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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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gift of us

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 谷川が言ったことは、彼女がリビングに置いていた本の中で見かけたし、だから当然彼女も知っているはずである。しかし後輩夫婦の気持ちをくんで、言葉に出してはこう言った。
 「ありがとう。伝えておく」

 それからしばらくして、谷川が言っていた内祝いが家に届いた。パウンドケーキとクッキーの詰め合わせだった。自分が甘いもの好きであるのをいつか話したような気はするから、思い出したのかもしれない。
 届いたのは週末で、自分も彼女も在宅していた。だから配達業者から受け取ったのも、封を切って開けたのも彼女で、しばし箱の中身をじっと見つめた後、言葉少なに「おいしそう」と言ったきり、箱を自分に渡してリビングを出ていき、しばらく戻ってこなかった。
 もともと、おしゃべりではない彼女だが、最近は口数がめっきり減ってしまった、と思う。耳を傾けることに注意深かったはずの彼女が、会話の最中に心ここにあらずとなり、呼びかけられて我に返るということが近頃はしょっちゅうだった。
 彼女の素直な、穏やかな木漏れ日みたいな温かい明るさが、だんだんと見えなくなってしまっているのがつらい。
 先日以降、例のクリニックのことについて彼女は触れていないけど、考えているには違いなく、寝室のクローゼットで半分隠すように置いてあるパンフレットを見つけた。……この様子だと、もしかしたら自分に何も言わずに、ひとりで診察に行ってしまうかもしれない。それは避けたい。今以上に、彼女がこの件についての悩みを背負い込むことは、してほしくなかった。
 今までのところ、理由のわからない有休を取ったりはしていないはずだがーー正直、最近まではそこまで気をつけて観察していたわけではなかった、と気づく。
 そんな自分が不注意に思えて、なおさら辛い思いが増してしまうのだった。

 「風呂空いたよ。……友美、聞こえてる?」
 「ーーあ、うん。わかった」
 4月中旬の日の夜。今日は二人とも残業があり、ともに帰宅が8時頃になった。自分より少し後に帰ってきた彼女に、今日は近所の牛丼屋で夕飯にしようと提案し、少し躊躇しつつも承諾した彼女と出かけて、30分ほど前にあらためて帰宅したところである。
 先にお風呂入っていいよ、と言われたので素直に受け入れて、20分ほどして戻ってきたら、彼女はリビングのソファーの上で膝を抱え、一点を見つめてじっとしていた。一度の呼びかけでは振り返らなかったくらい、何事か深く考えている様子だった。
 先ほど、牛丼屋で食事しながら、彼女と交わした会話を思い出す。黙って食べている時間が多かった中、彼女の方から口にしたのは「菜々ちゃんが今年から小学校なんだって」という話題だった。
 菜々ちゃんとは、彼女の会社の先輩女性の娘で、保育園時代は時々、先輩が迎えに行った後に仕事が終わるまで会社に居させてもらっていた。その際、受付担当の彼女が、仕事の合間にその子の面倒をしばし見ることもあったという。子供好きの彼女はそれをとても楽しみにしていたようだったが、ここ1年ほどはその子の話題を出すことはほとんどなかった。
 複雑な思いを感じていたことは、容易に想像できる。今年から小学校ということは、もう会社に来ることはほぼ無いのだろう。彼女としては寂しい気持ちはありつつも、ほっとする思いもどこかにあるのかもしれなかった。
 彼女が、日に日に鬱々として無口になっていく様子が、近頃は顕著に思える。自分にできることが限定的でしかないのが、心底から悔しい。
 とにかく、できることはなるべく早めにと思い、10日ほど前、昼休みに時間が空いた日に、母親に電話した。仕事持ちではない母親は家にいた。
 考えていたことを話すと、最初、母親は納得しかねる声音を出した。『心配してるのよ、母さんも父さんも』と言って。
 『わかってるよ。けど友美はめちゃくちゃ真面目だから、まだできないのすごく気にしてるんだ。自分が何か悪いんじゃないかって、そう思ってる。俺には言わないけど』
 『……それは、あの子ならそうかもって思うけど』
 『だろ? 俺たちもちゃんと考えてるし、子供がほしくないわけじゃないから。だからしばらくは、それについてはなるべく触れないでほしい。早くできるように祈るだけにしといて、頼むよ』
 しばらくの沈黙の後、母親は『わかったわ。頑張ってね』と返してきた。
 頑張って、と言われて妙な気分を感じたが、他に言いようもなかったのだろう。『連休には顔出すから。じゃあ』と言って会話を終えた。
 とりあえず、何ヶ月かの間は、母親は約束を守ってくれるだろう。だがそのうちまた、気になって我慢できなくなって、質問が再開されてしまうのではと思う。その頃、彼女はどれだけ、内にこもるようになってしまっているだろうかーー悩みが解消されれば問題ないのだが、これまでの経験上、その確率を高くは考えにくくて、悩ましい。
 彼女に、笑ってほしかった。もう長いこと、何の含みもない笑顔を見ていない気がする。素直でまっすぐな彼女の性質がいとおしいのに、今はそれがことごとく裏目に出てしまっている彼女の心が、もどかしかった。
 ひとりで抱え込んでほしくない。どんな悩みも不安も、自分にも分けて背負わせてほしい。もっと自分に甘えて、辛い気持ちを吐き出してほしいーー
 テレビをつけてはいるが、半ば以上BGMとなっている。目線だけそちらに向けつつ、缶ビールを飲みながら思いに沈んでいるうちに、彼女が風呂場から戻ってきた。パジャマを着て、頬を上気させている。性格の通り控えめな印象の強い彼女が、そんな時はたまに色っぽく見える。
 ……翌日も出勤の平日は普段は避けているのだけど、今日は、じわじわとわき上がってくるものがいつもより強い気がした。アルコールが入った影響もあるかもしれない。それにーー彼女が最近試すようになった「タイミング法」に該当する日が、そろそろではないだろうかとも思った。
 キッチンで水を飲んで、こちらに近づいてくる彼女を、テレビの電源を消してから立ち上がって待ちかまえる。
 「ん?」という顔で見上げてきた彼女を抱きしめ、唇を合わせる。その瞬間、なぜか彼女は体をこわばらせた。
 体にすべらせようとした右手を、慌てた仕草で彼女は止め、押し戻す。ごめんなさい、と小さな声で言われて冗談抜きで驚いた。
 結婚前から、そして結婚後も、求めた時に拒まれたことは一度もなかった。生理の時は彼女の方から「今日からだから」と言ってくれていたので、自主的に1週間ほど控え、終わったのも必ず確認した。
 だけど、今日は違うはずだ。つい半月くらい前に「来ちゃった」と言っていたのだから。
 ということは。
 「体調悪い?」
 訝しく思いながらも、聞いてみた。風邪を引いている様子はないし、それ以外にも体の不調がありそうには見えなかった。近頃の落胆続きで、体調にも影響が出ているということはありそうだったが……
 だが彼女は首を振った。悲しそうに目を伏せて。
 「じゃ、どうしたの」
 「…………」
 「ん、何?」
 「……なんか、無駄かなって、思っちゃって」
 「無駄?」
 しばらく、何のことかわからなかった。気づいてからは信じられなくて、愕然とした。
作品名:gift of us 作家名:まつやちかこ