、嘲るように向けられる。
 デヌタは乱れた黒髪の間から苦々しげにそれを見上げた。
「お前も太陽神も……あまりに多くを犠牲にしすぎている」ゆらりと立ち上がり、デヌタは言う。「大切なものが傷つき奪われるのを、なぜ傍観していられる。なぜ、守ろうとしない」
「守るだって。よくやるよ」キレスはまるで関心を寄せず言い放つ。「傷ついたって俺は困らない。関係ないだろ」
「利己的な……」デヌタは軽蔑に目を窄めキレスを見た。「お前が今ここにあるのは、守られてきた結果であるのに」
「守るのが、利己的でないとでも?」キレスはその声に嗤笑をひそませ、戯れのように言う。「どんなに立派な理想を掲げても、ほら。呑み込まれたらおしまい」
 ふたたび揺れが襲った。天井の亀裂がより深く刻まれ、瓦礫が音を立てて崩れ落ちる。
「呑まれるならばお前も同じだろう、なぜ止めようとしなかった!」
 デヌタは思わず声荒く叫んでいた。
「止められると思う? あんなもの」キレスは鼻であしらうように言うと、それに、と加えた。「呑まれる方が。眠りの邪魔されるより、ずっといい」
 低くえぐるようなその響きに、デヌタは眉をひそめる。ゆっくりと呼吸をし平静を取り戻すと、彼は闇に溶け判然としないキレスの様子を注意深く捉えた。
「――わからんな」と彼は言う。「大切な存在を失ったとき、それを再び戻したいと願うのは自然なこと。なぜお前は、それを拒むのか。目の前にあるはずの希望を見ようとすらしないのは、なぜだ?」
 月神が負う性質、切り離せないものに対する諦観――それを口にしながら、それは彼のうちに穏やかに同居してはいない。その声色から、デヌタにはひどく波立つキレスの心のうちが見えるようだった。数刻前の自身が抱えていたものと、それはどこか近いものに感じられた。
「再生、復活――そんなものが希望になるかよ」
 キレスは吐き捨てるように答える。
「言ったろ、夢を見てる方がいいって。そのほうがまだマシだ。夢は望むように作られる。望まない方に変わっていく心配もない」
 だから、と彼は言った。
「死の眠りを妨げるなよ。やっと、不変の時を手に入れたんだ」
「不変……」デヌタは問うように言い重ねる。「お前は、まるでそれを――兄弟の死を、望んでいたかのような口ぶりだな」
 は、とキレスは目を見開いた。身体の奥からなにかが染み出し、じくじくと重く胸をふさいでゆく。
「――勝手だって言ってんだよ」それを振り払おうとするように、彼は声を上げる。「生を望んでなかったら? この世に戻して、それ自体が苦しみになるとは思わないのかよ」
 広がるこの黒々とした感情は、元からその形をしていたのか、いま何かを焼き焦がしたその跡なのか。それが染み広がるたび、不安でたまらなくなる。
「我欲なんだよ。あんたの、勝手な、望みだ」
 その不快を切り刻もうとするように、キレスは低く声した。
 紫の眼が闇の奥からじっと捉えているのを、デヌタはただ黙って受け止めていた。静かに……、まるでその奥にあるものを探ろうとするように。
 デヌタの瞳。その水のように和いだ淡い色に冷まされるように、キレスの内側に湧いた黒い感情の波はしだいに抑えられてゆく。
「でも……そうだな」
 そうしてキレスはニヤリと笑った。
「あんたがそれをほんとに望むなら。願ってみろよ――ウシルにさ」
 個の記憶、魂《バー》を呼び戻すことを願うのならば。
 魂《bA》は霊魂《Ax》となるため地平《Axt》を越えゆく。そこはまさに冥王ウシルの領域なのだ。ウシルにはその力があるのだろう。ハピやホルアクティそしてアンプにしたように。
「案内してやるよ? ウシルのもとへ」キレスはくすくす笑いながら言った。「でもどうかな。アクにならずに、バーのままこの世界に戻されたりなんかしたら。ウシルのやつ、お気に入りの“石投げ”ができなくなるからな」
 キレスは知る。ウシルとは永遠の主、運命のあるじ。彼は賽をふり、その手で死から生へ生から死への放物線をえがきだす。運命とは、この世を覆い尽くす彼の力そのものなのである。
 この世に立つこの脚も地も、そこに在るということ、今なにかを成そうと考えた事実、その瞬間、すべてに潜むその力。
 ウシルの力、冥府の闇は、この世のすべての裏側に。それは背合わせに存在している。
 何人も、その脅威から逃れられはしないのだ――。
 キレスの浮かべる笑み。その歪んだ、ねっとりとした眼差しを無言で受け止めていたデヌタは、それらを流し去るように一度目を閉じた。
「恐れ、か」
 そうしてぽつりと言った。
「ウシルを恐れているのかと聞いたが……、違うな」
 その淡青色の瞳が、再びゆっくりと開かれる。
「お前が恐れているのは、未来」
 そこに浮かぶは、憐憫のまなざし。
「お前は未来に変わりゆくものを恐れている。そう、恐ろしいのだ、手にしたものを失う未来が。今そばにあるものが遠ざかる未来が――そうはならないと、信じられないのだな」
 ざわり、とふたたび何かがキレスの胸を駆け上がる。見開かれた眼はデヌタのまなざしを避けるように虚をただよい、得体のしれない衝撃に呼吸すら忘れる。
「信じられないからこそ、死こそが己であると、つけられた意味にしがみつく」
 氷のようにどこまでも澄んだその瞳が、静かにキレスを捉えている。
「お前はひとの思いを、信じることができないのだ」デヌタは言う。「そのためにお前は傷ついてきたというのだろう。しかしそれ以上に、思いを踏みにじり、傷つけてきたのだ。お前のその強い不信のために。