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短編集16(過去作品)

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 しかし、不思議なことに、りえには恋人はいない。
「ボーイフレンドならいっぱいいるわよ」
 気にしているかも知れないと思ったが、これを聞けるのは私しかいないと思い、思い切って聞いてみたのだ。
「恋人、いるのかい?」
 これを聞くのに二日掛かった。りえの答えに対し私の反応、それに対しての彼女の反応、などいろいろ頭の中で巡らせていたが、結局まとまるものではない。同じところに帰ってくるという堂々巡りを繰り返すばかりであった。
――案ずるより生むが易し――
 という言葉もあり、一旦、腹をくくると後は素直に言葉が出た。
 それまでに想像していた返答もあったのだが、彼女の声を聞いた瞬間に吹っ飛んでしまい、いないと言われて、さらにそれ以上の言葉は続くはずもなかった。
――よかった――
 ホッと胸をなでおろした瞬間である。
 だが、だからどうしたというわけではない。
――彼女の恋人に立候補するわけでもないのに――
 思わず苦笑していた。彼女の言葉に一喜一憂した自分が恥ずかしかった。
 自分にとって純情な時であった。
――友達以上恋人未満――
 というところだろうか?
 りえの存在が私にとって次第に大きくなっていくのを感じるが、自分に「征服欲」なるものがあるとは到底思えなかった。
――妹のように思えれば楽なのかも知れない――
 手の届かない存在でありながら、手は確実に伸びている。私の視線の先にいるのは間違いなくりえなのだ。
 だからといって恋人が他に欲しくないわけではない。
 おかしなもので、りえと一緒にいる時にだけ感じる感情なのだ。一人でいたりすると他に彼女が欲しいとは思わない。りえの顔が瞼に浮かんで消えないのだ。
 一緒にいる時は安心しているのだろうか?
 りえがまるでお姉さんのように思う時がある。別に香水をつけている様子もなければ、化粧をしている様子もない。そのわりには肌が白く見え、風が吹くと仄かに甘い香りが漂ってくるのである。
 そんな時の私は、さぞや恍惚な表情をしていることだろう。
 私の表情に気付いているのかいないのか、そんな時の私の顔を、りえは見ようとしない。
 見つめ合ったことがないわけではない。思わず生唾を飲みこんだくらいに唇が接近したこともあった。
 ひょっとして、りえは本気だったかも知れない。私を見る目が潤んでいたような気がするからだ。それも後になって気付いたことで、その時はそれどころではないほど、胸の鼓動は激しかった。
 リップを塗っていたのか、唇が光っていた。しかもやけに目立って光っている。妖艶な雰囲気さえ感じるりえを、私はさらに見つめていた。
 りえも私を見つめている。
――キスってこういう雰囲気の時にするものなのかな?
 状況に任せながらも、頭の中で考えていた。
 しかし、結局唇が重なることはなかった。
――なぜなんだろう?
 と考えながらも、なぜかホッとしている自分がいるのにも気付く。
――キスをしてしまったら、それ以後どう対応していいか分からない――
 これが本音だった。
 小学生の頃のりえは、活発な娘だった。
 少なくとも友達の間ではいつも真ん中にいるようなタイプで、話題性にも困ることはなかった。顔を色も小麦色っぽくて、いかにも活発な感じが見受けられたのだ。
 ひょっとして、その頃の自分が今から考えてもひ弱なタイプで、軟弱だったから、りえが逞しく見えたのかも知れない。この発想はきっと当たらずも遠からじだろう。今となっては思い出せない。
 中学に入ると立場は逆転したような気がする。
 自分に友達が増えたりして活発になったからであろうか、りえが大人しく感じるようになったのだ。どちらかというと小学校の頃はポッチャリ系だったのが、スリムに見えてくる。
 しかも中学に入って急に身長が伸びたようで、いつの間にか、女性の中で一番背が高くなっていた。
「りえ、あんた何食べたらそんなに大きくなるのよ」
 女友達から冷やかされていたが、ただ苦笑しながら何も答えない。小学生の頃のりえからは考えられなかった。
「そういえば、りえ、最近笑顔が減ったわね」
「お高くとまってるんじゃない? 私嫌いよ、あの人」
 女性同士の噂話、あまり好きではない。普通であれば、聞き流すのだが、
「りえ」
 という名前が飛び出したことで、そのまま聞き流すことは、とてもできなかった。
「それにしても、大人っぽくなったわね。スタイル抜群で羨ましいわ」
「そうよね。背もかなり伸びてるし」
――そうか、大人っぽくなったんだ――
 大人しく感じるのは、大人っぽくなったからだと気がついたのは、その時だったのかも知れない。
 それにしても、りえにはもう一つ大人っぽく見える何かがあるのだ。
 中学時代の私にはそれが分からなかった。
 ハッキリとまだ女性に興味を示していなかった中学時代、私にりえはどう写っていたのだろう?
――守ってあげたいように見え、病弱な雰囲気がある――
 高校に入り、思春期の男の子が皆そうであるように、私もまわりの女の子に興味を持ち始めた。
 りえには以前から興味があったが、それは女性としてではないと思っていた。だが、りえを見ていて感じるのは、
――何とも分からない女性だ――
 という思いだった。
 とは言え、他の女性が分かるというわけではないのだが、りえに関して言えば、分からないことが気になって仕方ないのだ。
 そういえば、中学の三年の頃だった。
 通っていた中学校は芸術に関しての教育を前面に押し出すようなところだった。年に何回か近くの美術館への見学が恒例行事となっていて、受験生であっても、息抜きにあるだろうということで、積極的に奨励していた。芸術に親しむことは嫌いではなかったが、何と言っても分かるわけでもない作品をずっと見ているのは苦痛に近かった。
 ほとんどの生徒は見ているふりをしながら、ほとんど見ていないだろう。しかし後日レポートとして提出を義務付けられていたことから、それなりには見ている。分かりもしないのにである。
 もちろん私もそうだった。
――何が受験勉強の息抜きだ。だったらレポート提出なんてバカなことやめればいいのに――
 と、心の中で呟いている。
「これだから、学校って信用できないんだよ」
 クラスメートの声が聞こえてくるようである。実際に言っている者もいたであろう。
 そんな中、りえは一生懸命に絵画を見つめていた。
 特に風景を描いた作品を前にした彼女は、見上げるその顔に、恍惚の表情を感じる。目は横から見ていても潤んでいるように見え、気がつくと、私はりえから目が離せなくなっていた。
――りえの横顔がこんなに綺麗だとは知らなかった――
 少し顎を突き出し、上向き加減のその顔は、今まで知っているりえの顔ではなかった。美術館という芸術を最高の形で表現しようとするところでは、光というものが大切なのであろう。斜光技術によって奏でられた芸術は、その持つ素晴らしさを引き立てられる。
 りえの顔も私には、芸術作品に負けず劣らず、素晴らしいものに見える。それは今ここにいるから思うものなのか、その時になって初めて気付いたものなのか、自分でも分からなかった。
作品名:短編集16(過去作品) 作家名:森本晃次