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天国に咲く花

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桃と天国の花(六)


 満月が照らす月明かりの中、しばらく歩いていると、前の方に人影が見えた。近づいてみると同年代の女性だった。
「こんばんは」
そう言って通り過ぎようとした時、その見知らぬ女性に、
「桃ちゃんよね?」
と言われ、桃は驚いて立ち止まった。そして、女性の顔を不思議そうに見つめて聞いた。
「前にお会いしたことありました? どうして私の名前を?」
「私は武井直美。わかる?」
 桃はぎょっとして後ずさりした。
「驚かせてしまったわよね。そう、私があなたの本当のお母さん」
「えっ!! …………」
「今日は桃ちゃんの誕生日よね、三十歳の。私もその歳で亡くなったの。だからお母さんといっても同じ歳……なんだか変な感じね」
「…………」

「私ね、三十年前の今日、出産の準備をしている時に急な腹痛に襲われて倒れたの。その時、
“この子だけはこの子だけは!”
と必死に祈り続けながら意識を失いかけたの。すると、どこからか声が聞こえてきたの、
“お前の命と引き替えでもいいのか?”
って。もちろん、
“何でもいいからこの子を助けて!”
って心で叫んだわ。そうしたら、
“じゃあ、お前の歳までだ”
とその声が答えたの」
「え! じゃ、今私は死ぬの?」
「ねえ、桃ちゃん…… 人の幸せって何だと思う?
 温かな家族に恵まれて、大きな病気もせず、ケガもせず、人のために尽くして感謝されたら十分幸せだと思わない?
 たとえみんなより短い人生だったとしても、長い短いの問題ではないと思うわ。充実していて意義のある生涯だったらそれでいいんじゃないかしら」
「…………」
「ただ、一つだけ申し訳ないことがあるの。それは恋をさせてあげられなかったこと。短い間しか一緒に過ごせないとわかっていて大事な人と出会ってしまったら、お互いに別れが辛いわよね。それだけは本当にごめんなさい。
 でもその代わり、人が誰もが望む究極の願い事、安らかな死をあなたは得られるの。これだけはどんなに偉い人でも、どんなお金持ちでも手に入れられないことだから、あなたは誰よりも幸せなのよ」
 桃は心臓がドキドキしながらも、しだいに冷静さを取り戻し始めた。
 たしかに、これまで自分の周りでは不思議なことがたくさん起こってきた。だから、最期にこんな話を聞かされても、自然に受けいれられるような気がしてきた。
「私の身代わりでお母さんは死んだの、三十年前に?」
「そうらしいけど、でももし、あの時私が助かってあなたが死んでいたら、私たち夫婦は幸せになれたかわからないわ……
 雄一さん、本当にあなたが生まれてくるのを楽しみにしていたし、私だってあなたを失った喪失感に耐えられたかどうか……
 だからこれでよかったのよ。私は立派に成長したあなたに会えて、こうしてあなたを迎えに来ることができた。母親としての役目を果たすことができたんですもの。
 さあ、そろそろ行きましょう」
 直美は手を差し出した。
「お母さん、ちょっと待って。みんなが駆けつけてくれたわ。最期のお別れをさせて」
 三人が必死に走ってくる姿を見つけて桃がそう言うと、
「じゃあ、少し先に行ってるわね。すぐにいらっしゃい」
「ええ、すぐに行くわ」
 
 
 三人は花畑の中で目を覚ました。
「私、夢を見てたわ」
 冴子が言うと、
「もしかして、姉さんが浜辺で女の人と話していた夢?」
 潤が聞いた。
「ええ、そうよ。え! じゃあ、あれは夢じゃなかったということ!」
「ああそうだ、あれはたしかに直美だ、三十年前に死んだ時の姿のままだった」
 雄一がうつろな目で答えた。
「じゃあ、直美さんが桃ちゃんを迎えに…… だからあんな安らかな表情だったのね」
「直美が桃の代わりに死んだなんて、思いもしなかった……
 たしかにあの頃私は、桃の誕生を心から待ちわびていた。もちろん直美だって。そんな桃を失うなんて直美には耐えられなかったのだろう……」
「直美さんが、自分の代わりに桃ちゃんをこの世界に置いていってくれたのね。そして、時が来て迎えに来たのよ、それも月夜の晩に…… まるでかぐや姫ね」
 冴子の表現があまりにぴったりのような気がして、潤も、
「そうさ、姉さんはかぐや姫なんだ。今頃、月の世界で向こうのお母さんと幸せに暮らしているさ」
 そう言って振り返ると、さっきまできれいな花を咲かせていた天国の花は消えていた。
 三人はただ黙って、天国の花が咲いていた場所をじっと見つめていた。


                    完
作品名:天国に咲く花 作家名:鏡湖