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天国に咲く花

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桃と天国の花(五)


 それから一時間が過ぎ、二時間が過ぎても桃は戻って来なかった。最初のうちは、きっと素敵な人と出会って話が盛り上がっているのだろうと笑っていた家族たちも、だんだん心配になってきた。
「ちょっと見てくるよ」
 潤は旅館のサンダルをつっかけ、夜の浜辺へ走って行った。
 月の光に照らされ辺りは思ったほど暗くなかった。でも、いくら走っても人影は見えない。ただ波の音だけが聞こえていた。
(姉さん、いったいどこに行ってしまったんだ! まさか事故に合ったりはしないよな。そんなはずはない、今夜、姉さんには幸せが待っているんだ)
 ふと、潤の足が止まった。先の方に何かが見える。おそるおそる近づいてみると、人が倒れているではないか! そして、それは紛れもなく、探していた姉、桃だった。
「姉さん!」
 すぐさま潤は、桃の上半身を抱き上げた。まだ温かい。何も持たずに飛び出してきたことを悔やんだが、宿に戻って助けをよぶしかない。潤は、
「姉さん、すぐ戻るからね」
そう言ってそっと桃の体を砂の上に置くと、砂に足を取られそうになりながら、懸命に宿へ向かって走った。
 潤の知らせを聞き、真っ青になって駆けつけた雄一と冴子は、代わる代わる桃の名を呼び、体を揺すった。しかし、何の反応もない。そして、すぐに駆けつけた救急車に乗せられ病院へと向かった。
 
 病院での医師の診断は、突然死。つまりはっきりとした死因はわからないが病死だろうとのことだった。外傷もなく、不審な状況は見られないが、家族の希望があれば解剖して詳しく死因を調べると言われた。が、家族の誰もがそれを望まなかった。
 霊安室でひとしきり泣いた三人は、夜が明けるのも待たず、桃を連れて自宅へと向かった。その車中で、潤が言った。
「姉さん、あの時はまだ温かかったんだ。とても幸せそうに微笑んでいるみたいで…… たしかにあの時はまだ生きていたんだ。俺がそばを離れなければ―― 携帯さえ持っていれば―― 姉さんの最後の瞬間にそばにいてやれたのに……」
「いや、私たちが駆けつけた時もまだ温かかったよ。微笑みも浮かべていた。きっと、みんなが来るのを待っていたんだ。みんなにお別れを言うために―― 桃らしいじゃないか」
 
 
 桃の葬儀も無事に終わり、三人は山奥の家の整理に出かけた。もう他には民家はなく、これでこの村の存在自体なくなる。
 家の片づけもすみ、最後にお茶を飲みながら、各自それぞれにこの山奥の家の思い出に浸っていた時、冴子が言った。
「あの花はどうなったのかしら?」
「ああ、そうだな、桃がいなくなったのだから、もう花も落ちたんじゃないか」
雄一が答えた。
「ということは、桃ちゃんは幸せになったということになるの?」
「そういうことになるか……」
「でも変よね? だって、今まで多くの人たちを幸せにしてきた花の言う通り、桃ちゃんは満月の晩に海へ行ったのよね。そこには幸せが待っているはずじゃない? どうして死んでしまわなければならないの? 私には納得できないわ」
 そんな両親の会話を聞いていた潤が、突然立ち上がった。
「行ってみようよ、その花の所へ」
「だって花の場所は桃ちゃんしか知らないのよ」
「いや、実は俺ガキの頃、途中までついて行ったことがあるんだ」
 
 三人は裏の小道を下り、獣道を抜け、沢にたどり着いた。
「ここまできて姉さんに見つかったんだ」
 三人は沢を渡り、しばらく行くときれいな花畑に出た。そして、その中央に一輪ひときわ目立つ見たことのない美しい花を見つけた。
「あっ、あれじゃない!」
 冴子が叫んだ。
「でもおかしいと思わないか? やけにスムーズにここまでたどり着いた気がしないか?」
 雄一の疑問に、冴子が反応した。
「そうねえ、そういえば一度も迷わずにここまで来たわね」
「あの花が呼んでるんだよ」
 そう言いながら潤が花の前に近づくと、突然その場に倒れた。
「潤、大丈夫か!」
 驚いて駆け寄った雄一も、潤に折り重なるように倒れた。そして、その光景を見ていた冴子も、ショックで気を失った。

作品名:天国に咲く花 作家名:鏡湖