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短編集15(過去作品)

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一途な男



               一途な男


 その日の夕日は、今まで見たよりも黄色み掛かっているように見えた。
 夕焼けというのは何度も見たことがあるが、それとは明らかに違う。夕焼けというと、空が真っ赤に染まっている雰囲気を感じ、浮かんでいる雲まで真っ赤に染まっている。一番印象的なのは、まだ白い部分が少し残っているために、空に浮かんでいる雲が、真っ赤な部分とをお互いに強調しあっているために、立体的に見えることだった。
 地面に降ってくる日差しは決して明るいわけでもなく、暗いわけでもない。さながら、別世界の雰囲気を醸し出し、まるで血の色のような感じを受けるのは私だけではないだろう。
 しかし、今日の夕日は違っていた。昼間それほど快晴というわけでもなかっただけに、暑さが下界に残っているわけでもなく、いつものようにアスファルトの照り返しに参ることもなかった。
 だが、時間が経つにつれ日差しを強く感じるのはなぜだろう?
 足元から伸びる影はクッキリとアスファルトの上に浮かび上がっているように見える。その影を気にしながら歩いていたのは、眩しいからだけではなかった。
 影というのは、自分の位置から見るから、まともに人間の形に見えるものなのだ。たとえすぐ隣にいる人であっても他人の影であれば、綺麗な人間の形には見えない。その時にいつも、
――影というものは平面なのだ――
 ということをあらためて感じさせられるような気がした。
 今日も自分の影を見ながら歩いている。後ろから当たる日差しの強さからか、頭のてっぺんに暑さを感じた。たぶん、髪の毛を触るとかなり熱を持っていることだろう。
 ゆっくりと歩いているつもりだったが、気がつけばもうすでに家の近くまで来ていた。それに気付いたのは、家の近くにある公園が見えたからである。家に帰る前、よくその公園のベンチに座っていたことがあった。別に家に帰るのが嫌だというわけではない。家に帰れば、優しい女房が待っているのだから。
――気分転換というのは必要だ――
 そう感じるようになったのは、その公園に寄るようになってからである。遊んでいる子供を夕食の時間だということで呼びにくる母親を見かける、そんな時間帯である。
 時々寄ってみては、ベンチに腰を下ろして、何も考えることなく時間を過ごす。
 いや、何も考えなくというのは少し違っているかも知れない。絶えず頭では何かを考えたり思い出したりしているのだが、考えていないように思えるのは、その時のことを後になって覚えていないからである。
 つい今まで子供たちが遊んでいたであろうブランコが揺れていた。
 だいぶ日が傾いてきたのか、揺れているブランコの影が、私の座っているベンチの足元まで伸びていた。眩しいくらいの日差しに顔を上げられないというのも一つなのだが、足元に落ちている小石の影が立体的になっているのを見ていたからだ。それは小石を立体的に見せると同様に、その大きさを数倍にも見せる効果があるのに気付いた小学生の頃からの癖のようなものである。
 ブランコの揺れる影を見ながら次第に顔を上げてみた。目の前にあるブランコに乗ってみたいと思ったからかも知れない。
 ゆっくりとしか顔を上げられなかったが、視線だけは一早く、ブランコを捉えようとしていた。それにしても眩しさのせいで、少し頭がボヤけているのが自分でもよく分かる。
「おや?」
 揺れているブランコの横には、さっきまでいなかったはずの誰かがいるのが見えた。シルエットとなって浮かびあがっているので顔は確認できないが、明らかに子供ではない。足元が広がっていることから女性であることには間違いないだろう。ブランコを揺らすことなく、ただ座っているだけだ。視線はこちらを見ているのかも知れない。
 ゆっくりと、まるで動いていないように見える。
――幻だろうか?
 ベンチで座っていてさっきまで自分がヘンなことを考えていたから、幻を見たのではないか、とまで思える。
 私こと、日高弘之は、ここ数ヶ月アパートで一人暮らしをしている。年齢はそろそろ三十歳を迎えようとする頃で、仕事的にはちょうど若手の中でも中心的な存在になっているので、忙しい時は大変だが、それなりに充実感がある。
 しかし、突如それまで順風満帆だった人生が音を立てて崩れ始めた。
 二十五歳で、それまで交際していた女性と障害らしい障害もなく結婚し、皆が羨むほどの仲むつまじさだったにもかかわらず、突如訪れた離婚の二文字、これが私に大きくのしかかったことはいうまでもない。
 もちろんそれがすべてだとは言いがたいが、すべての始まりでもあった。
 離婚の理由がどこにあったのか、今となっては私には分からない。いろいろと彼女は私に訴えてはいたが、言っている意味がハッキリと分からない私にとって、それ以上の気持ちの歩み寄りはなかった。いくら口で説得しようとも彼女にその気がなく、しかも私の素振りから復縁の努力は無駄だということが分かったのであろう。私もそれ以上の説得もなかったし、彼女もそれ以上追及してこなかった。
 円満離婚というには、あまりにも精神的なしこりが残ったかも知れない。しかしそれは今までが順風満帆だったことから来る反動であって、自分たちの気持ちを偽ってまで結婚生活を送ることが、本当に私たちのためだったかというと、大きな疑問が残る。
 いや、残るだけなのである。そこに何の根拠も信憑性もない。あるのは先への不安だけである。きっと彼女が先にそのことに気付いたのだろう。あとから考えて、
――これが男と女の考え方の違いなのだろう――
 ということで、自分の中で納得していた。半ば強引ではあったが、そう納得することがその時の私には一番楽だったに違いない。
 さすがにしばらく落ち込んでいた。毎日が無表情で、笑顔を忘れたかのようだった。
――笑顔とは滲み出るものだ――
 と思っていた私が、笑顔を忘れてしまったということは、無理をして笑顔を作っても、それはぎこちないものでしかない。きっと引きつった顔になっていることだろう。自分も嫌だし、相手も嫌なはずだ。意識して笑顔を出さないようにもしていた。
 しいて言えば二人の間に子供がなかったことが、幸いだったかも知れない。もし子供がいれば、そのことが精神的に一番引っかかっていたであろう。それを考えると、自分の人生もまだまだこれからだと思うことができる。
 それでも離婚してから立ち直るまでに、かなりの時間が掛かった。
――このまま立ち直れないのでは?
 と何度考えたことだろう。しかし、きっかけというのは突然訪れるもので、別に何かがあったというわけでもないのに、急に吹っ切れる瞬間があった。
――目が覚めたら吹っ切れていた――
 まるでそんな感じである。きっと精神的に、自分の分からないところでの心境の変化があったに違いない。
 それは私にとって初めての経験ではない。今までにも落ち込むことがあって、最高に落ち込んでも、立ち直るきっかけは突然訪れる。
――こんな状態から抜け出すことはできないんだ――
 とまで思っていたのにである。
――きっと鬱状態とは、こんな状態のことなのだろう――
作品名:短編集15(過去作品) 作家名:森本晃次