天国に咲く花
小道を駆け上がり家へ戻ると、テーブルの前に冴子と美紗が向かい合って座っていた。桃が来たのを見届けると、冴子はそっと席を立って外へ出て行った。
「美紗さん、ごめんなさい。あなたは大変な目に合っていたのね」
桃は美紗の手を握り、いたわるような表情で美紗を見つめた。
美紗は二か月前、恋人、悠太の実家へ向かうため、二人で長距離バスに乗っていた。交際を始めて一年、初めてこの日悠太の実家を訪れることになった。緊張とうれしさの入り混じる中、美紗は悠太の両親に気に入ってもらえるかだけがずっと気になっていた。そんな美紗の緊張をほぐそうと、悠太はおもしろい話をして美紗を笑わせたり、車内であれこれと気を使ってくれた。
もうすぐ目的地に着くという時にその事故は起こった。突然、大型トラックが中央分離帯を乗り越えてバスに向かってきたのだ! 窓からそれを目にした悠太はとっさに美紗の上に覆いかぶさった。耳をつんざく轟音の中で、美紗は気を失った。
病院で気がついた美紗は、奇跡的にかすり傷だけですんだ。多くの乗客は重軽症を負い数人が亡くなった。その中に――悠太の名前があった。それを知った美紗はショックのあまり記憶がまだらになっていった……
美紗の中の悠太は死んではいなかった。いたたまれない家族は美紗を何人かの精神科医に診せて回ったが、美紗の不可解な言動は収まらなかった。
そんな時、心配した友人のひとりからここの場所が書かれたメモを渡され、美紗はわけもわからないまま訪ねて来たのだった。
(それなのに私ときたら、真剣に話も聞かずに追い返すようなことを……)
「美紗さん、よく聞いて。悠太さんから誕生日プレゼントが届いたわよね。それは悠太さんが亡くなる前に美紗さん宛てに送ったものだけど開けてみたでしょ? 何が入っていた?」
「手鏡、きれいな飾りがついた大きな手鏡……」
「そうね、とてもきれい。それを満月の夜、えーと明日の晩だわ。外へ出て、月の下でその手鏡を見てちょうだい。絶対よ! 念のためにここにメモしておくわね」
そう言って桃は美紗にメモを手渡すと、玄関まで送りに出た。すると頃合いを見計らっていた冴子が現れ、途中まで美紗を送っていくと言って肩を並べて帰って行った。
(お母さん、ありがとう。もう少しで私は大変な失敗をするところだった。まだまだ私は一人前ではないんだわ。お母さんの助けが必要なのね)
次の日の夜、満月の下で美紗は言われた通り手鏡を取り出した。きれいな飾りの中に自分の顔が青白く映っている。しかし、月の光を浴びるとその顔はしだいに歪み始め、別の顔が現れた。それはまぎれもなく悠太の笑顔だった!
『美紗、いっぱい心配させてごめんね。
それにもう会えなくなってしまって……
僕もとても悲しいよ。
でも、美紗が元気でいてくれないともっと悲しいんだ。
たとえ僕が死んでしまってもふたりの想い出はいつまでも消えることはないのだから、
笑顔の美紗に戻ってほしい。
僕は美紗の笑顔を、この鏡の向こうからいつも見ているよ』
翌朝、桃が花畑に行くと、天国の花は一輪になっていた。