短編集15(過去作品)
私が思うに、どちらもありだと感じている。
しばらく経って現れた彼の顔を見た彼女は、一気に襲ってきた脱力感のためか、足がガクガク震えている。それを見て駆け寄る彼が彼女を支える。
途端に安心したように顔を上げた彼女の前にある彼の顔は、単純にニコニコしているだけだ。その瞬間の二人に不倫などというドロドロした空気は存在しなかった。
そこから普通のデートが始まるのだが、行き着く先はラブホテル。お決まりのコースである。どちらからともなく組んだ腕に力が入る。愛を確かめ合える、待ちに待った瞬間であった。
ここまでの想像は、まるで夢であるかのごとく、あっという間であった。起きる前の瞬間に見るのが夢だと聞いたことがあるが、確かめ合う愛の前では、二人にとってここまでは、すべて夢の中の出来事なのかも知れない。
ここまでは男の顔の想像はつかなかった。すべてがシルエットになっていたかのようで、確認できないことに違和感はなかった。男の顔に興味がなかったわけではないが、想像できないことで、何ら想像するに支障はなかった。
ホテルの部屋に入るや否や、男が女を抱き寄せる。
女はそれを待ちわびたかのように、強く抱き返すのだが、男の方の背が高いからか、女の身体が宙に浮いている。その力強さに女はしばしの快感を味わい、久しぶりであるにもかかわらず、まるで昨日のことのように思い出してか、次第に濡れてくるのを感じているようだった。
想像すると相手の心をいろいろ探ってみるのが楽しみになってくるようで、当たらずとも遠からじだという思いが強い。それだけに想像するのが好きなのだが、男と女の情事を想像するのはスリルを感じ、時間を忘れる。
次第に切ない息遣いと、甘美な匂いが部屋の中に充満するのを感じた。匂いの想像までできてしまうのは、我ながら不思議だったが、彼女のことに関してはできてしまう。
――なぜなんだろう?
部屋は薄暗い調度であったが、想像の中でも目が慣れてくるもので、男の顔が次第に分かるようになってきた。
――この顔は……
中年の男性だが、見覚えがあるというより、親近感を感じる。
その顔は、私が小さい頃に感じた父親の顔のイメージだった。だが、顔は似ているわけではない。あくまで雰囲気なのだ。
――将来の自分?
そう感じると、そこから先の行動は手に取るように分かる気がしてきた。
まだ、二十代の自分が、四十過ぎまで今と同じような考えや行動パターンでいるとは思えないが、なぜか今目の前で想像している男を自分だと考えると、その先の行動は自然と見えてくる気がしてくる。
ここから先は、まるで本能のままだった。
お互いにすでに身体から着ているものは、いつの間にかすべて剥ぎ取られ、空気の入る隙間もないほどに、お互いの身体を貪りあっている。
すでに汗をびっしょり掻いているのか、薄暗い中でも光って見えるのを感じることができる。
声が漏れてくるのを唇が塞ぐ。
どちらからともなく、貪るように唇を塞ぐ。それでも漏れてくる声は、甘く切ないもので、高ぶってきた気分を最高潮へと持っていく。
途切れ途切れの息遣いに、あたりの空気は重く感じる。湿気を十分含んだ空気は、いかにも濡れ場を演出していて、想像しているだけで、自らが汗を掻いているかのようだ。
――このまま永遠に続くのではないか?
そう思った瞬間、男の足が少しずつ前へと進む。強引とも思える男の行動に、女は身体を任せるように黙って従うだけだった。
そのまま崩れるようにベッドへとなだれ込む二人、仰向けになっても崩れることのないはちきれそうな胸が、乳首を中心に光って見える。男は最初、手で下から責めていたが、唇を近づけて、軟らかく突起した乳首を口に含んだ。
「あぁ」
女が身悶えする。
その声が合図であったかのように、それまでソフトに責めていた男が急に獣のように女に襲いかかる。
もうここまで来たら、まわりの重たく湿った空気を感じることなどなかった。私の想像は留まるところを知らない。
最初は、それでも想像するだけで嫌らしさのようなものを感じ、少なからずの自己嫌悪に陥っていたが、男が激しく責めるのを想像し始めてからの女性に目が離せなくなった。
――何と美しいんだ――
これが女性というものの本当の姿ではないかと思えてくるくらいである。
執拗に男の身体にしがみつき、快感を貪るように登りつめていく。自分が女であることを認識できる悦び、それがこの空間にはあるのだ。男であるくせに、なぜそこまで分かるのか自分でも不思議だった。
いつしか二人は一つになっていた。
あまりにも自然な展開に、一つになった瞬間が分からなかったくらいである。
激しく動く男の身体にしがみつきながら、やがて迎えるであろう絶頂に身体を任せている。興奮も最高潮だ。
一瞬、かっと見開いた女の目がこちらを見た。それは不敵な笑みにも見える。ゾッとするような冷たいものが、背中を走り抜けるのを感じた。
――あの表情、どこかで見たことがある――
まるで吸い寄せられるようなその顔に、恐怖がよぎった。
しかし、それを思うとさっきまで見ていた彼女の表情も、初めてでないような気がしてくるから不思議だった。
絶頂を迎えたはずの二人をそのまま想像していくことは、私には結局できなかった。
その時の私は淫らな想像をしたことへの罪悪感というのはなかった。しかし、醒めてくるにしたがって身体の奥から沁みだしてきた汗にビックリしてしまっていた。
――なぜこんなに汗を掻いているのだろう?
冷や汗にも似たこの感覚は、罪悪感から来るものではない。怖い夢を見た時に感じる背中にじっとりと掻いた汗、まさにそんな感じである。
――何か見てはなたないものを見てしまったのだろうか?
そんな思いが頭をよぎる。
――それとも夢だったのかな?
夢にしてはリアルである。だが、まるで眠りから覚めたような、このボンヤリとした感覚は一体何なのだろう?
今、私の中の感覚は、まるで大学時代の、そう、妄想へきを感じ始めた頃に似ている。
それから何度も淫らな妄想をしてきた。癖になっているといってもいいくらいなのだが、こんなに学生時代のことを思い出すような感覚になるのは、初めてな気がする。
今までも、不倫カップルの想像をしたことはあった。まるで開けてはならない禁断の扉を開いた感覚になっていたのも事実で、それが罪悪感を誘発していたことは間違いないが、今まで以上の快感の波が押し寄せていたことも事実で、しばらく不倫への想像が頭から離れないでいた。
不倫を想像する時のシチュエーションは、まず女性に家庭があることである。しかも男性は独身。そして女性には子供がいる、これがいつものパターンであろうか。
男性に妻子がいて、女性が独身である場合というのは、なぜか思い浮かばない。
どちらかというと、私は女性を美しく思い浮かべたい。
それが、私が淫らな想像をする上でのポリシーのようなものである。
作品名:短編集15(過去作品) 作家名:森本晃次