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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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gift of us

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 これは、重症だ。きわめて深刻な。
 今すぐにでも何とかしなくてはいけない。
 「ーーあのさ、友美。ちょっと話、していい?」
 座って、と手を引いて、ソファーに導く。
 テーブルについて椅子に座るより、この方が距離が近くて良いと思った。彼女の手を握りながら話をしたかった。
 こちらがいつになく真剣な様子になったことを、彼女は察したらしい。戸惑いながらも言うとおりに座り、背筋を伸ばす。
 「ーーなに?」
 「最初に言っとくけど、俺は友美がすごく子供ほしがってるの知ってるし、ほしがる気持ちもわかる。俺の親に気を遣ってくれてるのも知ってる。
  俺だって、友美との子供が生まれたら嬉しいし、そうなったらいいと思ってるよ。けど、俺たちが結婚したのって、それだけが目的?」
 彼女はきょとんとした。次いで、意味がわからないふうに、眉を少し寄せる。
 「……どういう意味?」
 「正直、友美の気持ちはわからないよ。いや、だいたいはわかってるつもりだけど、100%わかるなんて無理だろ、違う人間なんだから。だから、友美が結婚する前にどのくらいの割合で子供のこと重視してたかはわからない。
  けど、少なくとも俺は、子供のことはそんなに考えてなかった。どうしてもほしいって考えはなかった。結婚したかったのは、友美と一生、いっしょにいたいからだった」
 そこで一度言葉を切り、息継ぎをする。
 「友美だって、そう思ってくれたんだろ。だからプロポーズした時、受け入れてくれたんだろ? 嬉しかったよあの時は、本当に」
 「……うん、私も嬉しかった」
 その答えに勢いを得て、続ける。
 「そうだよな。あの時の気持ち、俺は今も全然変わってないよ。ーーけど、友美は変わっちゃった?」
 彼女は目を見開いた。驚き焦った様子で首を横に振る。
 「そんなこと、ない。変わってない」
 「うん、知ってる。友美が俺のこと好きでいてくれてるの、よくわかってる。だけど最近は子供のこと考えすぎて、他の気持ちが全部押しつぶされちゃってるのも知ってる。
  うちの親の希望、叶えようと思ってくれるのは嬉しいよ。けど、それで友美が追いつめられてほしくない。子供は授かり物だって言ったじゃんか。できたらもちろん幸せだけど、できなかったら不幸だとか、そんなことは俺は思わない」
 彼女が「え」という表情になったので、間髪入れずに続ける。
 「念のため言うけど、子供がいらないなんて思ってないよ。でも、仮に子供ができなくても、俺は全然かまわないんだ。友美がそばにいてくれるなら。
  ……だから、そんなふうに悩まないでほしい。俺が友美を好きでぎゅってしたくなる気持ち、無駄だなんて言わないでくれよ」
 最後の方は、声がかすれて震えてしまった。泣きたいような心境になっていた。
 結婚したから、子供を作るという目的が付随するようにはなったけど、それが第一じゃない。彼女を抱くのは何よりも、彼女が好きだから。彼女をたくさん、深く、近くに感じたいからだ。
 気づいたら、かなり強い力で彼女の手をつかんでいた。だが彼女は、痛いとも離してとも言わなかった。
 青い顔をした彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。すぐさま引き寄せて、抱きしめた。
 「…………ごめ、んなさい」
 さっきよりももっと小さな声で、彼女が言う。涙混じりで発音もはっきりしなかったが、自分の耳にはちゃんと聞こえた。
 「友美、前に言ってただろ。子供のことは二人の問題だって。だったら、一人でかかえこむな。不安なことは全部、俺に話してほしい。俺も一緒に悩んで考えるから」
 やや間を置いてから、うん、と声に出さずに彼女は腕の中でうなずく。
 泣くのが治まるまで待って、身を離す。彼女の顔をのぞき込んで尋ねた。
 「今日、日にちはどうなの」
 「え?」
 「その、タイミングの」
 あ、の形に口を開けた彼女が、指を折って何かを数える。たぶん日数を。その様子からすると、思い悩むあまりに失念していたらしい。
 「……今日と、明日ぐらいがちょうどだと思う」
 「なら、今日と明日しよう。それでできなかったら一緒に病院行こう。それでいい?」
 彼女が一瞬、また泣きそうな顔になる。それでも無理に笑おうとしてなのか、表情が崩れた。
 「ーーうん、ありがとう」
 今度は、彼女の方から身を寄せてきた。腕の中にしっかり閉じこめてから、耳元にささやく。
 「友美、好きだよーー愛してる」
 彼女の肩が、驚いたように上下する。これまで、「好き」とは言っても「愛してる」と言ったことはなかったから、驚かれても無理はない。
 体を離すと案の定、彼女は驚いた、かつ真っ赤な顔になっていた。半開きになった唇に、想いのたけを込めてキスした。

 その夜、彼女を抱きながら、何度も「愛してる」と繰り返し言った。そうささやくたび、彼女は涙を流した。途中からは最後まで、ずっと泣いていた。
 その様子は、20歳の誕生日の夜、初めて抱いた時の彼女を思い起こさせた。


 5月、連休が過ぎて1週間ほど経った頃。
 「どうだった?」
 仕事から帰って開口一番、彼女にそう尋ねた。今日は会社を一日休み、病院に行っていたのだ。
 ソファーに隣り合わせで座った彼女は、しばらく無言だった。両手を組み合わせて、それをじっと見つめている。横顔の表情は、喜びとも落胆とも判断しがたい。それくらい無表情に近かった。
 「先生は、なんて言ってた?」
 もう一度うながす。さらにしばらく同じ姿勢でいた後、深呼吸を一度して、彼女はこちらを向く。顔には戸惑いが少なからず浮かんでいてこちらも一瞬困惑したが、
 「…………まだ、心音確認はできないけど、いるって」
 その答えで吹き飛んだ。同時に、とっさに言葉が出てこない自分に気づく。もちろん嬉しいのだが、大っぴらに喜んでいいものかどうか、よくわからなかった。彼女の不可思議な様子もあるし、妊娠初期は何も問題がないと診断されていても突然流産することがあると聞く。自分の母親のことも重ね合わせて、当面は慎重に対応するべきだろうと思った。
 ともあれ、今は彼女に言ってあげることがある。
 「そっか。よかった」
 自分のその言葉に、彼女は何回かまばたきして、それからうなずいた。言葉は出さない。そしてまた下を向いてしまう。
 喜ぶよりも緊張している、と取れる様子に、首を傾げた。
 「どうしたの友美。……嬉しくないの?」
 そんなはずはないと思いつつも、聞いてみる。誰よりも妊娠を望んでいた彼女が、喜んでいないはずはなかった。
 予想通り、彼女はすぐに、ゆっくりと首を振る。けれど表情はまだ硬い。
 「……なんか、実感がわかなくて」
 ぽつりと言った彼女の言葉に、少し驚いたけど、本音なんだろうとも思った。生理が来なかったから数日待って自主的に検査をし、反応があったから病院に行ったのだが、それ以外の兆候は今のところ無いらしい。つわりの気分悪さなどもまだ感じていないと言うし、当然ながらお腹が目立つような段階ではない。
 さらに言えば、この2年、前向きに努力してきたにもかかわらずできなかったものが、今になってできたと言われてもにわかには信じにくい、頭が追いつかないのかもしれなかった。
作品名:gift of us 作家名:まつやちかこ