天国に咲く花
山奥の老婆(五)
平日の高速道路は、物流のトラックとすれ違うくらいでスムーズに流れていた。これが行楽にでも向かうのであれば快適なドライブだが、周りに広がる豊かな自然も雄一の不安を払拭するのに役には立たなかった。
もう引き返す場所はない。直美との思い出が詰まったマンションを引き払い、家財道具を処分し、捨てられない物は一部実家に預かってもらった。必要最小限の荷物だけを積んで桃とふたり、山奥の家を目指して車を走らせていた。
父親の思い詰めた様子を不安に感じたのか、桃がぐずり始めたのでドライブインに寄ることにした。
空きスペースが多かったので店の近くに車を止め、外へ出た。だいぶ郊外に来たせいか空気が変わって感じられた。アイスクリームを食べて機嫌を直した桃は土産コーナーの中を物珍しそうに見て歩いている。次の出口で高速を降り、いよいよ山道に向かうことになる。雄一は年寄りの好みそうな土産を買い、お気に入りのお菓子を抱えた桃を乗せてドライブインを後にした。
それから何時間走っただろうか。途中道に迷いながらも何とか村の集落に辿り着いた。道子に教えられた通り、村人に尋ねて目的の家の前に今、桃とふたり佇んでいた。
どう話を切り出そうかとこの期に及んで躊躇している自分に腹が立った。背水の陣なのだ、もう後には戻れないのだと、思い切って玄関に近づこうとした時、いきなり戸が開いて中から老婆が顔を見せた。
「待ってたよ、さあ、お入り」
唖然とする雄一の手を引いて桃は玄関へ向かった。中に入ると、家の中はいかにも昔造りの田舎家で、奥の囲炉裏端で老婆はお茶を入れ始めていた。
雄一は軽く自己紹介をして、手土産を差出し、勧められた場所に腰を下ろした。そしてまず最初に気になったこと、自分たちが訪れることをわかっていたのか、と尋ねた。
「ああ、わかっていたよ。それも相当の覚悟だということもね」
雄一は言葉が出なかった。
(なんと不思議な老婆だろう……)
不思議を通り越して恐ろしささえ感じる。
「まあ、しばらくは隣にある離れでゆっくりすることだ」
何もかもが珍しい桃は、家の中をあちこち見て歩いているが、老婆はそれを咎めることもなく、
「桃や、あとでばあちゃんがいいもん見せてやるからな」
と笑いかけた。
桃は目をぱちくりさせ、
「それ、おいしいの?」
と聞いた。
「食べる物じゃないさね、食いしん坊やな、おまえさんは」
案内された離れは、母屋のすぐ裏に建っていた。長い間使われた形跡がなく、埃にまみれた古い家具らしきものが二、三転がっている。それを片付け、掃除をし、車から荷物を運び入れた頃にはもう夜になっていた。その間、桃は離れと母屋を行ったり来たりして老婆にすっかり懐いていた。そして、雄一を晩ご飯だと呼びに来た。
それから、三人は囲炉裏を囲んで遅い夕食を取った。質素な食事だったが、よく動いたせいかお腹は満たされ、今度は眠くなってきた。桃はとうに夢の中だった。
疲れただろうからと老婆に促され、話はまた明日ということで雄一は桃を抱き上げ離れに退いた。そして雄一も倒れ込むように眠ってしまった。
翌朝、鳥の声で目覚めると隣にいるはずの桃の姿がない。慌てて外へ飛び出して母屋へ行くと、桃は老婆の朝餉の支度を手伝っていた。雄一の姿を見つけると、桃は大人びた口調で、
「とうさん、あと少しだから顔でも洗ってきて」
そう言うとまた老婆の手伝いに精を出した。
昨夜と同じ質素な朝食を終え、三人は囲炉裏を囲んで座っていた。雄一は自分はこれからどうすればいいか、と昨夜聞こうとして聞けなかったことを老婆に尋ねた。すると老婆は少し考えて言った。
「そうさな、薪でも割ってもらうかな。あと畑仕事でも手伝ってもらおうか」
それは当面のことであって自分が聞きたいのは……と思ったが、急かして聞くようなことではないと思い直し、しばらくは手伝いながらここに置かせてもらうことにした。
「桃は何をすればいい?」
大人の話に割り込んできた桃に、老婆は、
「桃にはとても大事な仕事をしてもらうさ。ついておいで」
と言い、桃を連れて家を出ると裏の小道へと消えて行った。一人残された雄一は慌てて後を追おうかと思ったが、老婆を信じようと思い留まった。