⑩残念王子と闇のマル
カレンが麻流を優しく包み込みながら、呟いた。
「やっぱり、僕の人生に…マルは必要不可欠だ♡」
胸板越しに聞こえる少しくぐもった言葉が、麻流の胸にストンと落ちる。
「…僕だって、ていうか僕なんか…ほんとにたくさんの女の人とそういう関係を持った。」
突然の言葉に、麻流が身をふるわせ起こした。
「マルが護衛についてからもしばらくは、長く続かない体の関係をいくつももってたよね。」
自嘲気味に微笑む表情は悲しげで、後悔が滲んでいる。
「何の意味も愛情もない…。ただ自分の寂しさを埋める為だけに、誘われるがままに、簡単に体を重ねてきた。そして、飽きたら捨てる。」
カレンは天井を仰ぐと、ふーっと細く長い息を吐いた。
「相手が僕の身分だったり容姿だったりしか見てくれないから、本当の僕自身を愛してくれないから…な~んて言い訳してたけど」
真顔で口をつぐむと、目を瞑る。
「僕が彼女達を愛そうとしてないのに、愛してもらえるわけないじゃんね。」
そして柔らかく微笑むと、麻流の頬へそっと手を伸ばした。
「なのに、麻流は僕をずっと愛してくれてた。あんなにどうしようもないことばかりしてた僕を、いつも見つめて真剣に向き合ってくれて、傍にいてくれて、呼べばいつも現れてくれるから寂しくなくて…。しかも最後は専属にまでなってくれて、一族や故郷より僕を選んでくれた。」
小さく首を傾げるカレンに、麻流は吸い込まれるように軽く口づける。
「…あなたが、私を人間として扱ってくれたから。」
頬に添えられている大きな手に、麻流は自分の手を重ねて頬擦りをした。
「確かに遊んでばかりだったけど、常に考え方が中立で、身分や利害など関係なく、誰とでも真っ直ぐに接していらっしゃいました。」
湯船で熱くなったお互いの体温を重ね合わせ、二人は視線を交わす。
「だから、任務でなく、人として…傍にいたいと思いました。」
カレンは暗い湯船の中で、真っ直ぐに麻流の黒い瞳を見つめた。
「それに、爺や様が『身軽なうちに遊んでいた方が国王になってから落ち着かれる』とおっしゃってましたから。」
麻流がからかうような笑顔を返すと、カレンが一瞬目を逸らす。
『残念王子』と呼ばれるほど遊んでいたことや、爺から逃げ回って大事な教えを十分に得なかったを、後悔しているのだろうか。
カレンはさ迷わせていた視線を、もう一度麻流へ戻し、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「…ぼくのほうこそ、『こんな体でいいの?』」
遊び人だった、かつてのカレン。
けれど、それを汚いとも嫌だとも思ったことはない。
淋しさ故だ、とわかっていたから。
その気持ちを、どう言えば伝わるのか…。
言葉を探しながら麻流は、ジッとカレンを見つめる。
そんな麻流の頬を、カレンは大きな手のひらでつつみこんだ。
「マルは、何も汚れてない。」
今まさにカレンに伝えようとしていた言葉を、カレンが口にする。
驚く麻流の頬を、カレンは湯船で温まった熱い親指で優しく撫でた。
「全てが愛しくて、生きる力を僕に与えてくれる。」
カレンは眩しそうに目を細めて、うっとりと麻流を見つめる。
「これが、答えだ…よ。」
言いながら、カレンの体から力が抜けていった。
「…カレン?」
ぐらりと傾いだ頭が湯船に浸かりそうになり、麻流は慌ててカレンの頭を支える。
「お疲れだったんですね。」
そこへ、音もなく理巧が降り立った。
「!」
驚く麻流をよそに、理巧はカレンを湯船から抱え上げると手早くその体を拭いて、千針山で負った傷の手当てをし、服を着せていく。
「千針山を、殆ど寝ずに往復してますしね。」
丁寧に髪を乾かされている間も、カレンは熟睡して目覚めない。
麻流はそんな理巧の背中を見ながら、衣服をととのえた。
「姉上のベッドでいいですか?」
理巧はカレンを担ぐと、初めて麻流を見る。
「なんでいたの。」
(また、監視をしていたのか…。)
低いトーンで麻流が訊ねると、理巧は感情の読めない瞳で麻流を見つめた。
そして何も答えないまま、浴室を出ていく。
「理巧!」
麻流がその背中を追いかけると、理巧はカレンをベッドに寝かせていた。
「答えろ、理巧。」
麻流がすごむと、ようやく理巧は麻流に向き直る。
「姉上が心配でした。」
意外な答えに、麻流が目を見開いた。
「私のせいで、姉上はカレン様と離れ離れになり、記憶を失われました。それがきちんと修復されるのか…」
一瞬顔を歪めた理巧は、目を逸らす。
「心配でした。」
シンと静まり返る寝室で、忍姉弟は無言で見つめ合った。
「…。」
理巧の想いを知った麻流は、何て言葉をかけてよいかわからず、ただその空に似た切れ長の黒水晶の瞳をジッと見つめる。
「…頭痛はもう、起きないようですね。」
理巧の言葉に、麻流はハッとした。
そういえば、千針山から頭痛がしていない。
理巧は黒水晶を三日月にすると、低い艶やかな声で嬉しそうに笑った。
「やっぱり、カレン様はすごい。父上の術を解いてしまわれた。」
「…。」
初めて見る理巧のあどけない表情に、麻流の胸はしめつけられる。
自分のことで、どれだけの重荷を弟に背負わせてしまっていたのかと思うと、胸が痛んで言葉が見つからなかった。
理巧は小さく息を吐くと、麻流へ頭を下げる。
「頭領からの任務、完了です。」
そしてカレンにも頭を下げ、再び麻流をふり返った。
「お幸せに。」
言い終わらないうちに、その姿は消える。
麻流は理巧のいた場所を、ジッと見つめた。
その胸の中には、弟への申し訳なさと感謝の気持ちが広がり、弟のためにも今度こそ、この幸せを手放さないようにしなければ、と決心する。
麻流はベッドへ潜り込むと、カレンに身を寄せ、しっかりとその熱い体を抱きしめた。
作品名:⑩残念王子と闇のマル 作家名:しずか