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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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the day of our engagement

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 こちらを見上げた彼女は、まさに「呆然」の見本と言っていいくらいの、そんな表情をしていた。まあ当然だろうなと思ったし、そうなるだろうなとも予想していた。驚かれて当たり前だ。自分だって、決意はしてきたとはいえ、想像以上に緊張しているくらいだから。
 ケースの中の指輪とこちらの顔を交互に見つめながらの長い沈黙の後、彼女はようやく口を開いた。
 「ーーーーーーどうして? そんな話、早すぎるんじゃ」
 彼女の意見は正論である。大学3年生で卒業も就職も決まっていない、そんな段階で結婚の話は早すぎると誰もが思うだろう。自分でもまったく思わないわけではなかった。だが、あえてこう言った。
 「そうは思わない。4・5年もしたら、周りから急かされるぐらいになるだろ?」
 「4・5年って……そりゃ、気がついたら経ってるかもしれないけど、短い時間でもないじゃない。なんで今そんなこと」
 「早く言っときたいからだよ。俺は、友美と結婚したいから。ずっと一緒にいたいから」
 彼女の顔が、一気に真っ赤になった。2度目に出した「結婚」という単語をやっと認識したかのように。
 「…………えっ、それ、その」
 赤い顔でしどろもどろになりながら、それでも努力して言葉を紡ごうとする。そんな様子の彼女はいつだってひどく可愛らしくて、今も抱きしめたいのをこらえるのが難しいほどにいとおしい。
 ぱくぱくと、口を何度か小さく開け閉めした後、彼女は息を吸い込んだ。先ほどの自分のように。
 「……そんなの、今決めちゃって、それこそ何年かしたら、後悔」
 「しない。50年先でも好きでいる自信あるから」
 気弱な言葉を、強引にさえぎる。自分の発言に、彼女の目はこぼれんばかりに見開かれた。これほど驚いた彼女の顔はたぶん見たことがない。その表情に、自分が言ったことの大仰さを思って少しばかり恥ずかしくなってしまった。
 だがもちろん、本気の発言だった。彼女への想いは、何年先であろうと変わらない確信がある。
 先ほどよりもさらに長い沈黙が流れる。
 彼女は身の置き所がないように首を縮め、うつむいてしまっていた。ーーさすがに、驚かせすぎてしまったか。照れ屋の彼女がそんなふうになるのは予測できたはずなのに。
 それでも、言わずにはおれなかった。せめて来年にするとか卒業してからとか、頭に浮かんだ他の選択肢を即座に切り捨てるくらい、早く伝えたかったーー人生は何があるかわからないから。来年が、その先が、明日さえも必ず来るとは限らない。
 そんなことを思ったのは最近、まだ若いと言える年齢の、著名人の訃報が続いているからでもあると思う。つい昨日も、ニュース番組で目にしたばかりだ。その50代のタレントは、知られている限りでは持病もなかったという。元気でいるつもりでも、いつ同じような事態に自分たちが陥ってしまうかわからない。もちろんそうならないことを望んではいるけれど。
 だから、伝えたいと思ったことは、できるだけ早く伝えたい。自分の想いは彼女に余すことなく知っていてほしい。仮に、万一のことがあった時にも、後悔しないように。
 ……あるいは、答えを迷っているのだろうか。その可能性に思い至って少なからずショックを感じるが、むしろそれが普通かもしれない。付き合うのと結婚とではやはり、内包する重みが違うだろう。結婚は人生の一大事と言うくらいだし。
 返事は後でもいい、と言ってあげるべきかもしれないと考えた時。
 「51年後は?」
 ぽつりとつぶやかれた質問に「え?」と反射的に返した直後、はっとした。
 「……あ、51年後でももちろん。なんならちゃんと言い直すけど。一生って」
 ところで、とそこで一度息をついた。
 「そういう聞き方するってことは、OKって解釈していいの?」
 大きすぎる期待といくらかの不安。尋ね返した自分の声は、我ながら硬かった。
 顔を上げた彼女は再び、あっという間に真っ赤になる。緊張のあまりか潤んだ目をして、唇は震えている。
 そんなふうになりながらも、彼女は、はっきりうなずいた。
 自分の想いを受け入れてくれた嬉しさと、愛しさがあふれて、たまらずに抱きしめる。赤くなっている彼女の耳に、万感の想いを込めてささやいた。
 「ーーありがとう」
 ううん、と腕の中で彼女が首を振る。
 「……ありがとうって、言うのは私の方」
 「え?」
 「時々、思ってたのーーいつまで一緒にいられるのかって。祐紀(ゆうき)が、私のことすごく好きでいてくれてるのはわかってるけど、先は何があるかわからないし……私がいつか、幻滅させちゃうかもしれないって、思う時もあった」
 でも、と涙の混ざってきた声で彼女は続ける。
 「さっき言ってくれたこと、すごく嬉しかった。50年先でも、って……そんなふうに考えてくれてたなんて、知らなかったからびっくりしたけど、ほんとに嬉しかった。ありがとう」
 そう言って、彼女はこちらの背中に腕を回し、抱き返してきた。すん、と鼻を軽くすする音がする。
 彼女に気づかれないよう、軽く息をつく。彼女らしい心配と言えばそうだが、いまだに自己卑下の傾向があるのは、少しもどかしい。
 だけど、彼女が考えていたことについては、自分もまったく気づいていなかった。いつだって楽しそうに、明るく接していながらもそんなことを考える時があったなんて、想像もしなかった。
 だからやっぱり、今日言って良かったのだ。彼女には、混じりけない自分の想いをちゃんと知っていてほしかったのだから。
 彼女に回した腕に、さらに力を込める。行動だけでなく言葉でも表した。「大好きだよ」と。
 そう言ったとたん、彼女の体温が上がるのがわかったが、かまわなかった。普段から言葉を惜しんではいないつもりだったがこれからはもっと伝えていきたい、伝えていこうと思う。彼女は恥ずかしがるだろうけど、それでも。
 腕を解き、彼女が泣き顔でなくなるのを待ってから、脇に置いていたケースを手に取る。指輪を取り出し、彼女の左手を取った。
 「……よかった、サイズ合ってて。すごく似合う」
 顔に残った涙を拭きながら、彼女が薬指の指輪を見つめる。11月19日の誕生石だと教わった、ブルートパーズを小さなダイヤが囲んでいるデザイン。石の色と彼女の涙は似ていてきれいだ、と思った。
 「ーーいくらしたの、これ」
 「そんなこと気にするなよ」
 「だって、ダイヤも付いててすごく高そうだし、私には派手すぎるよ」
 「いいだろ、ちょっとぐらい派手でも。婚約指輪なんだから」
 こんやくゆびわ、とおうむ返しに言った後、引きかけていた彼女の顔の赤みが、また増した。