天国に咲く花
引き寄せられる人たち(二)
冴子はその足で実家へと向かった。
実家は、地方都市の外れの町で小さな薬局を営んでいた。その店を継ぐことも考え大学の薬学部に進んだが、そこで当時助手をしていた文雄の猛アタックを受け結婚した。そんな経緯もあって実家の敷居は高かったが、両親は、今ではもう店は自分たちの代までと割り切っているようだった。少し離れた所に大型チェーンのドラッグストアが出来てからは、もういつ店を閉めてもおかしくない状態になっていた。
久しぶりに娘が帰ってきたことに喜びつつも、連絡のない急な里帰りは、冴子の両親、太郎と佳代に一抹の不安を与えた。案の定帰ってきた娘が切り出したのは離婚話だった。
「まだ二年足らずじゃないの。もう少しよく考えてみたら?」
と佳代はたしなめたが、太郎は
「お前、痩せたんじゃないか」
と言って娘を見つめた。
ちょっと出てくると言って、冴子は家を出ると、歩き慣れた道を進み神社を目指した。途中、お供え用の花と団子を買い神社に着くと、わき道に逸れた所にひっそり佇んでいる祠(ほこら)の前に立った。供え物をして手を合わせ、そしてまた神社の正面へと戻った。誰もいない社殿に向かい賽銭を投げ、吊られている鈴を鳴らし参拝を済ますと、足元に大きな葉っぱが落ちているのに気がついた。
「これだわ」
冴子はそれを拾うと、今度は神社の裏手に回り、静かに流れる小さな川にやってきた。そして、あたりを見回した。
* * * * * *
山奥の家で、桃から聞いた話は次のようなことだった。
「おねえさんの家の近くの神社の隣に、とっても小さなおうちがあるの。そこにお花とおいしい物を置いて、神社にお参りするの。それから後ろの川に行って、きれいな葉っぱの上にキラキラ光る物を乗せて流すと、おねえさんはニコニコになるの」
* * * * * *
光る物が見当たらなくてどうしようと思った時、自分の指に光る物を見つけた。
「これでいいわ」
冴子は左手薬指から結婚指輪を外すと、先ほどの大きな葉に乗せ、静かに川に流した。そしてにっこりとほほ笑んだ。
実家に戻ると、両親が話があると言う。以前からこの店を引き払いどこか温暖な土地で自給自足の田舎暮らしをしたいと思っていたのだが、本気で考えてみることにしたというのだった。
冴子は
(これでもし離婚話がこじれ、文雄親子が私の行方を探そうとここを訪れても両親はいないことになるわ)
そう思い、不思議な効力の始まりに驚いた。
実家を後にし、家へ着いたのはもう深夜に近かった。今日はもう遅いので話は明日にと思い、そっと玄関の鍵を開けると、居間から明かりが漏れていた。そして居間に入ると、驚いたことに太郎と康江がソファーに座っていた。ただならぬ様子に不安を感じながらも、まず帰宅の挨拶をした。すると、改まって話があるという。
文雄が難しい表情を浮かべながら口を開いた。
「冴子、急な話なんだが、アメリカの大学から誘われて研究チームに入れることになった。長年の夢だったことは君もよく知っているだろう? 私としては、この機会に研究に没頭したい、人生をかけたいとも思う。それでだ、誠に勝手な言い分だが、この際私と別れてもらえないだろうか? 女房や子どもなど家庭というものに捉われることなく、自由の身になって研究だけに専念したい。それに、君が一番わかっていると思うが、私は家庭人に向いていない。今まで君には辛い思いをさせ、本当に申し訳なかった……」
「冴子さん、本当にこの子ったら勝手な事を言い出してごめんなさいね。でも、この子の夢を叶えてもらえないかしら。実は私も、大阪の妹から今度料理教室を始めるので手伝ってほしいと言われてね。この歳で世の中のお役に立つなんて思ってもいなかったんだけど。文雄はアメリカへ、私は大阪へ行くとなると、冴子さんさえよければこの家を手放そうと思うの。こちらの勝手を聞いてもらうのだから、慰謝料はそれ相応に出させてもらうつもりよ」
冴子は信じられなかった。まさにこれこそ、みんなが幸せな離婚! その夜、体は疲れ切っているはずなのに、興奮のあまりなかなか寝付くことが出来なかった。明日からはいろいろと忙しくなるだろう。でも一段落したら、まず桃にお礼を言いに行かなければならないと冴子は思った。何よりあの愛くるしい笑顔をもう一度見たいと思った。