the day of our engagement
「いつだったっけ、一緒に帰ったって噂になったことあったでしょ。あのへんからなんか、態度がちょっと違ってきたなあって、最初はそれだけだったけど。
でもそのうち、槇原さんの話が出た時とかのあんたの雰囲気で、そうじゃないかって思った。気をつけてたつもりだろうけど、槇原さんの名前聞いただけで実は神経とがらせてるの、知ってたわよ」
「……そんな態度、してた?」
「してた。全然気づいてなかったの?」
首を横に振る。本当に全然、覚えがなかった。
都はくすくす笑う。本当に可笑しそうに。
「意外と鈍いわねえ。ま、自分のことだとそんなもんかもね。女子を本気で好きになったこと、たぶんそれまでなかったでしょ」
穴があったら入りたい気分、というのは今の心境なんだろうと思った。都にいろいろ、自分では当時気づいていなかったことまで気づかれていたと知るのは、おそろしくいたたまれない。
コーヒーをブラックにしておいてよかった。外で飲む時、いつもは砂糖かミルクを入れるのだが、今は甘みより苦さがありがたかった。
「まあね、予想はついてるだろうけど、わかった時は『なんで!?』って思ったわよ。正直に言うけど。なんであたしが槇原さんなんかに負けるのかって」
そうだろう、と思う。だからこそ、別れるためにすぐ打ち明ける気になれなかった。都が、槇原友美をある意味では見下していたのを知っていたから。
「そんなはずないって、絶対取り返せるって思ったから、けっこうがんばったつもりだったけど、完全に袖にしたわよね。それは一生忘れない」
怖いことを言う。しかし発言の内容のわりには、都の表情は明るかった。少なくともそう見える。
「……でもね、納得する気持ちもちょっとあった。あたしだって、マネージャーとしての槇原さんは、信頼してたわよ。あの子に任せておけば間違いないって。あの真面目さが時々、バカみたいに見えてたのは本当だけどーーでも、考えてみたらあんたも相当、真面目だもんね。似てるのよあんたたち」
「そうかもな」
「だから、そういうところが安心するんでしょ。バカみたいに真面目で堅くて、それだから、あの子には裏切られないって思えるところが」
「ーーうん」
うわあ、と都が大仰な仕草とともに声を出した。
「その顔。完全にのろけてるわね。よくあたしの前でそんな顔できるわよね、まあいいけど」
はあ、とため息をついて頬杖をついた都に、
「あの時は、本当に俺が悪かった。謝られたくなくても謝らせてほしい。ごめん」
今度こそ言った。
都の反応は苦笑いだった。
「ほんっと、あんたもバカみたいに真面目よね。そういうところも嫌いじゃなかったけど」
でもずっと付き合ってたら嫌いになってたかもしれない、と言葉は続いた。
「だからちょうど潮時だったかもね。そう思えるまでには時間かかったけどーーねえ、あの店で何買ったの。なんて言って渡すつもり?」
「……そういうこと聞くか?」
「聞けるなら聞いてみたいわよそりゃ。みんな、あんたたちがどんな付き合い方してるのか興味津々なんだから」
楽しそうに笑いながら都が言う。芸能人みたいな扱い、と言えば聞こえはまだマシだが、どちらかと言えば動物園の珍獣扱いされている気分になる。それを言うなら、店に入った時からそういう視線を周りから感じてはいるのだが。都は美人の部類だし、あくまでも客観的事実として、自分が注目を集めるのは今さら言うまでもない。
たぶん、苦虫をかみつぶしたような表情になっていただろう。わかってるって、と都が軽く手を振った。
「本人以外に言うことじゃないわよね。まあ、ここでネタにするのくらいは許してよ、よそでは言わないから。ところで、最近の調子どう? 就活とか」
と聞かれたので、説明会回りしているけど公務員試験も視野に入れているとか、卒論の題材が決まったところだとか話した。都が、とある企業からソフトボールの実績を評価されて、卒業後にと誘われているのも聞いた。
「実はこれからそこの人と会うの。そろそろ行かないと」
どうりで、日曜なのにスーツを着ていたわけだ。
「そっか、頑張れよ」
「ありがとう。……ちょっと緊張して、家を早く出すぎちゃってね。時間つぶすのどうしようって思ってたところにあんたに会えて、ちょうどよかった。前座的な意味じゃなくてねーーいつかちゃんと話したいって、思ってたから」
「うん、俺もーー話せてよかった。ありがとう」
「じゃ、元気でね。槇原さんによろしく」
元気で、と返して手を振り合った。
ようやく、胸のつかえが取れた心地がした。都ももしかしたらそうだったかもしれない。別れ際の、晴れやかな笑顔からすると。
一緒に洗った食器を拭いて片づける、彼女の後ろ姿を見ながら、今日の昼間のことも含めていろんなことを思う。
休みだから朝からがんばっちゃった、と彼女が言ったとおり、今日の夕食はたいへん豪華だった。エビやホタテの乗ったサラダにローストビーフ、豆のポタージュスープにチーズリゾット。最後のケーキに至るまで全部、彼女の手作りである。自分がスイーツ好きなのを熟知している彼女は、誕生日とクリスマスには必ずケーキを焼いてくれる。今日のケーキは生クリームとイチゴのみのシンプルなものだったが、味は非常においしかった。
そうやって、彼女が自分のために何かしてくれるのは、たとえどんなささいなことでも嬉しい。彼女の、自分への気持ちを感じられるとともに、自分の想いも再認識できる。
彼女とずっと一緒にいたい、とあらためて思う。
ーーだから、今日は決意して来た。一番伝えたいことを伝えるために。
洗い物が多かったため、彼女の片付けにも時間がかかっている。手持ちぶさたで、持ってきた紙袋をつい、ちらちらと見てしまう。だが彼女には直前まで気づかれたくない。だから、誕生日プレゼントとして用意したカバンと合わせて、大きな紙袋でカモフラージュして持ってきた。
彼女の様子をうかがいながら紙袋へしつこく視線をやる姿は、端で見ている誰かがいたらきっと「落ち着け」と言われるものだったに違いない。後で思い返すとちょっと恥ずかしくなった。
……さておき、ようやく片付けが終わった様子の彼女は、シンクの作業台をひと拭きして、こちらを向いた。
「お茶か何か、飲む?」
「あ、いや今はいい。こっち来てくれる? 話あるから」
「え、なに?」
「んーーまあ、座って」
うん、と言いながらも首を傾げる彼女が向かいに座るのを待ちながら、深呼吸する。
傍らに引き寄せた紙袋から、今日一番の目的を果たすための、大事な道具を取り出した。
プレゼントはもうもらったのに何だろう、と疑問符が浮かんでいた彼女の顔に、驚きが広がるのを見て、知らず緊張が高まる。
指輪ケースの蓋を開き、もう一度息を吸い込んでから、中身が見えるよう彼女の方に向ける。
「ーー何、」
「大学卒業して就職して、落ち着いてからの話だけど。俺と結婚してほしい」
うろたえた様子の彼女の言葉をさえぎり、一息に言う。
作品名:the day of our engagement 作家名:まつやちかこ