カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅹ
「ぼ、僕のことより、日垣1佐の超ご栄転話を聞いたほうが有意義ですよっ。大須賀さんもそっちのほうがいいでしょっ」
片桐の苦し紛れの返しに、大須賀はすっかり顔を緩ませた。一方、突然話を振られた日垣は、「特に面白い話はないよ」と言って、苦笑しながら前髪に手をやった。
職場ではなかなか見られない、リラックスした時の彼の仕草。美紗は、口に含んでいたワインをごくりと飲んだ。素に近い彼の姿を、自分ではない別の女が、自分より彼に近い位置で、嬉しそうに見つめている……。
顔が強張っているような気がして、美紗ははっとうつむき、隣の高峰のさらに向こう側に座るイガグリ頭を窺い見た。
いつも何かと目ざとい2等陸佐は、日垣のグラスにワインを注いでいるところだった。
「片桐の言うとおり、今回はまさに『超』が付く栄転人事でしたね。内閣審議官に抜擢とは、大出世じゃないですか」
日垣は、出向先の内閣官房で危機管理担当副長官補室に所属することが内定していた。主に他省庁からの出向者で構成されるこのセクションは、他国からの武力攻撃といった有事対応のみならず、国内の重大事故や大災害まで、あらゆる国家レベルの緊急事態に対応し、総理大臣を直接補佐する役割を担っている。内閣審議官は、セクションの長である内閣官房副長官補のすぐ下に数名配置されるポストだが、その要職のひとつに選出される自衛官は慣例的に将官経験者ばかりだった。
「私も打診を受けた時は驚いたよ。空幕の話では、本命の人間が健康問題で急に候補から外れることになったらしい」
「出向は無理、という判断になって、日垣1佐のほうに話が?」
松永の問いに、日垣はやや浮かない表情で頷いた。
「穴埋め要員の調整に難航して、いよいよ揉める時間もなくなってきたという頃に、以前に世話になった上官が人事の人間に私の名前を出したんだとか……」
「結構な話じゃないですか」
「しかし、将官ポストにわざわざ格下の人間を選ばなくても」
気心知れた部下の前で、日垣は溜息をついた。
「安保問題を担う重職となると、やはり階級だけで決めるわけにもいかないんでしょう。情報畑での勤務経験は必須でしょうし、内局(防衛省内部部局)との関係も良好で、総理周辺の重鎮とも渡り合える人材となると……。当然の帰結じゃないですかね」
「正直言って、私には少し荷が重いよ」
「珍しく弱気ですなあ、日垣1佐」
口ひげをいじっていた手を止めた高峰が、年下の上官に茶目っ気を含んだ笑みを向けた。
作品名:カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅹ 作家名:弦巻 耀